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論語と算盤 / 成敗と運命・成敗は身に残る糟粕

広い世界には、成功すべくして失敗した例は幾らもある、智者は自ら運命を作ると聞いて居るが、運命のみが人生を支配するものでは無い、智恵が之に伴うて始めて運命を開拓することが出来るのである、如何に善良の君子でも、肝腎な智力が乏しくて、イザといふ場合に機会を踏み外したら成功は覚束ない、家康と秀吉とは能く此の事実を証明して居る、仮りに秀吉が八十歳の天寿を保ち、家康が六十で死去したら如何であつたらうか、天下は徳川の手に帰せずして、却つて豊臣の万歳であつたかも知れぬ、然るに数奇なる運命は、徳川氏を助けて豊臣氏に䄃した、単に秀吉の死期が早かつたのみならず、徳川氏には名将智臣が雲の如く集つたが、豊臣氏には淀君といふ嬖妾が権威を擅にして、六尺の孤を託すべき誠忠無二の且元は擯けられ、却つて大野父子が寵用されるといふ有様、加之ならず、石田三成の関東征伐の一挙は、豊臣氏の自滅を急がしむるの好機会を造つた、

書き下し

広い世界には、成功すべくして失敗した例はいくらもある。智者は自ら運命を作ると聞いているが、運命のみが人生を支配するものではない。智恵がこれに伴うて始めて運命を開拓することが出来るのである。いかに善良の君子でも、肝腎な智力が乏しくて、いざという場合に機会を踏み外したら成功は覚束ない。家康と秀吉とはよくこの事実を証明している。仮に秀吉が八十歳の天寿を保ち、家康が六十で死去したらいかがであったろうか。天下は徳川の手に帰せずして、かえって豊臣の万歳であったかも知れぬ。しかるに数奇なる運命は、徳川氏を助けて豊臣氏にわざわいした。単に秀吉の死期が早かったのみならず、徳川氏には名将智臣が雲のごとく集まったが、豊臣氏には淀君という嬖妾が権威をほしいままにして、六尺の孤を託すべき誠忠無二の且元は退けられ、かえって大野父子が寵用されるという有様、しかのみならず、石田三成の関東征伐の一挙は、豊臣氏の自滅を急がしむるの好機会を造った。

現代語訳

広い世界には、成功すべくして失敗した例はいくらでもある。知恵ある者は自ら運命をつくると聞いているが、運命だけが人生を支配するものではない。知恵がそれに伴って初めて運命を切り開くことができるのである。どれほど善良な君子でも、肝心の知力が乏しくて、いざという場合に機会を踏み外したら、成功はおぼつかない。家康と秀吉とは、この事実をよく証明している。かりに秀吉が八十歳の天寿を保ち、家康が六十で死去していたらどうであったろうか。天下は徳川の手に帰さず、かえって豊臣の万歳であったかもしれない。ところが数奇な運命は、徳川氏を助けて豊臣氏にわざわいした。単に秀吉の死期が早かったばかりでなく、徳川氏には名将や知恵ある臣下が雲のように集まったが、豊臣氏では淀君という寵愛された側室が権威をほしいままにし、幼い主君を託すべき誠忠無二の片桐且元は退けられ、かえって大野治長父子が重用されるという有様であった。そればかりか、石田三成が関東の家康を討とうとした挙兵は、豊臣氏の自滅を早める好機をつくったのである。

解説

渋沢は運命と智恵の関係を、家康と秀吉の対比で説く。秀吉は六十代の初めに没し、家康は七十五歳まで生きた。もし寿命が逆なら天下は豊臣のものだったかもしれない、と。さらに、徳川には名将智臣が集まったが、豊臣家では淀殿が権勢をふるい、幼い秀頼を託すべき片桐且元が退けられて大野治長らが重んじられ、石田三成の挙兵が関ヶ原を経て豊臣の自滅を早めた、と具体的に並べる。「六尺の孤を託す」は『論語』泰伯篇の曽子の言葉「以て六尺の孤を託すべく」で、幼君を安心して任せられる臣を言う。淀殿を「嬖妾」と呼ぶのは当時通行の見方で、今日の歴史研究では見直しも進んでいる。渋沢の要点は、運命だけでも善良さだけでも足りず、機会を捉える智力が要るということである。善意の経営者でも、判断を誤り人事を誤れば組織は傾く。徳と智の両方を求める渋沢の常識論がここにも表れている。

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