論語と算盤 / 成敗と運命・それ唯忠恕のみ
凡そ業は勤むるに精しく、嬉むに荒むといふが、万事が即ちそれである、若し大なる趣味と大なる感興とを以て事業を迎へられたならば、仮令如何に忙しく、又如何程煩はしくとも、倦怠若くは厭忌といふが如き、自己が苦痛を感ずる気分の生ずべき理由はない、若し又これに反して、全然没趣味を以てイヤ〳〵ながら事務に従ふといふ場合には、必ず先づ倦怠を生じ、次で厭忌を生じ、次で不平を生じ、最後には自分が其の職を抛たねばならぬやうになるは、蓋し数の自然である、前者は精神潑溂として愉快の中に趣味なるものを発見し、この趣味よりして無限の感興を惹起し、感興は軈て事業の展開を来たすことに至るものである、而して事業の展開は即ち社会に公益を与ふることになる、後者は精神が萎縮して、怏々欝々、倦怠より困憊を醸し、困憊はやがて其身の滅亡を意味することになる、
新字:凡そ業は勤むるに精しく、嬉むに荒むといふが、万事が即ちそれである、若し大なる趣味と大なる感興とを以て事業を迎へられたならば、仮令如何に忙しく、又如何程煩はしくとも、倦怠若くは厭忌といふが如き、自己が苦痛を感ずる気分の生ずべき理由はない、若し又これに反して、全然没趣味を以てイヤ〳〵ながら事務に従ふといふ場合には、必ず先づ倦怠を生じ、次で厭忌を生じ、次で不平を生じ、最後には自分が其の職を抛たねばならぬやうになるは、蓋し数の自然である、前者は精神溌溂として愉快の中に趣味なるものを発見し、この趣味よりして無限の感興を惹起し、感興は軈て事業の展開を来たすことに至るものである、而して事業の展開は即ち社会に公益を与ふることになる、後者は精神が萎縮して、怏々欝々、倦怠より困憊を醸し、困憊はやがて其身の滅亡を意味することになる、
書き下し
およそ業は勤むるに精しく、嬉むに荒むというが、万事がすなわちそれである。もし大なる趣味と大なる感興とをもって事業を迎えられたならば、たといいかに忙しく、またいかほど煩わしくとも、倦怠もしくは厭忌というがごとき、自己が苦痛を感ずる気分の生ずべき理由はない。もしまたこれに反して、全然没趣味をもっていやいやながら事務に従うという場合には、必ずまず倦怠を生じ、次いで厭忌を生じ、次いで不平を生じ、最後には自分がその職を抛たねばならぬようになるは、けだし数の自然である。前者は精神溌溂として愉快の中に趣味なるものを発見し、この趣味よりして無限の感興を惹起し、感興はやがて事業の展開を来たすことに至るものである。そうして事業の展開はすなわち社会に公益を与うることになる。後者は精神が萎縮して、怏々鬱々、倦怠より困憊を醸し、困憊はやがてその身の滅亡を意味することになる。
現代語訳
およそ仕事は勤めることによって精しくなり、遊び楽しむことによって荒むというが、万事がまさにそれである。もし大きな趣味と大きな感興をもって事業に向かったなら、たとえどれほど忙しく、またどれほど煩わしくとも、飽きや嫌気といった、自分が苦痛を感じる気分が生じるはずはない。もしまたこれに反して、まったく興味を持たず、いやいやながら仕事に従うという場合には、必ずまず飽きが生じ、次いで嫌気が生じ、次いで不平が生じ、最後には自分がその職を投げ出さなければならなくなるのは、思うに自然のなりゆきである。前者は精神が溌溂として、愉快の中に趣味というものを見いだし、この趣味から無限の感興が起こり、感興はやがて事業の展開をもたらすに至る。そして事業の展開は、すなわち社会に公益を与えることになる。後者は精神が萎縮して、うつうつと晴れず、倦怠から疲労困憊を生み、困憊はやがてその身の滅亡を意味することになる。
解説
関連する章句
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『論語と算盤』成敗と運命・それ唯忠恕のみ仮に前者と後者とを対照して、そのいずれを執るかを諸氏に試問したならば、前者を執ることの最も賢く、後者を執ることの最も愚かなるを明答せらるることであろう。またよく世人が口癖のように運の善悪ということを説くが、そもそも人生の運というものは十中の一二、あるいは予定があるかも知れぬ。しかしながらたといこれが予定なりとしてみたところが、自ら努力して運なるものを開拓せねば、決してこれを把持するということは不可能である。愉快に事務を執りつつ一方に大なる災厄を招致すると、そのはじめただに天淵のみであるまい。諸氏もまた必ずその一方を捨てて他の一方を把持せられんことを熱望せらるるであろう。そうして諸氏が銘々その事業上に大なる趣味と大なる感興とを持たるると同時に、その内容の充実を期さねばならぬ。まして救済事業のごときは、その性質上注意の上にもなお一層の注意を払い、努めてその内容の豊富ならんことにおいて遺憾なきを期すべきである。
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『論語と算盤』理想と迷信・この熱誠を要す何事でも自己の掌ることに深い趣味をもって尽しさえすれば、自分の思う通りにすべてが行かぬまでも、心から生ずる理想もしくは慾望のある一部に適合し得られるものと思う。孔子の言に「これを知る者はこれを好む者に如かず、これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」とある。けだしこれは趣味の極致と考える。自分の職掌に対しては必ずこの熱誠がなくてはならぬのである。
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『論語と算盤』成敗と運命・それ唯忠恕のみしかしながら彼らを自業自得の者なりとして、同情をもって臨まぬは甚だよろしくない。それ吾人の須臾も離るべからざる人道なるものは、ひとえに忠恕に存するものであるから、いずれもその職務に忠実にして、しかも且つ仁愛の念に富まねばならぬ。余はあえて彼らをあくまで優遇せよとは言わぬが、これに臨むに常に憐愍の情を欠いてはならぬと言うのである。
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『論語と算盤』理想と迷信・この熱誠を要すいかなる仕事に対しても、近頃の流行語に趣味を持たねばいけぬと言いますが、この趣味という語の定義がどの辺にあるか、学者でないから完全なる解釈を下すことは出来ないが、人が職掌を尽すというにも、この趣味を持つということを深く希望する。趣味という字は理想とも聞こえるし、慾望とも聞こえるし、あるいは好み楽しむというような意味にも聞こえる。ゆえにこの趣味という字を約めて解釈したならば、単にその職分を表面通りに勤めて行くと言うのは、俗に言うお極まり通りで、ただその命令に従ってこれを処して行くのである。しかし趣味を持って事物を処するというのは、我が心から持ち出して、この仕事はかくしてみたい、こうやってみたい、こうなったから、これをこうやったならば、かくなるであろうというように、種々の理想慾望をそこに加えてやって行く。それが始めて趣味を持ったということ、すなわち趣味というのはその辺にあると、私は理解する。
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『論語と算盤』算盤と権利・合理的の経営それから余が事業上の見解としては、一個人に利益ある仕事よりも、多数社会を益して行くのでなければならぬと思い、多数社会に利益を与えるには、その事業が堅固に発達して繁昌して行かなくてはならぬということを常に心にしていた。福沢翁の言に「書物を著しても、それを多数の者が読むようなものでなくては効能が薄い、著者は常に自己のことよりも国家社会を利するという観念をもって筆を執らなければならぬ」という意味のことがあったと記憶している。事業界のこともまたこの理にほかならぬもので、多く社会を益することでなくては正径な事業とは言われない。仮りに一個人のみ大富豪になっても、社会の多数がために貧困に陥るような事業であったならばいかがなものであろうか。いかにその人が富を積んでも、その幸福は継続されないではないか。ゆえに国家多数の富を致す方法でなければいかぬというのである。
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『論語と算盤』成敗と運命・成敗は身に残る糟粕とにかく人は誠実に努力黽勉して、自ら運命を開拓するがよい。もしそれで失敗したら、自己の智力が及ばぬためと諦め、また成功したら智恵が活用されたとして、成敗にかかわらず天命に托するがよい。かくて敗れてもあくまで勉強するならば、いつかは再び好運に際会する時が来る。人生の行路は様々で、時に善人が悪人に負けたごとく見えることもあるが、長い間の善悪の差別は確然とつくものである。ゆえに成敗に関する是非善悪を論ずるよりも、まず誠実に努力すれば、公平無私なる天は、必ずその人に福し運命を開拓するように仕向けてくれるのである。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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