呂氏春秋 / 制樂③
宋景公之時,熒惑在心,公懼,召子韋而問焉,曰:「熒惑在心,何也?」子韋曰:「熒惑者,天罰也;心者,宋之分野也;禍〔且〕當於君〔身〕。雖然,可移於宰相。」公曰:「宰相所與治國家也,而移死焉,不祥。」子韋曰:「可移於民。」公曰:「民死,寡人將誰為君乎?寧獨死〔耳〕。」子韋曰:「可移於歲。」公曰:「歲害則民饑,民饑必死。為人君而〔欲〕殺其民以自活也,其誰以我為君乎?是寡人之命固盡已,子無復言矣。」子韋還走,北面載拜曰:「臣敢賀君。天之處高而聽卑。君有至德之言三,天必三賞君。今夕熒惑其徙三舍,君延年二十一歲。」公曰:「子何以知之?」對曰:「有三善言,必有三賞。熒惑有三徙舍,舍行七星,星一徙當一年,三七二十一,臣故曰君延年二十一歲(矣)。臣請伏於陛下以伺(候)之。熒惑不徙,臣請死〔之〕。」公曰:「可。」是夕熒惑果徙三舍。
新字:宋景公之時,熒惑在心,公懼,召子韋而問焉,曰:「熒惑在心,何也?」子韋曰:「熒惑者,天罰也;心者,宋之分野也;禍〔且〕当於君〔身〕。雖然,可移於宰相。」公曰:「宰相所与治国家也,而移死焉,不祥。」子韋曰:「可移於民。」公曰:「民死,寡人将誰為君乎?寧独死〔耳〕。」子韋曰:「可移於歳。」公曰:「歳害則民饑,民饑必死。為人君而〔欲〕殺其民以自活也,其誰以我為君乎?是寡人之命固尽已,子無復言矣。」子韋還走,北面載拝曰:「臣敢賀君。天之処高而聴卑。君有至徳之言三,天必三賞君。今夕熒惑其徙三舎,君延年二十一歳。」公曰:「子何以知之?」対曰:「有三善言,必有三賞。熒惑有三徙舎,舎行七星,星一徙当一年,三七二十一,臣故曰君延年二十一歳(矣)。臣請伏於陛下以伺(候)之。熒惑不徙,臣請死〔之〕。」公曰:「可。」是夕熒惑果徙三舎。
書き下し
宋の景公の時、熒惑、心に在り。公懼れて、子韋を召して焉に問いて曰く、「熒惑心に在るは、何ぞや。」子韋曰く、「熒惑は天罰なり。心は宋の分野なり。禍、君に當る。然りと雖も、宰相に移す可し。」公曰く、「宰相は與に國家を治むる所なり。而るに死を移すは、不祥なり。」子韋曰く、「民に移す可し。」公曰く、「民死せば、寡人將た誰にか君と為らん。寧ろ獨り死せん。」子韋曰く、「歲に移す可し。」公曰く、「歲害あれば則ち民饑う。民饑うれば必ず死す。人の君と為りて其の民を殺して以て自ら活きなば、其れ誰か我を以て君と為さんや。是れ寡人の命固より盡きたるのみ。子復た言うこと無かれ。」子韋還かに走り、北面して載ち拜して曰く、「臣敢て君に賀す。天は之れ高きに處りて卑きを聽く。君、至德の言三有り。天必ず君を三賞せん。今昔熒惑其れ徙ること三舍なれば、君年を延ぶること二十一歲ならん。」公曰く、「子何を以て之を知る。」對えて曰く、「三善言有れば、必ず三賞有り。熒惑必ず三たび舍を徙す、舍ごとに七星を行く。星一たび徙るは一年に當る。三七二十一、臣故に君年を延ぶること二十一歲なりと曰う。臣、陛下に伏して以て之を伺候せんことを請う。熒惑徙らずんば、臣死を請わん。」公曰く、「可なり。」是の夕、熒惑果して徙ること三舍なり。
現代語訳
宋の景公の時、火星(熒惑)が心宿にとどまった。公は恐れ、子韋を召して問うた、「火星が心宿にあるのは何事か」。子韋は言った、「火星は天罰です。心宿は宋の分野です。禍は君の身に当たります。とはいえ、宰相に移すことができます」。公は言った、「宰相は共に国家を治める者だ。それに死を移すのは不吉だ」。子韋は「民に移せます」。公は「民が死ねば、私はいったい誰の君主となろうか。むしろ一人で死のう」。子韋は「年の収穫に移せます」。公は「不作になれば民は飢える。民が飢えれば必ず死ぬ。人の君主となって民を殺して自分だけ生きようとしたら、誰が私を君主としようか。これは私の命がもともと尽きたということだ。おまえはもう何も言うな」。子韋はすみやかに走り退き、北に向かって拝して言った、「私は君に慶賀いたします。天は高くにあって低きを聴きます。君には至徳の言葉が三つありました。天は必ず君に三度の賞を与えましょう。今夜、火星は三舎移り、君は寿命が二十一年延びましょう」。公は「おまえはどうしてそれを知るのか」。答えて言うには「三つの善言があれば必ず三つの賞があります。火星は必ず三度舎を移り、一舎ごとに七星を進みます。星一つ移るのは一年に当たります。三かける七で二十一、だから君の寿命は二十一年延びると申したのです。私は御殿の下に伏してこれを見張らせてください。火星が移らなければ、私は死をお受けします」。公は「よかろう」と言った。その夜、火星は果たして三舎移った。
解説
この章句が説くこと
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説苑・辨物斉の景公、露寝の台を為(つく)る。成りて通ぜず。柏常騫曰わく、「台を為ること甚だ急にして、台成るに、君何為(なんす)れぞ通ぜざる。」公曰わく、「然り。梟昔者(さきに)鳴き、其の声為さざる無し。吾之を悪むこと甚だし、是を以て通ぜざるなり。」柏常騫曰わく、「臣請う禳(はら)いて之を去らん。」公曰わく、「何を具えん。」対えて曰わく、「新室を築き、為に白茅を置かん。」公をして室を為らしめ、成りて、白茅を置く。柏常騫夜事を用う。明日公に問いて曰わく、「今昔(こよい)梟の声を聞きしか。」公曰わく、「一たび鳴きて復た聞かず。」人をして往きて之を視しむれば、梟陛に当たりて翼を布き地に伏して死せり。公曰わく、「子の道此くの若く其れ明らかなるかな。亦た能く寡人の寿を益すか。」対えて曰わく、「能く」と。公曰わく、「能く幾何をか益さん。」対えて曰わく、「天子は九、諸侯は七、大夫は五」と。公曰わく、「亦た徴兆の見わるる有りや。」対えて曰わく、「寿を得れば、地且に動かんとす。」公喜び、百官をして騫の求むる所を趣(すみ)やかに具えしむ。柏常騫出でて晏子に塗(みち)に遭い、馬前に拝して辞して曰わく、「騫君の為に梟を禳いて之を殺し、君騫に謂いて曰わく、子の道此くの若く其れ明らかなるかな、亦た能く寡人の寿を益すかと。騫曰わく能くと。今且に大祭せんとし、君の為に寿を請う、故に将に往かんとす。以て聞かしむ。」晏子曰わく、「嘻(ああ)、亦た善いかな。能く君の為に寿を請うなり。然りと雖も、吾之を聞く、惟だ政と徳とを以て神に順うを、以て寿を益すべしと為すと。今徒に祭れば以て寿を益すべけんや。然らば則ち福の名は見わるる有りや。」対えて曰わく、「寿を得れば地将に動かんとす。」晏子曰わく、「騫よ、昔吾維星の絶え、枢星の散ずるを見たり。地其れ動かんとするか。汝是を以てするか。」柏常騫俯して間有り、仰いで対えて曰わく、「然り。」晏子曰わく、「之を為すも益無く、為さざるも損無きなり。賦斂を薄くし、民を費やす無かれ、且つ君をして之を知らしめよ。」
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説苑・君道楚の昭王の時、雲有りて飛鳥の如く、日を夾みて三日飛ぶ。昭王之を患いて、人をして駅に乗じて東し、諸を太史州黎に問わしむ。州黎曰く、「将に王身に虐せんとす、令尹司馬を以て之に説かば則ち可なり」と。令尹司馬之を聞き、宿斎沐浴し、将に自ら身を以て之に禱らんとす。王曰く、「止めよ、楚国の不穀有るは、身の匈脅有るに由るなり。其れ令尹司馬有るは、身の股肱有るに由るなり。匈脅疾有れば、之を股肱に転ず、庸ぞ是の人を去るを為さん」と。
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