論衡 / 『論衡』逢遇篇第一・時機に合わせ続けた老人
對曰:「吾仕數不遇、自傷年老失時、是以泣也。」人曰:「仕奈何不一遇也?」對曰:「吾年少之時、學為文。文德成就、始欲仕宦、人君好用老。用老主亡、後主又用武、吾更為武。武節始就、武主又亡。少主始立、好用少年、吾年又老。是以未嘗一遇。」仕宦有時、不可求也。夫希世准主、尚不可為;況節高志妙、不為利動、性定質成、不為主顧者乎?
新字:対曰:「吾仕数不遇、自傷年老失時、是以泣也。」人曰:「仕奈何不一遇也?」対曰:「吾年少之時、学為文。文徳成就、始欲仕宦、人君好用老。用老主亡、後主又用武、吾更為武。武節始就、武主又亡。少主始立、好用少年、吾年又老。是以未嘗一遇。」仕宦有時、不可求也。夫希世准主、尚不可為;況節高志妙、不為利動、性定質成、不為主顧者乎?
書き下し
対えて曰く、「吾れ仕えて数しば遇わず、自ら年老い時を失うを傷む、是を以て泣くなり」と。人曰く、「仕えて奈何ぞ一たびも遇わざる」と。対えて曰く、「吾れ年少の時、学びて文を為す。文徳成就し、始めて仕宦せんと欲するに、人君は老を用うるを好む。老を用いし主亡び、後の主は又た武を用う。吾れ更めて武を為す。武節始めて就るに、武の主又た亡ぶ。少主始めて立ち、少年を用うるを好む。吾が年又た老ゆ。是を以て未だ嘗て一たびも遇わず」と。仕宦に時有り、求むべからざるなり。夫れ世に希い主に准うすら、尚お為すべからず。況んや節高く志妙にして、利に動かされず、性定まり質成りて、主の顧みるところと為らざる者をや。
現代語訳
老人は答えました。「仕えようとして何度も認められず、年をとって時機を逃したことが悲しくて泣いているのです」。人が「どうして一度も認められなかったのですか」と尋ねると、こう答えました。「若いころ、文を学びました。文の徳が身についてさあ仕えようとすると、君主は年寄りを用いるのを好みました。年寄りを用いた君主が亡くなると、次の君主は武を用いたので、私は武を学び直しました。武の心得がやっと身についたころ、その武を好む君主もまた亡くなりました。若い君主が立つと、若者を用いるのを好み、私はまた老いていました。こうして一度も認められなかったのです」。仕官には時機があり、求めても得られるものではありません。世の好みに合わせ、主君に合わせることでさえ、うまくできないのですから、まして節操が高く志が優れ、利に動かされず、性質が定まっているため、主君の目に留まろうとしない人であれば、なおさらです。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
史記 劉敬叔孫通列伝此れ特だ群盜の鼠竊狗盜のみ。何ぞ之を齒牙の閒に置くに足らん。郡守尉今捕へて論ぜん。何ぞ憂ふるに足らん」と。二世喜びて曰く、「善し」と。盡く諸生に問ふに、諸生或いは反と言ひ、或いは盜と言ふ。是に於いて二世御史をして諸生の反と言ふ者を案じて吏に下さしむ。宜しく言ふべき所に非ざればなり。諸々の盜と言ふ者は皆之を罷む。乃ち叔孫通に帛二十匹、衣一襲を賜ひ、拜して博士と為す。叔孫通已に宮を出でて、舍に反る。諸生曰く、「先生何ぞ言の諛へるや」と。通曰く、「公は知らざるなり。我幾ど虎口を脫せざらんとす」と。乃ち亡げ去りて薛に之く。薛已に楚に降れり。項梁の薛に之くに及び、叔孫通之に從ふ。定陶に敗れ、懷王に從ふ。懷王義帝と為り、長沙に徙さる。叔孫通留まりて項王に事ふ。漢の二年、漢王五諸侯に從ひて彭城に入る。叔孫通漢王に降る。漢王敗れて西す。因りて竟に漢に從ふ。叔孫通儒服す。漢王之を憎む。乃ち其の服を變じ、短衣を服す。楚の製なり。漢王喜ぶ。叔孫通の漢に降るや、儒生弟子百餘人を從ふ。然れども通言ひて進むる所無く、專ら諸々の故の群盜壯士を言ひて之を進む。弟子皆竊かに罵りて曰く、「先生に事ふること數歲、幸ひに從ひて漢に降るを得たり。今臣等を進むる能はずして、專ら大猾を言ふは、何ぞや」と。叔孫通之を聞き、乃ち謂ひて曰く、「漢王方に矢石を蒙りて天下を爭ふ。諸生寧ぞ能く鬬はんや。故に先づ將を斬り旗を搴(と)るの士を言ふ。諸生且く我を待て。我忘れず」と。漢王叔孫通を拜して博士と為し、稷嗣君と號す。
-
言志四録・言志録 第百八十二条 幾の至るを候つ処し難きの事に遇はば、妄動するを得ず。須らく幾の至るを候ちて之に応ずべし。
-
史記 周本紀明年、犬戎を伐つ。明年、密須を伐つ。明年、耆国を敗る。殷の祖伊之を聞き、懼れて、以て帝紂に告ぐ。紂曰く、「天命有らずや。是れ何をか能く為さん」と。明年、邘を伐つ。明年、崇侯虎を伐つ。而して豊邑を作り、岐下より徙りて豊に都す。明年、西伯崩じ、太子発立つ。是を武王と為す。西伯蓋し即位五十年。其の羑里に囚はるるや、蓋し易の八卦を益して六十四卦と為す。詩人西伯を道ふに、蓋し命を受けし年に王を称して虞・芮の訟を断ずと。後十年にして崩じ、謚して文王と為す。法度を改め、正朔を制す。古公を追尊して太王と為し、公季を王季と為す。蓋し王の瑞は太王より興る。武王即位し、太公望を師と為し、周公旦を輔と為し、召公・畢公の徒王を左右し、師として文王の緒業を修む。九年、武王上りて畢に祭る。東のかた兵を観し、盟津に至る。文王の木主を為り、載するに車を以てし、中軍とす。武王自ら太子発と称し、文王を奉じて以て伐つと言ひ、敢へて自ら専らにせず。乃ち司馬・司徒・司空・諸節に告ぐ、「斉栗せよ、信なるかな。予無知なれども、先祖に徳臣有るを以て、小子先功を受け、畢く賞罰を立て、以て其の功を定めん」と。遂に師を興す。師尚父号して曰く、「爾の衆庶を総べ、爾の舟楫を与にせよ。後れて至る者は斬らん」と。武王河を渡り、中流にして、白魚躍りて王の舟中に入る。武王俯して取りて以て祭る。既に渡るに、火有りて上より下に復り、王屋に至りて、流れて烏と為る。其の色赤く、其の声魄なりと云ふ。是の時、諸侯期せずして盟津に会する者八百諸侯。諸侯皆曰く、「紂伐つ可し」と。武王曰く、「女未だ天命を知らず、未だ可ならず」と。乃ち師を還して帰る。居ること二年、紂の昏乱暴虐滋甚だしく、王子比干を殺し、箕子を囚ふと聞く。太師疵・少師彊其の楽器を抱きて周に奔る。
-
『呻吟語』内篇・問學・日落ちて城門に趕る日落ちて城門に趕る。一腳遲ければ便ち關ざされたり。何處にか止宿せん。故に學は時に及ぶを貴ぶ。懸崖に孤樹を抱く。一手鬆かなれば便ち脫れたり。何處にか身を落とさん。故に學は力を著くるを貴ぶ。故に老大に傷悲するも、時を追はんと要せば除は是れ再生なり。既に將に得んとするに失ふも、仍前ならんと要せば除は是れ頭より從ふなり。
-
論語・郷党篇色みて斯に挙がり、翔りて後に集まる。曰く、「山梁の雌雉、時なるかな、時なるかな。」子路之を共す。三たび嗅ぎて作つ。
-
説苑・說叢時至らざれば、強いて生ずべからず。事究めざれば、強いて求むべからず。貞良にして亡ぶるは、先人の餘殃なり。猖獗にして活くるは、先人の餘烈なり。權は重きを取り、澤は長きを取る。才賢にして任輕ければ則ち名有り、不肖にして任大なれば身死し名廢る。