論語と算盤 / 成敗と運命・人事を尽して天命を待て
此れが天命であるか彼れが天命であるとか云ふのは、畢竟人間が自分でそれ〴〵勝手に極めることであつて、天の毫も関知する所ではないのである、故に人間が天命を畏れて、人力の如何ともする能はざる、或る大なる力の存在を認め、人力を尽しさへすれば、無理なことでも不自然なことでも、何でも必ず貫徹するものと思はず、恭、敬、信を以て天に対し、明治天皇の教育勅語のうちに、謂ゆる古今に通じて謬らず、中外に施して悖らぬ、坦々として長安に通ずる大道をのみ歩み、人力に勝ち誇つて無理をしたり、不自然の行為をしたりするのを慎むといふことは、誠に結構の至りであるが、天或は神或は仏を人格人体あり、感情に左右せらる〻ものであるかの如くに解釈するのは、甚だ間違つた観念であらうかと思ふのである。
書き下し
これが天命であるかあれが天命であるとか言うのは、畢竟人間が自分でそれぞれ勝手に極めることであって、天の毫も関知する所ではないのである。ゆえに人間が天命を畏れて、人力のいかんともする能わざる、ある大なる力の存在を認め、人力を尽くしさえすれば、無理なことでも不自然なことでも、何でも必ず貫徹するものと思わず、恭、敬、信をもって天に対し、明治天皇の教育勅語のうちに、いわゆる古今に通じて謬らず、中外に施して悖らぬ、坦々として長安に通ずる大道をのみ歩み、人力に勝ち誇って無理をしたり、不自然の行為をしたりするのを慎むということは、誠に結構の至りであるが、天あるいは神あるいは仏を人格人体あり、感情に左右せらるるものであるかのごとくに解釈するのは、甚だ間違った観念であろうかと思うのである。
現代語訳
これが天命だとかあれが天命だとか言うのは、つまるところ人間が自分でそれぞれ勝手に決めることであって、天の少しも関知するところではない。だから、人間が天命を畏れて、人の力ではどうすることもできないある大きな力の存在を認め、人の力を尽くしさえすれば、無理なことでも不自然なことでも何でも必ず貫き通せるとは思わず、恭しさと敬いと信をもって天に向かい、明治天皇の教育勅語にいう「古今に通じて誤らず、国の内外に施してもとらない」、平らかに長安へ通じる大道だけを歩んで、人の力に勝ち誇って無理をしたり不自然な行いをしたりするのを慎むということは、まことに結構なことである。しかし、天や神や仏を、人格や人の体があって感情に左右されるもののように解釈するのは、はなはだ間違った考えであろうと思うのである。
解説
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『論語と算盤』成敗と運命・人事を尽して天命を待て天命は人間がこれを意識しても、はたまた意識しなくても、四季が順当に行われて行くように、百事百物の間に行われてゆくものたるを覚り、これに対する恭、敬、信をもってせねばならぬものだ、と信じさえすれば、「人事を尽して天命を待つ」なる語のうちに含まるる真正の意義も、初めて完全に解し得られるようになるものかと思う。されば実際世に処して行く上において、いかに天を解してゆくべきものかという問題になれば、孔夫子の解しておられた程度にこれを解して、人格ある霊的動物なりともせず、天地と社会との間に行われる因果応報の理法を偶然の出来事なりともせず、これを天命なりとして恭、敬、信の念をもって対するのが、最も穏当なる考え方であろうかと思うのである。
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『論語と算盤』成敗と運命・人事を尽して天命を待て天の果たしていかなるものであろうかということについては、私の関係している帰一協会などの会合でもしばしば議論の起こるところであるが、ある一部の宗教家中には、天を一種の霊的動物であるかのごとくに解釈し、これを人格ある霊体とし、あたかも人間が手足を動かして、あるいは人に幸福を授けたり不幸を下したりするのみならず、祈禱したりお縋り申したりすれば、天はこれに左右せられて、命を二三にせらるるかのごとくに考えておらるる方もある。しかし天はこれらの宗教家方の考えらるるごとく、人格や人体を具えたり、祈願の有無によって、幸不幸の別を人の運命の上につけるごときものではない。天の命は人のこれを知りもせず覚りもせぬ間に、自然に行われてゆくものである。もとより天は手品師のごとき不可思議の奇蹟などを行うものではない。
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『論語と算盤』成敗と運命・成敗は身に残る糟粕とにかく人は誠実に努力黽勉して、自ら運命を開拓するがよい。もしそれで失敗したら、自己の智力が及ばぬためと諦め、また成功したら智恵が活用されたとして、成敗にかかわらず天命に托するがよい。かくて敗れてもあくまで勉強するならば、いつかは再び好運に際会する時が来る。人生の行路は様々で、時に善人が悪人に負けたごとく見えることもあるが、長い間の善悪の差別は確然とつくものである。ゆえに成敗に関する是非善悪を論ずるよりも、まず誠実に努力すれば、公平無私なる天は、必ずその人に福し運命を開拓するように仕向けてくれるのである。
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『論語と算盤』処世と信条・天は人を罰せず孔夫子が『罪を天に獲れば、祷る所なし』と言われた言葉のうちにある天とは、果たして何であろうか。私は天とは天命の意味で、孔夫子もまたこの意味において天なる語を用いられたものと信ずるのである。人間が世の中に活き働いているのは天命である。草木には草木の天命あり、鳥獣には鳥獣の天命がある。この天命がすなわち天の配剤となって顕れ、同じ人間のうちには、酒を売るものがあったり、餅を売ったりする者があったりするのである。天命にはいかなる聖人賢者とても、必ず服従を余儀なくせられるもので、堯といえどもわが子の丹朱をして帝位を継がしむることあたわず、舜といえどもまた太子の商均をして位に即かしむるわけには行かなかったのである。これみな天命のしからしむるところで、人力のいかんともすべからざるところである。草木はどうしても草木で終わらねばならぬもので、鳥獣に成ろうとして成り得られるものでない。鳥獣とてもまたいかに成ろうとしたからとても、草木には成り得られぬものである。畢竟みな天命である。これによって稽えて見ても、人間は天命に従って行動せねばならぬものであることがすこぶる明らかになる。
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『論語と算盤』処世と信条・大丈夫の試金石もし何人でも自然的逆境に立った場合には、第一にその場合に自己の本分であると覚悟するのが唯一の策であろうと思う。足るを知りて分を守り、これはいかに焦慮すればとて、天命であるから仕方がないとあきらめるならば、いかに処し難き逆境に居ても、心は平らかなるを得るに相違ない。しかるにもしこの場合をすべて人為的に解釈し、人間の力でどうにかなるものであると考えるならば、いたずらに苦労の種を増すばかりか、労して功のない結果となり、ついには逆境に疲れさせられて、後日の策を講ずることも出来なくなってしまうであろう。ゆえに自然的の逆境に処するに当たっては、まず天命に安んじ、おもむろに来るべき運命を待ちつつ、たわまず屈せず勉強するがよい。
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『呻吟語』内篇・談道・人事は就ち是れ天命人事は就ち是れ天命なり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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