論衡 / 『論衡』率性篇第八・偏りを韋と弦で補う
西門豹急、佩韋以自緩;董安於緩、帶弦以自促。急之與緩、俱失中和、然而韋弦附身、成為完具之人。能納韋弦之教、補接不足、則豹、安於之名、可得參也。
新字:西門豹急、佩韋以自緩;董安於緩、帯弦以自促。急之与緩、倶失中和、然而韋弦附身、成為完具之人。能納韋弦之教、補接不足、則豹、安於之名、可得参也。
書き下し
西門豹は急にして、韋を佩びて以て自ら緩くし、董安于は緩にして、弦を帯びて以て自ら促す。急と緩とは、俱に中和を失うも、然れども韋弦身に附きて、完具の人と成る。能く韋弦の教えを納れて、不足を補接せば、則ち豹・安于の名、参ずべきを得べし。
現代語訳
西門豹は気が短かったので、なめし革を身につけて自分をゆるめ、董安于はのんびりだったので、弓弦を身につけて自分を急がせました。短気とのんびりは、どちらも中庸を欠いていますが、革や弦を身につけることで、整った人になりました。革や弦の戒めを受け入れて足りないところを補えば、西門豹や董安于の名声に並ぶことができるでしょう。
解説
西門豹と董安于の逸話は、自分の偏りを自覚し、道具で補った例として知られ、韓非子にも見えます。王充はここで、性格の偏りは欠点のまま終わらず、教えや工夫で補えると述べます。管理職にとっても、決断が早すぎる、慎重すぎるといった癖は急には変えられませんが、手帳や会議の仕組みで補うことはできます。自分の癖を知り、補う仕組みを持った人が、バランスの取れたリーダーになります。部下の癖に対しても、人格を責めず、補う仕組みを一緒に作る姿勢が役立ちます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
西門豹董安于偏り中庸自己管理
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