論衡 / 『論衡』骨相篇第十一・功臣の去り際を見極める
范蠡去越、自齊遺大夫種書曰:「飛鳥盡、良弓藏、狡兔死、走犬烹。越王為人長頸鳥喙、可與共患難、不可與共容樂。子何不去?」大夫種不能去、稱病不朝、賜劍而死。
新字:范蠡去越、自斉遺大夫種書曰:「飛鳥尽、良弓蔵、狡兔死、走犬烹。越王為人長頸鳥喙、可与共患難、不可与共容楽。子何不去?」大夫種不能去、称病不朝、賜剣而死。
書き下し
范蠡、越を去り、斉より大夫種に書を遺りて曰く、「飛鳥尽きて、良弓蔵められ、狡兔死して、走犬烹らる。越王の人と為りは長頸鳥喙、与に患難を共にすべきも、与に容楽を共にすべからず。子は何ぞ去らざる」と。大夫種は去る能わず、病と称して朝せず、剣を賜りて死す。
現代語訳
范蠡は越を去ったのち、斉から大夫の種に手紙を送りました。「飛ぶ鳥がいなくなれば良い弓はしまわれ、すばしこい兎が死ねば走る犬は煮られます。越王は首が長く口が鳥のくちばしのような人相で、苦難は共にできても、安楽は共にできません。あなたはなぜ去らないのですか」。大夫の種は去ることができず、病気と称して朝廷に出なくなり、剣を賜って死にました。
解説
苦難のときに頼られた功臣が、天下が安定すると用済みとして扱われる。范蠡が文種に宛てた警告は、史記にも見える有名な話です。王充はこれを、人相から人の性質を読み取れる例として引きますが、現代の読者には、トップの性格を見極めて去就を決めた范蠡の判断力が参考になります。創業期に必要だった人材が、安定期には居場所を失うことは、今の組織にもあります。役割の変化を前もって話し合うことが、関係を壊さない手段です。人相という見方自体は、根拠が乏しいものとして読みたいところです。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
范蠡文種功臣狡兔死して走狗烹らる去就人相
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史記 越王句践世家范蠡遂に去り、斉より大夫種に書を遺りて曰く、「蜚鳥尽きて、良弓蔵せられ、狡兔死して、走狗烹らる。越王の人と為り長頸鳥喙、与に患難を共にす可し、与に楽を共にす可からず。子何ぞ去らざる」と。種書を見て、病と称して朝せず。人或いは種且に乱を作さんとすと讒す、越王乃ち種に剣を賜ふ。種遂に自殺す。
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『韓非子』內儲說下六微第三十一太宰嚭、大夫種に書を遺りて曰く「狡兔盡くれは則ち良犬烹らる。敵國滅ぶれば則て謀臣亡ぶ。」
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『長短経』懼戒今、足下忠信を行いて以て漢王に交わらんと欲するも、必ず二君の相与するより固きこと能わず。而して事は張黶・陳沢より大なるもの多し。故に臣以為えらく、足下の漢王の己を危うくせざるを必とするも、亦た誤れり、と。大夫種・范蠡は、亡越を存し、勾践を伯たらしめ、功を立て名を成して身死亡す。諺に曰く『野獣尽きて猟狗烹られ、敵国破れて謀臣亡ぶ』と。夫れ交友を以て之を言えば、則ち張耳の成安君に与するに如かず。忠信を以て之を言えば、則ち大夫種の句践に於けるに過ぎず。此の二人の者は、以て観るに足る。願わくは足下深く之を慮れ。
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三略・中略人臣深く中略に暁かなれば、則ち能く功を全うし身を保つ。夫れ高鳥死して、良弓蔵められ、敵国滅びて、謀臣亡ぶ。亡ぶとは、其の身を喪ふに非ざるなり。其の威を奪ひ、其の権を廃するを謂ふなり。之を朝に封じ、人臣の位を極め、以て其の功を顕はす。中州の善国、以て其の家を富まし、美色珍玩、以て其の心を悦ばしむ。
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史記 越王句践世家句踐范蠡をして国政を治めしめんと欲す、蠡対へて曰く、「兵甲の事は、種は蠡に如かず、国家を填撫し、百姓を親附するは、蠡は種に如かず」と。是に於て国政を挙げて大夫種に属す。
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史記 范雎蔡沢列伝身の服する所の者七十余城、功已に成れり、而して遂に剣を賜はりて杜郵に死す。呉起は楚の悼王の為に法を立て、大臣の威重を卑減し、無能を罷め、無用を廃し、不急の官を損じ、私門の請ひを塞ぎ、楚国の俗を一にし、游客の民を禁じ、耕戦の士を精にし、南のかた楊越を収め、北のかた陳・蔡を并せ、横を破り従を散じ、馳説の士をしてその口を開く所無からしめ、朋党を禁じて以て百姓を励まし、楚国の政を定め、兵は天下に震ひ、威は諸侯を服す。功已に成れり、而して卒に枝解せらる。大夫種は越王の為に深謀遠計し、会稽の危ふきを免れ、亡を以て存と為し、辱に因りて栄と為し、草を墾き邑に入れ、地を辟き穀を殖やし、四方の士を率ゐ、上下の力を専らにし、句践の賢を輔け、夫差の讎に報い、卒に勁呉を擒にす。越をして霸を成さしむ。功已に彰れて信なり、句践終に負きてこれを殺す。此の四子の者は、功成りて去らず、禍此に至る。此れ所謂信びて詘する能はず、往きて返る能はざる者なり。范蠡これを知り、超然として世を辟け、長く陶朱公と為る。君独り夫の博する者を観ずや。或いは大いに投ぜんと欲し、或いは功を分かたんと欲す。此れ皆君の明らかに知る所なり。今、君秦に相たり、計は席を下らず、謀は廊廟を出でずして、坐して諸侯を制し、利は三川に施し、以て宜陽を実たし、羊腸の険を決し、太行の道を塞ぎ、また范・中行の涂を斬り、六国をして合従するを得ざらしめ、桟道千里、蜀漢に通じ、天下をして皆秦を畏れしむ。秦の欲得たり、君の功極まれり、此れまた秦の功を分かつの時なり。是くの如くにして退かずんば、則ち商君・白公・呉起・大夫種是れなり。吾これを聞く、『水に鑒みる者は面の容を見、人に鑒みる者は吉と凶とを知る』と。書に曰く『成功の下には、久しく処るべからず』と。四子の禍、君何ぞ居らんや。