論衡 / 『論衡』變虛篇第十七・言葉ではなく行いが天変を消す
高宗消桑谷之變、以政不以言;景公卻熒惑之異、亦宜以行。景公有惡行、故熒惑守心。不改政修行、坐出三善言、安能動天!天安肯應!
新字:高宗消桑谷之変、以政不以言;景公却熒惑之異、亦宜以行。景公有悪行、故熒惑守心。不改政修行、坐出三善言、安能動天!天安肯応!
書き下し
高宗の桑谷の変を消せるは、政を以てし言を以てせず。景公の熒惑の異を却くるも、亦た宜しく行を以てすべし。景公に悪行有り、故に熒惑心を守る。政を改め行を修めず、坐して三善言を出だすのみにて、安くんぞ能く天を動かさん。天安くんぞ肯えて応ぜん。
現代語訳
殷の高宗が桑と穀物の怪異を消したのは、政治によるのであって、言葉によるのではありません。景公が熒惑の異変を退けるのも、やはり行いによるべきです。景公に悪い行いがあったから、熒惑が心宿に居座ったのです。政治を改めず行いを正さず、ただ座ったまま三つの善い言葉を口にしただけで、どうして天を動かせるでしょうか。天がどうして応じるでしょうか。
解説
宋の景公が星の異変に際して善い言葉を述べ、星が動いて寿命が延びたという伝承に対し、王充は、言葉だけで天が動くはずはないと反論します。殷の高宗が桑と穀物の怪異を除いたのも、言葉ではなく政治によると、ここでは述べています。要点は、立派な発言と実際の行動を切り離して評価する目です。社内でも、方針を語る声明が出ると、問題が解決したかのような空気になることがあります。言葉が出たことと、行いが変わったことは別に確かめたいものです。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
高宗景公熒惑善言政行い
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十八史略・『十八史略』宋・景公・宋の景公と災いの転嫁其の後、景公なる者有り。熒惑、嘗て其の時に心を守る。心は宋の分野なり。公之を憂う。司星の子韋曰く、「相に移すべし」と。公曰く、「相は吾が股肱なり」と。曰く、「民に移すべし」と。公曰く、「君は民を待つ者なり」と。曰く、「歳に移すべし」と。公曰く、「歳饑え民困しまば、吾誰をか君と為さん」と。子韋曰く、「天は高くして卑きに聴く。君に君人の言三有り。宜しく動く有るべし」と。之を候うに、果たして一度徙れり。
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呂氏春秋・制樂③宋の景公の時、熒惑、心に在り。公懼れて、子韋を召して焉に問いて曰く、「熒惑心に在るは、何ぞや。」子韋曰く、「熒惑は天罰なり。心は宋の分野なり。禍、君に當る。然りと雖も、宰相に移す可し。」公曰く、「宰相は與に國家を治むる所なり。而るに死を移すは、不祥なり。」子韋曰く、「民に移す可し。」公曰く、「民死せば、寡人將た誰にか君と為らん。寧ろ獨り死せん。」子韋曰く、「歲に移す可し。」公曰く、「歲害あれば則ち民饑う。民饑うれば必ず死す。人の君と為りて其の民を殺して以て自ら活きなば、其れ誰か我を以て君と為さんや。是れ寡人の命固より盡きたるのみ。子復た言うこと無かれ。」子韋還かに走り、北面して載ち拜して曰く、「臣敢て君に賀す。天は之れ高きに處りて卑きを聽く。君、至德の言三有り。天必ず君を三賞せん。今昔熒惑其れ徙ること三舍なれば、君年を延ぶること二十一歲ならん。」公曰く、「子何を以て之を知る。」對えて曰く、「三善言有れば、必ず三賞有り。熒惑必ず三たび舍を徙す、舍ごとに七星を行く。星一たび徙るは一年に當る。三七二十一、臣故に君年を延ぶること二十一歲なりと曰う。臣、陛下に伏して以て之を伺候せんことを請う。熒惑徙らずんば、臣死を請わん。」公曰く、「可なり。」是の夕、熒惑果して徙ること三舍なり。
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新語・明誡故に世衰え道失うは、天の為す所に非ず、乃ち国を君とする者の以て之を取る有るなり。悪政は悪気を生じ、悪気は災異を生ず。螟蟲の類は、気に随いて生じ、虹蜺の属は、政に因りて見わる。治道下に失えば、則ち天文上に変じ、悪政民に流るれば、則ち螟蟲野に生ず。賢君の智は則ち変に随いて改め、類に縁りて試みに之を思うを知り、□□□変に於てす。聖人の理は、恩は昆蟲に及び、沢は草木に及び、天気に乗じて生じ、寒暑に随いて動く者、頸を延ばして治を望み、耳を傾けて化を聴かざる莫し。聖人は物を察して、遺失する所無く、上は日月星辰に及び、下は鳥獣草木昆蟲に至り、□□□鷁の退飛、五石の隕つる所を治めて、以て纖微を失わざる所なり。鴝鵒の来たる、冬に麋多きに至りては、鳥獣の類□□□を言うなり。十有二月、霜隕ちて菽を煞さずとは、寒暑の気、其の節を失うを言うなり。鳥獣草木すら尚お各おの其の所を得んと欲し、之を綱するに法を以てし、之を紀するに数を以てす。而るを況んや人に於てをや。