論衡 / 『論衡』逢遇篇第一・正しい説より相手が求める説
商鞅三說秦孝公、前二說不聽、後一說用者:前二、帝王之論;後一、霸者之議也。夫持帝王之論、說霸者之主、雖精見距;更調霸說、雖粗見受。何則?精遇孝公所不〔欲〕得、粗遇孝公所欲行也。故說者不在善、在所說者善之;才不待賢、在所事者賢之。馬圄之說無方、而野人說之;子貢之說有義、野人不聽。
新字:商鞅三説秦孝公、前二説不聴、後一説用者:前二、帝王之論;後一、覇者之議也。夫持帝王之論、説覇者之主、雖精見距;更調覇説、雖粗見受。何則?精遇孝公所不〔欲〕得、粗遇孝公所欲行也。故説者不在善、在所説者善之;才不待賢、在所事者賢之。馬圄之説無方、而野人説之;子貢之説有義、野人不聴。
書き下し
商鞅、秦の孝公に三たび説くに、前の二説は聴かれず、後の一説は用いらる。前の二は帝王の論、後の一は霸者の議なればなり。夫れ帝王の論を持して霸者の主に説けば、精なりと雖も距がる。更めて霸説に調えば、粗なりと雖も受けらる。何となれば、精は孝公の欲し得ざる所に遇い、粗は孝公の行わんと欲する所に遇えばなり。故に説く者は善に在らず、説かるる者のこれを善とするに在り。才は賢を待たず、事うる所の者のこれを賢とするに在り。馬圄の説は方無きも、野人これを説び、子貢の説は義有るも、野人聴かず。
現代語訳
商鞅は秦の孝公に三度説きました。最初の二度は聞き入れられず、三度目の説が用いられました。前の二つは帝王の道を論じたもので、あとの一つは覇者の方策を論じたものだったからです。帝王の道を、覇者を志す君主に説けば、どれほど精緻でも退けられます。覇者の説に改めれば、粗くても受け入れられます。なぜなら、精緻な説は孝公が求めていないものに当たり、粗い説は孝公が実行したいことに当たったからです。ですから、説く者の善さが決め手ではなく、聞く側がそれを善いと思うかどうかが決め手になります。才能もそれ自体の賢さで決まるのではなく、仕える相手が賢いと認めるかどうかで決まります。馬飼いの言い分は筋が通っていなくても、田舎の人は喜びました。子貢の言い分は道理にかなっていても、田舎の人は聞き入れませんでした。
解説

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史記 商君列伝公叔既に死し、公孫鞅秦の孝公の令を国中に下して賢者を求め、将に繆公の業を修め、東のかた侵地を復さんとするを聞き、乃ち遂に西のかた秦に入り、孝公の寵臣景監に因りて以て孝公に見えんことを求む。孝公既に衛鞅に見え、事を語ること良久しきも、孝公時時睡りて、聴かず。罷みて孝公景監を怒りて曰く、「子の客は妄人のみ、安くんぞ用ふるに足らんや」と。景監以て衛鞅を譲む。衛鞅曰く、「吾公に説くに帝道を以てす、其の志開悟せざりき」と。後五日、復た鞅に見えんことを求む。鞅復た孝公に見ゆ、益々愈れり、然れども未だ旨に中らず。罷みて孝公復た景監を譲め、景監も亦鞅を譲む。鞅曰く、「吾公に説くに王道を以てして未だ入らざるなり。請ふ復た鞅に見えよ」と。鞅復た孝公に見ゆ、孝公之を善しとすれども未だ用ひざるなり。罷みて去る。孝公景監に謂ひて曰く、「汝の客善し、与に語るべし」と。鞅曰く、「吾公に説くに霸道を以てす、其の意之を用ひんと欲す。誠に復た我に見えば、我之を知れり」と。衛鞅復た孝公に見ゆ。公与に語り、自ら厀の席より前むを知らざるなり。語ること数日にして厭かず。景監曰く、「子何を以て吾が君に中てたる。吾が君の懽び甚だし」と。鞅曰く、「吾君に説くに帝王の道の三代に比するを以てす、而して君曰く、『久遠なり、吾待つ能はず。且つ賢君なる者は、各々其の身に及びて名を天下に顕す、安くんぞ能く邑邑として数十百年を待ちて以て帝王を成さんや』と。故に吾彊国の術を以て君に説く、君大いに之を説ぶのみ。
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『長短経』臣行〔議に曰く、商鞅、初め景監に因りて秦の孝公に見えんことを求む。説くに帝道を以てす。孝公は意に入らず、時時に睡る。後に又た鞅と語り、膝の席を過ぐるを知らず。景監曰く「子、何を以て吾が君に申べたるか。君の歓ぶこと甚だし」と。鞅曰く「始め吾れ公に説くに帝道を以てす。而るに君曰く『久遠なり。安くんぞ能く邑邑として数十百年を待ち、子孫を以て事を成さんや』と。吾れ又た説くに伯道を以てす。其の意、之を欲すれども未だ能わざるなり。吾れ又た強国の術を以て君に説く。君、大いに之を悦ぶ。然れども亦た以て徳を殷周に比し難し」と。
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史記 蘇秦列伝乃ち西のかた秦に至る。秦の孝公卒す。恵王に説きて曰く、「秦は四塞の国、山を被り渭を帯び、東に関河有り、西に漢中有り、南に巴蜀有り、北に代馬有り、此れ天府なり。秦の士民の衆、兵法の教を以て、以て天下を吞み、帝と称して治む可し」と。秦王曰く、「毛羽未だ成らざれば、以て高く蜚ぶ可からず。文理未だ明らかならざれば、以て并兼す可からず」と。方に商鞅を誅し、辯士を疾み、用ゐず。乃ち東のかた趙に之く。趙の粛侯、其の弟成をして相と為さしめ、奉陽君と号す。奉陽君之を説ばず。
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史記 商君列伝孝公既に衛鞅を用ひ、鞅法を変ぜんと欲するも、天下の己を議せんことを恐る。衛鞅曰く、「行ひを疑へば名無く、事を疑へば功無し。且つ夫れ高人の行ひ有る者は、固より世に非とせられ、独知の慮り有る者は、必ず民に敖らる。愚者は成事に闇く、知者は未萌に見る。民は与に始めを慮るべからずして与に成るを楽しむべし。至徳を論ずる者は俗に和せず、大功を成す者は衆に謀らず。是を以て聖人は苟も以て国を彊くすべくんば、其の故に法らず。苟も以て民を利すべくんば、其の礼に循はず」と。孝公曰く、「善し」と。甘竜曰く、「然らず。聖人は民を易へずして教へ、知者は法を変ぜずして治む。民に因りて教ふれば、労せずして功を成し、法に縁りて治むる者は、吏習ひて民之に安んず」と。衛鞅曰く、「竜の言ふ所は、世俗の言なり。常人は故俗に安んじ、学者は聞く所に溺る。此の両者を以て官に居り法を守るは可なり、与に法の外を論ずる所に非ざるなり。三代は礼を同じくせずして王たり、五伯は法を同じくせずして霸たり。智者は法を作り、愚者は焉に制せらる。賢者は礼を更め、不肖者は焉に拘せらる」と。杜摯曰く、「利百ならざれば、法を変ぜず。功十ならざれば、器を易へず。古に法れば過ち無く、礼に循へば邪無し」と。衛鞅曰く、「世を治むるは一道ならず、国に便なるは古に法らず。故に湯武は古に循はずして王たり、夏殷は礼を易へずして亡ぶ。古に反する者は非とすべからず、而して礼に循ふ者は多とするに足らず」と。孝公曰く、「善し」と。衛鞅を以て左庶長と為し、卒に変法の令を定む。
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『商君書』更法公孫鞅曰く、「子の言う所は、世俗の言なり。夫れ常人は故習に安んじ、學者は聞く所に溺る。この兩者は官に居り法を守る所以にして、法の外に論ずる所に非ざるなり。三代は禮を同じくせずして王たり、五霸は法を同じくせずして霸たり。故に知者は法を作り、而して愚者はこれに制せられ、賢者は禮を更め、而して不肖者はこれに拘わる。禮に拘わるの人は、與に事を言うに足らず、法に制せらるるの人は、與に變を論ずるに足らず。君疑うこと無かれ」と。
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史記 老子韓非列伝説く所名高を為すに出づる者なるに、之に説くに厚利を以てせば、則ち下節にして卑賤に遇すと見て、必ず弃遠せられん。説く所厚利に出づる者なるに、之に説くに名高を以てせば、則ち無心にして事情に遠しと見て、必ず収められざらん。説く所実には厚利の為にして顕には名高の為にする者なるに、之に説くに名高を以てせば、則ち陽に其の身を収めて実には之を疏んぜん。若し之に説くに厚利を以てせば、則ち陰に其の言を用ゐて顕に其の身を弃てん。此れ知らざる可からざるなり。