論語と算盤 / 教育と情誼・孝らしからぬ孝
徳川幕府の中葉より行はれはじめ、神儒仏三道の精神を合せ平易なる言葉を用ゐ、極卑近にして而かも通俗な譬喩を挙げて、実践道徳の鼓吹に力めたものに『心学』といふものがある、八代将軍吉宗公の頃、石田梅巖初めて之を唱へ、かの有名な鳩翁道話なぞも、此の派の手に成つたものであるが、梅巖の門下よりは手島堵庵、中沢道二などの名士出で、この両人の力により、心学は普及せらる〻やうになつたものである。私は曾て此の両人の中の中沢道二翁の筆になつた道二翁道話と題せらる〻一書を読んだことがある、その中に載つてる近江の孝子と信濃の孝子とに就ての話は、未だに忘れ得ざる程意味のある面白いもので、確か孝子修行といふ題目であつたかの如くに記憶して居る。
新字:徳川幕府の中葉より行はれはじめ、神儒仏三道の精神を合せ平易なる言葉を用ゐ、極卑近にして而かも通俗な譬喩を挙げて、実践道徳の鼓吹に力めたものに『心学』といふものがある、八代将軍吉宗公の頃、石田梅巖初めて之を唱へ、かの有名な鳩翁道話なぞも、此の派の手に成つたものであるが、梅巖の門下よりは手島堵庵、中沢道二などの名士出で、この両人の力により、心学は普及せらる〻やうになつたものである。私は曽て此の両人の中の中沢道二翁の筆になつた道二翁道話と題せらる〻一書を読んだことがある、その中に載つてる近江の孝子と信濃の孝子とに就ての話は、未だに忘れ得ざる程意味のある面白いもので、確か孝子修行といふ題目であつたかの如くに記憶して居る。
書き下し
徳川幕府の中葉より行われはじめ、神儒仏三道の精神を合わせ平易なる言葉を用い、ごく卑近にしてしかも通俗な譬喩を挙げて、実践道徳の鼓吹に努めたものに「心学」というものがある。八代将軍吉宗公の頃、石田梅巌初めてこれを唱え、かの有名な鳩翁道話なども、この派の手に成ったものであるが、梅巌の門下よりは手島堵庵、中沢道二などの名士出で、この両人の力により、心学は普及せらるるようになったものである。私はかつてこの両人の中の中沢道二翁の筆になった道二翁道話と題せらるる一書を読んだことがある。その中に載ってる近江の孝子と信濃の孝子とについての話は、いまだに忘れ得ざるほど意味のある面白いもので、確か孝子修行という題目であったかのごとくに記憶している。
現代語訳
徳川幕府の中ごろから行われはじめ、神道・儒教・仏教の三つの道の精神を合わせ、平易な言葉を用い、ごく身近でしかも通俗的なたとえを挙げて、実践道徳を広めることに努めたものに「心学」というものがある。八代将軍吉宗公のころ、石田梅岩が初めてこれを唱え、あの有名な『鳩翁道話』なども、この派の手になったものである。梅岩の門下からは手島堵庵、中沢道二などの名士が出て、この二人の力によって心学は広く普及するようになった。私はかつて、この二人のうちの中沢道二翁の筆になる『道二翁道話』と題する一冊の書を読んだことがある。その中に載っている近江の孝子と信濃の孝子についての話は、いまだに忘れられないほど意味のある面白いもので、たしか「孝子修行」という題目であったように記憶している。
解説
関連する章句
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『論語と算盤』教育と情誼・孝らしからぬ孝何でも自然のままに任せて、母の思い通りにしてもらうところが、あるいは世間に、私を孝子孝子と言いはやして下さる所以であろうか」というのが、信州の孝子の答えであった。これを聞いて近江の孝子も翻然として大いに悟り、孝の大本は何事にも強いて無理をせず、自然のままに任せる所にある、孝行のために孝行を力めて来た我が身には、まだまだ至らぬ点があったのだと気付くに至った、と説いた所に道二翁道話の孝行修行の教訓があるのである。
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『論語と算盤』教育と情誼・孝らしからぬ孝孝行孝行と、いかにも孝行は百行の基たるに相違ないが、孝行をしようとしての孝行は真実の孝行とは言われぬ。孝行ならぬ孝行が真実の孝行である。私が年老いたる母に種々と頼んで、足を揉ませたりするまでに致し、お汁やご飯の小言を言ったりするのも、母は息子が山仕事から帰って来るのを見れば、さぞ疲れていることだろうと思い、「さぞ疲れたろう」と親切に優しくして下さるので、その親切を無にせぬようにと、足を伸ばして揉んでもらい、また客人をもてなすについては、さぞ不行き届きで息子が不満足だろうと思って下さるものと察するから、その親切を無にせぬため、ご飯やお汁の小言までも言ったりするのである。
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『論語と算盤』教育と情誼・孝らしからぬ孝その名は何と言ったか、今明確に覚えておらぬが、近江の国に一人の有名な孝子があった。「それ孝は天下の大本なり、百行のよって生ずる所」と心得て、日夜その及ばざるをただこれ恐れておったが、信濃の国にまた有名なる孝子あると聞き及び、親しくその孝子に面会して、いかにせば最善の孝を親に尽くすことの出来るものか、一つ問いただして試みたいものだ、との志を懐き、はるばると野越え山越えて、夏なお涼しき信濃の国まで、わざわざ近江の国から孝行修行に出掛けたのである。
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『論語と算盤』教育と情誼・孝らしからぬ孝ようようにして孝子の家を尋ね当て、その家の敷居をまたいだのは、正午過ぎであったが、家の中にはただ一人の老母がいるだけで、実に寂しいものである。「御子息は」と尋ねると、「山へ仕事に行ってるから」とのことに、近江の孝子は委細来意を留守居の老母まで申し述べると、「夕刻には必ず帰ろうから、とにかく上がってお待ち下さるように」と勧められたので、遠慮なく座敷に上がって待ってると、果たして夕暮れ方に至れば信濃の孝子だと評判の高い子息殿が、山で採った薪をいっぱい背負って帰って来られた。そこで近江の孝子は、ここぞ参考のために大いに見ておくべき所だろうと心得て、奥の室から様子を窺っていると、信濃の孝子は、薪を背負ったままで縁にどっかと腰を掛け、荷物が重くて仕様がないから、手伝って下ろしてくれろと、老母に手伝わしている模様である。近江の孝子はまず意外の感に打たれて、なお窺ってるとも知らず、今度は足が泥で汚れてるから浄水を持って来てくれの、やあ足を拭うてくれのと、様々な勝手な注文ばかりを老母にする。
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『論語と算盤』実業と士道・功利学の弊を芟除すべし日本魂、武士道をもって誇りとする我が国の商工業者に道義的観念の乏しいということは、実に悲しむべきことであるが、そもそもその由って来るところをたずぬれば、従来因襲する教育の弊であると思う。予は歴史家にあらずまた学者にあらざれば、遠くその根源を究むることはできないけれども、かの「民は之に由らしむべし、之を知らしむべからず」という、朱子派の儒教主義は、近く維新前まで文教の大権を掌握せる林家の学によってその色彩を濃厚にし、被治者階級に属する農工商の生産界は、道徳の天則外に放置せらるるとともに、己れまた自ずから道義に束縛せらるるの必要なしと感ずるに至った。
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『都鄙問答』卷之一・孝ノ道ヲ問ノ段心は古今一なり。其の心を知りて書を見る時は、書の意味は、掌を見るが如し。汝が義と云ふは、尽く不義なり。両親の心は義に合へり。兄弟を舎てざる志、左も有るべき事なり。伯父は親同前の事なれば、仮令両親共に、貸すこと成りがたしと云はるるとも、両親へ願ひ、少しのことは合力にても致すべきことなるに、反りて親の志に背くは、親を無する罪人なり。其の罪を知らずして、孝行をなすと云ふ。其の愚昧は論ずるに足らず。
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