論語と算盤 / 成敗と運命・成敗は身に残る糟粕
抑も豊臣氏愚なるか、徳川氏賢なるか、余は徳川氏をして三百年の泰平の覇業を成さしめたものは、寧ろ運命の然らしむる所であつたと判断する、併しながら此の運命を捉へることが六ケ敷い、常人は往々にして際会せる運命に乗ずるだけの智力を欠いて居るが、家康の如きは其の智力に於て到来せる運命を捕捉したのである。
書き下し
そもそも豊臣氏愚なるか、徳川氏賢なるか、余は徳川氏をして三百年の泰平の覇業を成さしめたものは、むしろ運命のしからしむる所であったと判断する。しかしながらこの運命を捉えることが難しい。常人は往々にして際会せる運命に乗ずるだけの智力を欠いているが、家康のごときはその智力において到来せる運命を捕捉したのである。
現代語訳
そもそも豊臣氏が愚かだったのか、徳川氏が賢かったのか。私は、徳川氏に三百年の泰平の覇業を成し遂げさせたものは、むしろ運命がそうさせたのだと判断する。しかしながら、この運命を捉えることが難しい。普通の人はしばしば、巡り合った運命に乗るだけの知力を欠いているが、家康などは、その知力によって到来した運命をしっかりと捕らえたのである。
解説
前段を受けて、渋沢は問いを立てる。豊臣が愚かだったのか、徳川が賢かったのか。答えは、徳川三百年の泰平はむしろ運命のしからしめたところだ、というものである。ここで彼は運命の力を率直に認めている。だがすぐに続けて、その運命を捉えることこそが難しいと言う。常人は巡り合った運命に乗るだけの智力を欠くが、家康はその智力によって到来した運命を捕らえた。運命がどれほど大きくても、捉える者がいなければ形にならないという見方である。家康は長い忍耐の時期を経て、秀吉の死という機会を逃さず動いた。好機はいつ来るか分からないが、来たときに動けるかどうかは平素の準備で決まる。市場の変化や技術の転換を好機として生かせる組織と、見送ってしまう組織の違いも、この智力の差にある。運を嘆く前に、運が来たときにつかめる備えをしているかが問われる。
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人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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