論衡 / 『論衡』率性篇第八・名御者は駄馬を良馬に変える
王良、造父稱為善御、(不)能使不良為良也。如徒能御良、其不良者不能馴服、此則駔工庸師服馴技能、何奇而世稱之?故曰:王良登車、馬不罷駑;堯、舜為政、民無狂愚。傳曰:「堯、舜之民可比屋而封、桀、紂之民可比屋而誅。」斯民也、三代所以直道而行也。
新字:王良、造父称為善御、(不)能使不良為良也。如徒能御良、其不良者不能馴服、此則駔工庸師服馴技能、何奇而世称之?故曰:王良登車、馬不罷駑;堯、舜為政、民無狂愚。伝曰:「堯、舜之民可比屋而封、桀、紂之民可比屋而誅。」斯民也、三代所以直道而行也。
書き下し
王良・造父は善く御すと称せらるるは、不良をして良ならしむる能うればなり。如し徒だ良を御する能うのみにして、其の不良なる者を馴服する能わずんば、此れ則ち駔工庸師の馴を服する技能にして、何の奇ありて世これを称せんや。故に曰く、王良車に登れば、馬に罷駑無く、堯・舜政を為せば、民に狂愚無しと。伝に曰く、「堯・舜の民は屋を比べて封ずべく、桀・紂の民は屋を比べて誅すべし」と。斯の民や、三代の直道にして行う所以なり。
現代語訳
王良や造父が名御者と称えられるのは、素質のよくない馬を良い馬に変えられるからです。もし良い馬を御せるだけで、よくない馬を従わせられないのなら、それは馬の仲買人や並の師匠でも持っている馴らす技術で、何も珍しくなく、世間が称えるはずがありません。だから、王良が車に乗れば疲れた駄馬はなく、堯や舜が政治を行えば民に狂人や愚か者はいない、と言われます。伝にはこうあります。「堯・舜の民は家並みごとに諸侯に封じられるほどで、桀・紂の民は家並みごとに誅されるほどである」と。この民こそ、三代が正しい道をまっすぐ行えた拠り所となった民でした。
解説

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