論語と算盤 / 成敗と運命・成敗は身に残る糟粕
世の中には悪運が強くて成功したかの如くに見える人がないでもない、併し人を見るに、単に成功とか又は失敗とかを標準とするのが根本的誤りではあるまいか、人は人たるの務を標準として一身の行路を定めねばならぬので、謂ゆる失敗とか成功とかいふものは問題外で、仮りに悪運に乗じて成功したものがあらうが、善人が運拙くして失敗した者があらうが、それを見て失望したり悲観したりするには及ばないでは無いか、成功や失敗の如きは、唯丹精した人の身に残る糟粕のやうなものである。現代の人の多くは、唯成功とか失敗とかいふことのみを眼中に置いて、それよりもモツト大切な天地間の道理を見て居ない、彼等は実質を生命とすることが出来ないで、糟粕に等しい金銭財宝を主として居るのである、人は唯人たるの務を完うすることを心掛け、自己の責務を果し行ひて、以て安んずることに心掛けねばならぬ。
書き下し
世の中には悪運が強くて成功したかのごとくに見える人がないでもない。しかし人を見るに、単に成功とかまたは失敗とかを標準とするのが根本的誤りではあるまいか。人は人たるの務めを標準として一身の行路を定めねばならぬので、いわゆる失敗とか成功とかいうものは問題外で、仮に悪運に乗じて成功したものがあろうが、善人が運拙くして失敗した者があろうが、それを見て失望したり悲観したりするには及ばないではないか。成功や失敗のごときは、ただ丹精した人の身に残る糟粕のようなものである。現代の人の多くは、ただ成功とか失敗とかいうことのみを眼中に置いて、それよりももっと大切な天地間の道理を見ていない。彼らは実質を生命とすることが出来ないで、糟粕に等しい金銭財宝を主としているのである。人はただ人たるの務めを完うすることを心掛け、自己の責務を果たし行いて、もって安んずることに心掛けねばならぬ。
現代語訳
世の中には、悪運が強くて成功したかのように見える人がいないわけではない。しかし人を見るのに、ただ成功とか失敗とかを基準にするのが根本的な誤りではあるまいか。人は人としての務めを基準として一生の道筋を定めなければならないのであって、いわゆる失敗とか成功とかいうものは問題外である。かりに悪運に乗じて成功した者がいようが、善人が運に恵まれず失敗した者がいようが、それを見て失望したり悲観したりするには及ばないではないか。成功や失敗などは、ただ精魂を込めて努めた人の身に残るかすのようなものである。現代の人の多くは、ただ成功とか失敗とかいうことだけを眼中に置いて、それよりももっと大切な天地の間の道理を見ていない。彼らは実質を命とすることができず、かすに等しい金銭や財宝を主にしているのである。人はただ、人としての務めを全うすることを心がけ、自分の責務を果たし行って、それによって心安らかであることを心がけなければならない。
解説
関連する章句
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『論語と算盤』成敗と運命・成敗は身に残る糟粕一時の成敗は長い人生、価値の多い生涯における泡沫のごときものである。しかるにこの泡沫のごときものに憧れて、目前の成敗のみを論ずる者が多いようでは、国家の発達進歩も思いやられる。よろしくそのような浮薄な考えは一掃し去りて、社会に処して実質のある生活をするがよい。いやしくも事の成敗以外に超然として立ち、道理に則って一身を終始するならば、成功失敗のごときは愚か、それ以上に価値ある生涯を送ることが出来るのである。いわんや成功は人たるの務めを完うしたるより生ずる糟粕たるにおいては、なおさら意に介するに足らぬではないか。
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『論語と算盤』成敗と運命・成敗は身に残る糟粕とにかく人は誠実に努力黽勉して、自ら運命を開拓するがよい。もしそれで失敗したら、自己の智力が及ばぬためと諦め、また成功したら智恵が活用されたとして、成敗にかかわらず天命に托するがよい。かくて敗れてもあくまで勉強するならば、いつかは再び好運に際会する時が来る。人生の行路は様々で、時に善人が悪人に負けたごとく見えることもあるが、長い間の善悪の差別は確然とつくものである。ゆえに成敗に関する是非善悪を論ずるよりも、まず誠実に努力すれば、公平無私なる天は、必ずその人に福し運命を開拓するように仕向けてくれるのである。
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『論語と算盤』成敗と運命・失敗らしき成功これらの事実より推して考えると、世のいわゆる成功は必ずしも成功でなく、世のいわゆる失敗は必ずしも失敗でないということがすこぶる明瞭になるが、会社事業その他一般営利事業のごとき、物質上の効果を挙げるのを目的とするものにあっては、もし失敗すると、出資者その他の多くの人にも迷惑を及ぼし多大の損害を掛ける事があるから、何が何でも成功するように努めねばならぬものであるが、精神上の事業においては、成功を眼前に収めようとするごとき浅慮をもってすれば、世の糟を喫するがごとき弊に陥って、毫も世道人心の向上に貢献するを得ず、永遠の失敗に終わるものである。例えば新聞雑誌のごときものを発行して、一世を覚醒せんとしても、この目的を達するがために時流に逆らって反抗すれば、時にあるいは奇禍を買って、世のいわゆる失敗に陥り、苦い経験をなめねばならぬごとき場合がないとも限らぬのである。しかしそれは決して失敗ではない。
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『論語と算盤』成敗と運命・それ唯忠恕のみ仮に前者と後者とを対照して、そのいずれを執るかを諸氏に試問したならば、前者を執ることの最も賢く、後者を執ることの最も愚かなるを明答せらるることであろう。またよく世人が口癖のように運の善悪ということを説くが、そもそも人生の運というものは十中の一二、あるいは予定があるかも知れぬ。しかしながらたといこれが予定なりとしてみたところが、自ら努力して運なるものを開拓せねば、決してこれを把持するということは不可能である。愉快に事務を執りつつ一方に大なる災厄を招致すると、そのはじめただに天淵のみであるまい。諸氏もまた必ずその一方を捨てて他の一方を把持せられんことを熱望せらるるであろう。そうして諸氏が銘々その事業上に大なる趣味と大なる感興とを持たるると同時に、その内容の充実を期さねばならぬ。まして救済事業のごときは、その性質上注意の上にもなお一層の注意を払い、努めてその内容の豊富ならんことにおいて遺憾なきを期すべきである。
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『論語と算盤』成敗と運命・失敗らしき成功文筆言論、その他すべて精神的方面の事業に従事する者が、今のいわゆる成功を生前に収めようとしてもがけば、かえって時流に阿り、効果を急ぐがために、社会に益を与えぬようなことになる。さればとていかに精神的事業でも、いたずらに大言壮語して、人生の根本に触るることの出来ぬ大きな目論見ばかり立てて、毫も努力する所がないようでは、百載の後、たとい黄河の澄む期節があっても、到底失敗に終わり、最後の成功を収め得らるべきものでない。渾身の努力をさえ尽くしていれば、精神的事業においての失敗は決して失敗ではない。あたかも孔夫子の遺業が、今日世界幾百千万の人に安心立命の基礎を与えつつあるごとく、後昆を裨益し、人心の向上発達に貢献し得ることになり得るものである。
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『論語と算盤』成敗と運命・成敗は身に残る糟粕道理は天における日月のごとく、終始昭々乎として毫も昧まさざるものであるから、道理に伴うて事をなす者は必ず栄え、道理に悖って事を計る者は必ず亡ぶる事と思う。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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