論衡 / 『論衡』書虛篇第十六・書いてあるから信じる、の危うさ
世信虛妄之書、以為載於竹帛上者、皆賢聖所傳、無不然之事、故信而是之、諷而讀之。睹真是之傳與虛妄之書相違、則并謂短書、不可信用。夫幽冥之實尚可知、沈隱之情尚可定、顯文露書、是非易見、籠總并傳非實事、用精不專、無思於事也。
新字:世信虚妄之書、以為載於竹帛上者、皆賢聖所伝、無不然之事、故信而是之、諷而読之。睹真是之伝与虚妄之書相違、則并謂短書、不可信用。夫幽冥之実尚可知、沈隠之情尚可定、顕文露書、是非易見、籠総并伝非実事、用精不専、無思於事也。
書き下し
世、虚妄の書を信じ、以為えらく、竹帛の上に載する者は、皆な賢聖の伝うる所にして、然らざるの事無しと。故に信じて之を是とし、諷して之を読む。真に是なる伝の虚妄の書と相い違うを睹れば、則ち并せて短書と謂い、信用すべからずとす。夫れ幽冥の実すら尚お知るべく、沈隠の情すら尚お定むべし。顕らかなる文、露わなる書は、是非見やすきに、籠総して并せて実事に非ずと伝うるは、精を用いること専らならず、事に思い無ければなり。
現代語訳
世の人は虚妄の書を信じ、竹や絹に書かれたものはみな賢人聖人が伝えたもので、あり得ないことはないと考えます。だから信じてそれを正しいとし、声に出して読みます。ところが、真に正しい伝えが虚妄の書と食い違うのを見ると、どちらもまとめて短書と呼び、信用すべきでないとします。そもそも、奥深く隠れた事実でさえ知ることができ、沈み隠れた実情でさえ見定めることができます。目に見える文章や書物は、是非が容易に見えるはずなのに、ひとまとめにして実事でないと伝えるのは、精神の用い方が専一でなく、事柄を考えていないからです。
解説

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