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論語と算盤 / 教育と情誼・孝らしからぬ孝

何でも自然のま〻に任せて、母の思ひ通りにして貰ふところが、或は世間に、私を孝子々々と言ひ囃して下さる所以であらうか』といふのが、信州の孝子の答であつた、これを聞いて近江の孝子も翻然として大に悟り、孝の大本は何事にも強ひて無理をせず、自然のま〻に任せる所にある、孝行のために孝行を力めて来た我身には、まだ〳〵到らぬ点があつたのだと気付くに至つた、と説いた所に道二翁道話の孝行修行の教訓があるのである。

書き下し

何でも自然のままに任せて、母の思い通りにしてもらうところが、あるいは世間に、私を孝子孝子と言いはやして下さる所以であろうか」というのが、信州の孝子の答えであった。これを聞いて近江の孝子も翻然として大いに悟り、孝の大本は何事にも強いて無理をせず、自然のままに任せる所にある、孝行のために孝行を力めて来た我が身には、まだまだ至らぬ点があったのだと気付くに至った、と説いた所に道二翁道話の孝行修行の教訓があるのである。

現代語訳

「何でも自然のままに任せて、母の思いどおりにしてもらうところが、あるいは世間の人が私を孝子だ孝子だと言いはやしてくださる理由なのでしょうか」というのが、信濃の孝子の答えであった。これを聞いて近江の孝子もたちまち大いに悟り、孝の大本は何事にも無理をせず、自然のままに任せるところにある、孝行のために孝行に励んできた自分には、まだまだ至らないところがあったのだと気づくに至った。このように説いたところに、『道二翁道話』の「孝行修行」の教訓があるのである。

解説

道話の結びである。信濃の孝子は、何でも自然のままに任せて母の思いどおりにしてもらうことが、世間に孝子と呼ばれる理由だろうかと答える。近江の孝子はそこで翻然と悟る。孝の大本は無理をせず自然に任せるところにあり、孝行のために孝行を力めてきた自分はまだ至らなかった、と。心学は石田梅岩以来、作為を捨てて本来の心に従うことを重んじた。孝行を「修行」として励む姿勢そのものが、実は作為になっていたのである。渋沢がこの話を教育の部に置いたのは、形から入る道徳教育の危うさを示すためだろう。善い行いは、それを受ける相手の心を離れて自分の手柄になった瞬間に、形だけのものに変わる。部下の育成でも顧客への奉仕でも、相手の望む形を汲み取ることを忘れ、自分の努力の量で善し悪しを測るなら、近江の孝子と同じ落とし穴に落ちる。

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