論衡 / 『論衡』奇怪篇第十五・奇談を好む世間と鵜呑みの連鎖
世好奇怪、古今同情。不見奇怪、謂德不異、故因以為姓。世間誠信、因以為然。聖人重疑、因不復定。世士淺論、因不復辨。儒生是古、因生其說。
新字:世好奇怪、古今同情。不見奇怪、謂徳不異、故因以為姓。世間誠信、因以為然。聖人重疑、因不復定。世士浅論、因不復弁。儒生是古、因生其説。
書き下し
世は奇怪を好む、古今情を同じくす。奇怪を見ざれば、徳の異ならずと謂う、故に因りて以て姓と為す。世間は誠に信じ、因りて以て然りと為す。聖人は疑いを重んじ、因りて復た定めず。世士は浅く論じ、因りて復た弁ぜず。儒生は古を是とし、因りて其の説を生ず。
現代語訳
世の人は不思議な話を好みます。これは昔も今も変わりません。不思議な出来事が見られなければ、その徳は人並みで変わらないと思われてしまうので、それに因んで姓が定められました。世間の人は本気で信じて、そのとおりだと考えました。聖人は疑わしいことを重く見て、それ以上定めようとはしませんでした。世の学者は浅い議論をして、それ以上は弁じ分けませんでした。儒者は古いものを正しいとして、そこから説を作り出したのです。
解説
王充は、禹や殷の祖、周の后稷の母が、薏苡や燕の卵を呑んだり巨人の足跡を踏んだりして身ごもったという出生譚を、姓に合わせて作られた作り話だと退けます。ここはその広まった経緯を述べた箇所で、人は不思議な話を好み、疑わしいまま放置され、学者は浅い議論で済ませ、儒者は古いものを正しいとして説を重ねる、という連鎖を示しています。社内に伝わる創業秘話や成功の定説も、同じ流れでできあがることがあります。出どころと根拠を確かめる習慣が、組織の目を曇らせません。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
奇怪世俗儒生定説出生譚疑い
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