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論語と算盤 / 成敗と運命・細心にして大胆なれ

世界の大勢は日に月に動いて競争は激甚となり、文物は日進月歩の有様であるが、我国は不幸にして久しい間鎖国の状態にあつたので、世界の趨勢に後れた、開国以来たとひ列国を驚異せしむる程の急速の進歩をなしたとは言へ、万般の事物が彼に後れて居ることは争はれぬ、即ち後進国の状態を免れないのである、故に彼の先進国と競争し角逐し、更に之を凌駕して行かうとするには、彼に倍する努力を以て進まねばならぬ、多少にても個人の向上を助け、国運を進転せしむる事には、全力を傾倒して進取する勇猛心を必要とするのである、然れば従来の事業を後生大事に保守し、或は過失失敗を虞れて逡巡する如き弱い気力では、到底国運の退嬰を来さずには居らぬのである、是非とも深く此点を考へて、大に計画もし発達もして、真実の価値ある一等国と成らねばならぬ、潑溂たる進取の気力を養ふことは勿論、且つ発揮する必要を痛切に感ずることは、現時に於て特更である。

新字:世界の大勢は日に月に動いて競争は激甚となり、文物は日進月歩の有様であるが、我国は不幸にして久しい間鎖国の状態にあつたので、世界の趨勢に後れた、開国以来たとひ列国を驚異せしむる程の急速の進歩をなしたとは言へ、万般の事物が彼に後れて居ることは争はれぬ、即ち後進国の状態を免れないのである、故に彼の先進国と競争し角逐し、更に之を凌駕して行かうとするには、彼に倍する努力を以て進まねばならぬ、多少にても個人の向上を助け、国運を進転せしむる事には、全力を傾倒して進取する勇猛心を必要とするのである、然れば従来の事業を後生大事に保守し、或は過失失敗を虞れて逡巡する如き弱い気力では、到底国運の退嬰を来さずには居らぬのである、是非とも深く此点を考へて、大に計画もし発達もして、真実の価値ある一等国と成らねばならぬ、溌溂たる進取の気力を養ふことは勿論、且つ発揮する必要を痛切に感ずることは、現時に於て特更である。

書き下し

世界の大勢は日に月に動いて競争は激甚となり、文物は日進月歩の有様であるが、我が国は不幸にして久しい間鎖国の状態にあったので、世界の趨勢に後れた。開国以来たとい列国を驚異せしむるほどの急速の進歩をなしたとは言え、万般の事物が彼に後れていることは争われぬ。すなわち後進国の状態を免れないのである。ゆえにかの先進国と競争し角逐し、さらにこれを凌駕して行こうとするには、彼に倍する努力をもって進まねばならぬ。多少にても個人の向上を助け、国運を進転せしむる事には、全力を傾倒して進取する勇猛心を必要とするのである。しからば従来の事業を後生大事に保守し、あるいは過失失敗を虞れて逡巡するごとき弱い気力では、到底国運の退嬰を来たさずにはおらぬのである。是非とも深くこの点を考えて、大いに計画もし発達もして、真実の価値ある一等国と成らねばならぬ。溌溂たる進取の気力を養うことはもちろん、かつ発揮する必要を痛切に感ずることは、現時において特更である。

現代語訳

世界の大勢は日ごと月ごとに動いて競争は激しくなり、文化や文物は日進月歩の有様であるが、我が国は不幸にして長いあいだ鎖国の状態にあったので、世界の趨勢に後れた。開国以来、たとえ列国を驚かせるほどの急速な進歩を遂げたとはいえ、あらゆる事物が彼らに後れていることは争えない。つまり後進国の状態を免れていないのである。だから、あの先進国と競争し、張り合い、さらにそれを凌いでいこうとするなら、彼らの倍の努力をもって進まなければならない。少しでも個人の向上を助け、国運を前へ進めることには、全力を傾けて進んで取り組む勇猛心が必要なのである。そうであれば、これまでの事業を後生大事に守り、あるいは過ちや失敗を恐れてためらうような弱い気力では、とうてい国運の後退を招かずにはいない。ぜひともこの点を深く考え、大いに計画もし発達もして、真に価値ある一等国とならなければならない。溌溂とした進取の気力を養うことはもちろん、それを発揮する必要を痛切に感じるのは、現在においてことさらである。

解説

渋沢は日本の立ち位置を冷静に見る。長い鎖国で世界の趨勢に後れ、開国後に列国を驚かせるほどの急速な進歩を遂げたとはいえ、万般の事物ではなお後れている、つまり後進国だ、と。だから先進国に追いつき追い越すには倍の努力が要り、過失や失敗を恐れて逡巡する弱い気力では国運が退く。「一等国」という言葉は日露戦争後に広く使われた国家目標の言い方で、当時の国家主義的な時代の空気を映している。ただ渋沢の議論の芯は、国の威信よりも、個人の向上と進取の気力にある。幕末に徳川昭武に随行してパリ万国博覧会と欧州の産業を目の当たりにし、帰国後に銀行や製紙、紡績、鉄道などの事業を次々と興した人にとって、後れを取り戻す道は挑戦を続けることしかなかった。後発の企業が守りの姿勢で先行者を追っても追いつけないという教えは、今も変わらない。

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