学問のすゝめ / 十編・前編のつづき、中津の旧友に贈る・その智恵の鋒を争うの相手は外国人なり
農となり、商となり、学者となり、官員となり、書を著わし、新聞紙を書き、法律を講じ、芸術を学び、工業も起こすべし、議院も開くべし、百般の事業行なうべからざるものなし。しかもこの事業を成し得て、国中の兄弟相鬩ぐにあらず、その智恵の鋒を争うの相手は外国人なり、この智戦に利あればすなわちわが国の地位を高くすべし。これに敗すればわが地位を落とすべし。その望み大にして期するところ明らかなりと言うべし。もとより天下の事を現に施行するには前後緩急あるべしといえども、到底この国に欠くべからざるの事業は、人々の所長によりて今より研究せざるべからず。いやしくも処世の義務を知る者は、この時に当たりてこの事情を傍観するの理なし。学者勉めざるべからず。
書き下し
農となり、商となり、学者となり、官員となり、書を著わし、新聞紙を書き、法律を講じ、芸術を学び、工業も起こすべし、議院も開くべし、百般の事業行なうべからざるものなし。しかもこの事業を成し得て、国中の兄弟相鬩ぐにあらず、その智恵の鋒を争うの相手は外国人なり、この智戦に利あればすなわちわが国の地位を高くすべし。これに敗すればわが地位を落とすべし。その望み大にして期するところ明らかなりと言うべし。もとより天下の事を現に施行するには前後緩急あるべしといえども、到底この国に欠くべからざるの事業は、人々の所長によりて今より研究せざるべからず。いやしくも処世の義務を知る者は、この時に当たりてこの事情を傍観するの理なし。学者勉めざるべからず。
現代語訳
農民となり、商人となり、学者となり、官員となり、書を著し、新聞を書き、法律を講じ、芸術を学び、工業も起こすべく、議院も開くべきで、あらゆる事業で行えないものはありません。しかもこの事業を成し遂げるにあたって、国中の兄弟が争い合うのではなく、その知恵の矛先を争う相手は外国人です。この知恵の戦いに利があればわが国の地位を高められます。これに敗れればわが地位を落とします。その望みは大きく、期するところは明らかだと言うべきです。もとより天下の事を実際に行うには順序や緩急があるでしょうが、結局この国に欠かせない事業は、人々がそれぞれの得意に応じて今から研究しなければなりません。かりにも世に処する義務を知る者は、このときに当たってこの事情を傍観する道理はありません。学者は努めなければなりません。
解説
この章句が説くこと
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老子・第3章賢を尚ばざれば、民をして争わざらしむ。得難きの貨を貴ばざれば、民をして盗を為さざらしむ。欲すべきを見さざれば、民の心をして乱れざらしむ。是を以て聖人の治は、其の心を虚しくし、其の腹を実たし、其の志を弱くし、其の骨を強くす。常に民をして無知無欲ならしめ、夫の智者をして敢えて為さざらしむ。無為を為せば、則ち治まらざる無し。
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『管子』大匡四年、兵を修め、同甲十萬、車五十乘。管仲に謂いて曰く、「吾が士既に練れ、吾が兵既に多し、寡人魯を服せんと欲す」と。管仲喟然として嘆じて曰く、「齊國危うし、君德を競わずして、兵を競う。天下の國、帶甲十萬なる者鮮なからず。吾小兵を發して以て大兵を服せんと欲す、内には吾が衆を失う。諸侯備えを設け、吾が人詐を設く、國危うき無からんと欲するも、得已めんや」と。公聽かず、果たして魯を伐つ。魯敢えて戰わず、國を去ること五十里にして之が關を為す。魯關内に比するを請い、以て齊に從い、齊も亦た復た魯を侵す毋し。桓公許諾す。
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『管子』重令菽粟足らず、末生禁ぜられざれば、民必ず飢餓の色有り、而して工は雕文刻鏤を以て相稺る、之を逆と謂う。布帛足らず、衣服に度毋ければ、民必ず凍寒の傷有り、而して女は美衣錦繡綦組を以て相稺る、之を逆と謂う。萬乘藏兵の國、卒野戰して敵に應ずる能わざれば、社稷必ず危亡の患有り、而して士は分役無きを以て相稺る、之を逆と謂う。人に爵するに能を論ぜず、人に禄するに功を論ぜざれば、則ち士は制を行い節に死する為す無く、而して羣臣は必ず外に通じて請謁し、權を取り道を行い、便辟に事え、貴富を以て榮華と為して以て相稺る、之を逆と謂う。
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『学問のすゝめ』五編・明治七年一月一日の詞・文明の事件はことごとくわが私有となしその科は枚挙に遑あらず。商売勤めざるべからず、法律議せざるべからず、工業起こさざるべからず、農業勧めざるべからず、著書・訳術・新聞の出版、およそ文明の事件はことごとく取りてわが私有となし、国民の先をなして政府と相助け、官の力と私の力と互いに平均して一国全体の力を増し、かの薄弱なる独立を移して動かすべからざるの基礎に置き、外国と鋒を争いて毫も譲ることなく、今より数十の新年を経て、顧みて今月今日の有様を回想し、今日の独立を悦ばずしてかえってこれを愍笑するの勢いに至るは、豈一大快事ならずや。学者よろしくその方向を定めて期するところあるべきなり。
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『学問のすゝめ』十編・前編のつづき、中津の旧友に贈る・高利貸といえどもこれに三舎を譲るべし世間諸商売のうちにかかる割合の大利を得るものあるべきや、高利貸といえどもこれに三舎を譲るべし。もとより物価は世の需要の多寡により高低あるものにて、方今、政府をはじめ諸方にて洋学者流を求むること急なるがため、この相場の景気をも生じたるものなれば、あえてその人を奸なりとて咎むるにあらず、またこれを買う者を愚なりとて謗るにあらず、ただわが輩の存意には、この人をしてなお三、五年の艱苦を忍び真に実学を勉強して後に事につかしめなば、大いに成すこともあらんと思うのみ。かくありてこそ日本全国に分布せる智徳に力を増して、はじめて西洋諸国の文明と鋒を争うの場合に至るべきなり。
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『学問のすゝめ』十編・前編のつづき、中津の旧友に贈る・日本の財貨を外国へ棄つることなりただ、今の学者の成業を待ち、この学者をして自国の用を便ぜしむるのほか、さらに手段あるべからず。すなわちこれ学者の身に引き受けたる職分なれば、その責め急なりと言うべし。今わが国内に雇い入れたる外国人は、わが学者未熟なるがゆえにしばらくその名代を勤めしむるものなり。今わが国内に外国の器品を買い入るるは、わが国の工業拙なるがゆえにしばらく銭と交易して用を便ずるものなり。この人を雇いこの品を買うがために金を費やすは、わが学術のいまだ彼に及ばざるがために日本の財貨を外国へ棄つることなり。国のためには惜しむべし。学者の身となりては慚ずべし。かつ人として前途の望みなかるべからず、望みあらざれば世に事を勉むる者なし。明日の幸を望んで今日の不幸をも慰むべし。来年の楽を望んで今年の苦をも忍ぶべし。昔日は世の事物みな旧格に制せられて有志の士といえども望みを養うべき目的なかりしが、今や然らず、この制限を一掃せしより後は、あたかも学者のために新世界を開きしがごとく、天下ところとして事をなすの地位あらざるはなし。