論語と算盤 / 教育と情誼・人物過剰の一大原因
然るに今日では教育の方法は極めて宜いが、其の精神を穿き違へて居る為に、学生は自己の才不才、適不適をも弁へず、彼も人なり我も人なり、彼と同一の教育を受けた以上、彼のやる位のことは自分にもやれるとの自負心を起し、自ら卑しい仕事に甘んずる者が少いといふ傾向である、これ昔の教育が百人中一人の秀才を出したに反し、今日は九十九人の普通的人物を造るといふ教育法の長所ではあるが、遺憾ながら其の精神を誤つたので、遂に現在の如く中流以上の人物の供給過剰を見るの結果を齎らしたのである、併し同じ教育の方針を執りつ〻ある、欧米先進国の有様を見るに、教育に因つて斯る弊害を生ずることは少いやうに思ふ、殊に英国の如きは我国に於ける現時の状態とは大に違うて、十分なる常識の発達に意を用ゐ、人格ある人物を造るといふ点に注意して居るやうに見える、固より教育のことに関して其の多くを知らぬ余の如き者の容易に容喙さるべき問題ではないが、大体から観て今日のやうな結果を得る教育は、余り完全なるものであるとは謂はれまいと思ふ。
書き下し
しかるに今日では教育の方法は極めてよいが、その精神を穿き違えているために、学生は自己の才不才、適不適をも弁えず、彼も人なり我も人なり、彼と同一の教育を受けた以上、彼のやるくらいのことは自分にもやれるとの自負心を起こし、自ら卑しい仕事に甘んずる者が少ないという傾向である。これ昔の教育が百人中一人の秀才を出したに反し、今日は九十九人の普通的人物を造るという教育法の長所ではあるが、遺憾ながらその精神を誤ったので、ついに現在のごとく中流以上の人物の供給過剰を見るの結果をもたらしたのである。しかし同じ教育の方針を執りつつある、欧米先進国の有様を見るに、教育によってかかる弊害を生ずることは少ないように思う。ことに英国のごときは我が国における現時の状態とは大いに違うて、十分なる常識の発達に意を用い、人格ある人物を造るという点に注意しているように見える。もとより教育のことに関してその多くを知らぬ余のごとき者の容易に容喙さるべき問題ではないが、大体から観て今日のような結果を得る教育は、あまり完全なるものであるとは言われまいと思う。
現代語訳
ところが今日では、教育の方法はきわめてよいのだが、その精神を取り違えているために、学生は自分に才があるかないか、向いているかいないかもわきまえず、あの人も人間なら自分も人間だ、あの人と同じ教育を受けた以上、あの人がやるくらいのことは自分にもできる、という自負心を起こし、自ら卑しいとされる仕事に甘んじる者が少ないという傾向にある。これは、昔の教育が百人に一人の秀才を出したのに対し、今日は九十九人の普通の人物をつくるという、今の教育法の長所ではあるのだが、残念ながらその精神を誤ったために、ついに現在のように中流以上の人物の供給過剰という結果をもたらしたのである。しかし同じ教育の方針をとっている欧米の先進国の有様を見ると、教育によってこうした弊害が生じることは少ないように思う。とくに英国などは、我が国の現在の状態とは大いに違って、十分な常識を育てることに意を用い、人格ある人物をつくるという点に注意しているように見える。もとより、教育のことについて多くを知らない私のような者が軽々しく口をはさむべき問題ではないが、大体から見て、今日のような結果を生む教育は、あまり完全なものとは言えないだろうと思う。
解説
関連する章句
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『論語と算盤』教育と情誼・人物過剰の一大原因しかるに今日の学生の一般は、その少数しか必要とされない、人を使役する側の人物たらんと志している。つまり学問して高尚な理窟を知って来たから、馬鹿らしくて人の下などに使われることは出来ないようになってしまっている。同時に教育の方針もまた若干その意義を取り違え、無闇に詰込主義の智識教育で能事足れりとするから、同一類型の人物ばかり出来上がり、精神修養を閑却した悲しさには、人に屈するということを知らぬので、いたずらに気位ばかり高くなって行くのだ。
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『論語と算盤』教育と情誼・人物過剰の一大原因かくのごとくんば人物の供給過剰もむしろ当然のことではあるまいか。今更、寺小屋時代の教育を例に引いて論ずる訳ではないが、人物養成の点は不完全ながらも昔の方がうまくいっていた。今日に比較すれば教育の方法などは極めて簡単なもので、教科書と言ったところで、高尚なのが四書五経に八大家文くらいが関の山であったが、それによって養成された人物は、決して同一類型の人物ばかりではなかった。それはもちろん教育の方針が全然異なっていたからではあろうけれども、学生はおのおのその長ずる所に向かって進み、十人十色の人物となって現れたのであった。例えば、秀才はどんどん上達して高尚な仕事に向かったが、愚鈍の者は非望を懐かずに下賤の仕事に安んじて行くという風であったから、人物の応用に困るというような心配は少なかった。
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『論語と算盤』教育と情誼・人物過剰の一大原因経済界に需要供給の原則があるごとく、実社会に投じて活動しつつある人間にも、またこの原則が応用されるようである。言うまでもなく、社会における事業には一定の範囲があって、使うだけの人物を雇い入れると、それ以上は不必要になる。しかるに一方人物は年々歳々たくさんの学校で養成するから、いまだ完全に発達せぬ我が実業界には、とてもそれらの人々を満足させるように使い切ることは不可能である。ことに今日の時代は高等教育を受けた人物の供給が過多になっている傾きが見える。学生は一般に高等の教育を受けて、高尚の事業に従事したいとの希望を持ってかかるから、たちまちそこに供給過多を生じなければやまぬことになってしまう。学生がかくのごとき希望を懐くのは、個人としてはもちろん嘉すべき心掛けであるが、これを一般社会から観、あるいは国家的に打算したらいかがであろうか。余は必ずしも喜ぶべき現象として迎えることは出来ないように思われる。要するに、社会は千篇一律のものではない。
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『論語と算盤』教育と情誼・現代教育の得失一体現代の青年は学問を修める目的を誤っている。論語にも「古の学者は己のためにし、今の学者は人のためにす」と言って嘆じてあるが、移してもって今の時代に当てはめることが出来る。今の青年はただ学問のために学問をしているのである。初めより確然たる目的なく漠然と学問する結果、実際社会に出てから、我は何のために学びしやというがごとき疑惑に襲われる青年が往々にしてある。学問すれば誰でも皆偉い者になれる、という一種の迷信のために、自己の境遇生活状態をも顧みないで、分不相応の学問をする結果、後悔するがごときことがあるのである。
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『論語と算盤』教育と情誼・理論より実際世間一体に、教育のやり方を見ると――私はことに今の中等教育なるものがその弊が甚だしいと思う――単に智識を授けるということにのみ重きを置き過ぎている。換言すれば、徳育の方面が欠けている、確かに欠乏している。また一方に学生の気風を見ると、昔の青年の気風と違って、今ひと呼吸という勇気と努力、それから自覚とが欠けている。かく言えばとて、自分のごとき昔者が決して自慢高慢をする訳ではないが、何しろ当時の教育は学課の科目が多い、あれもこれもという有様であるので、その多い科目の修得にのみ追われて、これ日も足らずという風であってみれば、従って他を顧みるいとまもない勘定で、人格、常識等の修養に心を注ぐことの出来ぬのも自然の数で、返す返すも遺憾千万な訳である。現に処世の人となってる人々はともかくとして、これから世間に出て大いに奮励努力、国家のために尽くそうと思われる方々は、この辺によくよく心を用いてもらいたい。
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『論語と算盤』教育と情誼・現代教育の得失現今でも高等教育を受けた青年の中には、昔の青年に比較して毫も遜色のない者がいくらもある。昔は少数でもよいから、偉い者を出すという天才教育であったが、今は多数の者を平均して啓発するという常識的教育となっているのである。昔の青年は良師を撰ぶということに非常に苦心したもので、有名な熊沢蕃山のごときは中江藤樹のもとへ行ってその門人たらんことを請い願ったが許されず、三日間その軒端を去らなかったので、藤樹もその熱誠に感じて、ついに門人にしたというほどである。その他新井白石の木下順庵における、林道春の藤原惺窩におけるがごときは、皆その良師を択んで学を修め、徳を磨いたのである。
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