論語と算盤 / 実業と士道・功利学の弊を芟除すべし
往時の下級生産者より出でて、天晴身を立て家を興し、一躍具瞻の地位に進みたる人も固より尠くないが、是等の人々は果して道徳仁義に終始し、正路に歩し、公道を進み、俯仰天地に怍るなきの心事を以て、能く今日に至つた者であらうか、関係の会社銀行等の事業を盛大ならしむべく、昼夜不断の努力を尽すは、実業家として洵に立派のことである、其の株主に忠なる者と称するも不可なしであるけれども、若し会社銀行の為に尽す精神が、由つて以て自ら利せんとする謂ゆる利己の一念に止まりて、株主の配当を多くするは、自家の金庫を重からしむる為めなりとせば、若し会社銀行を破産せしめ、株主に欠損を与ふるを以て自己の利益が多いといふ場合に際会したならば、或は之を忍ぶやも測られない、孟子の謂ゆる『奪はずんば饜かず』とは即ち是である。
書き下し
往時の下級生産者より出でて、あっぱれ身を立て家を興し、一躍具瞻の地位に進みたる人ももとより尠くないが、これらの人々ははたして道徳仁義に終始し、正路に歩し、公道を進み、俯仰天地に怍ずるなきの心事をもって、よく今日に至った者であろうか。関係の会社銀行等の事業を盛大ならしむべく、昼夜不断の努力を尽くすは、実業家としてまことに立派のことである。その株主に忠なる者と称するも不可なしであるけれども、もし会社銀行のために尽くす精神が、よってもって自ら利せんとするいわゆる利己の一念にとどまりて、株主の配当を多くするは、自家の金庫を重からしむるためなりとせば、もし会社銀行を破産せしめ、株主に欠損を与うるをもって自己の利益が多いという場合に際会したならば、あるいはこれを忍ぶやも測られない。孟子のいわゆる「奪わずんば饜かず」とはすなわちこれである。
現代語訳
かつての下層の生産者の出から、立派に身を立て家を興し、一躍して人々が仰ぎ見る地位に進んだ人も、もとより少なくない。しかしこれらの人々は、はたして道徳と仁義を貫き、正しい道を歩み、公の道を進み、天を仰いでも地に伏しても恥じるところのない心で、今日に至った者だろうか。関わる会社や銀行などの事業を盛んにしようと、昼夜絶え間なく努力を尽くすのは、実業家としてまことに立派なことである。株主に忠実な者と呼んでも差し支えない。けれども、もし会社や銀行のために尽くす精神が、それによって自分が利益を得ようとする、いわゆる利己の一念にとどまっていて、株主の配当を多くするのは自分の金庫を重くするためだというのなら、もし会社や銀行を破産させ、株主に損失を与えるほうが自分の利益が多いという場面に出くわしたなら、あるいはそれを平気でやってのけるかもしれない。孟子のいう「奪い尽くさなければ満足しない」とは、まさにこのことである。
解説
関連する章句
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『論語と算盤』仁義と富貴・真正の利殖法さりながらその利殖を図るものも、もしことごとく己れさえ利すれば、他はどうでもよかろうということをもって利殖を図って行ったならば、その事物はいかに相成るか。むずかしいことを言うようであるけれども、もし果たして前に述べたごとき有様であったならば、かの孟子の言う「何ぞ必ずしも利を曰わん、また仁義あるのみ」云々、「上下こもごも利を征りて国危うし」云々、「いやしくも義を後にして利を先にすることをせば、奪わずんば饜かず」となるのである。それゆえに真正の利殖は仁義道徳に基づかなければ、決して永続するものでないと私は考える。
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『論語と算盤』実業と士道・功利学の弊を芟除すべしまた富豪巨商に仕えて、一意主家のために尽瘁する者のごときも、ただその事蹟より見れば、よく仕うる所に忠なる者ということはできるが、その忠義的行為が、全く自家損得の打算より発し、主家を富ましむるは自ら富む所以、番頭手代と見下げらるるは面白からざるも、実際の収入は遙かに尋常事業家に優るものあれば、我は名を捨て得を取るなりとの心事より出でたるものなるときは、その忠義振りも、帰する所は利益問題の四字にとどまり、同じく道徳の天則外にあるものと言うて差支あるまい。
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『論語と算盤』仁義と富貴・義利合一の信念を確立せよ孔孟教の根底を誤り伝えたる結果は、利用厚生に従事する実業家の精神をして、ほとんどすべてを利己主義たらしめ、その念頭に仁義もなければ道徳もなく、甚だしきに至っては法網をくぐられるだけくぐっても金儲けをしたいの一方にさせてしまった。したがって今日のいわゆる実業家の多くは、自分さえ儲ければ他人や世間はどうあろうと構わないという腹で、もし社会的および法律的の制裁が絶無としたならば、彼らは強奪すらしかねぬという情けない状態に陥っている。もし永くこの状態を押して行くとすれば、将来貧富の懸隔はますます甚だしくなり、社会はいよいよあさましい結果に立ち至る事と予想しなければならぬ。これまことに孔孟の訓えを誤り伝えたる学者が数百年来跋扈していた余毒である。とにかく世の中が進むにつれて、実業界においても生存競争がますます激しくなるは自然の結果と言ってよい。
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『論語と算盤』理想と迷信・日新なるを要す商売は己を利することを眼目とするために、自分さえ利すればそれでよい、他人の迷惑は知らぬ存ぜぬという考えを持っている人がある。それゆえに利殖と道徳とは一致せぬという人もあるが、これは間違いで、そんな古い考えは今の世に通用させてはならぬ。維新頃までは、社会の上流、士大夫とも言うべき人は利殖に関係しないで、人格の低いものがこれに当たるというのであった。その後この風習は改まったが、まだ余喘を保っている。孟子は、利殖と仁義道徳とは一致するものであると言った。その後の学者がこの両者を引き離してしまった。仁義をなせば富貴に遠く、富貴なれば仁義に遠ざかるものとしてしまった。町人は素町人と呼びて賤められ、士のともに齢いすべきものでないとせられ、商人も卑屈に流れ、儲け主義一点張りとなった。これがために経済界の進歩は幾十年幾百年遅れたか分からぬ。今日は漸次消滅しつつあるが、まだ不足である。利殖と仁義の道とは一致するものであることを知らせたい。私は論語と十露盤とをもって指導しているつもりである。
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『論語と算盤』実業と士道・功利学の弊を芟除すべししかるに世人はこの種の人物を成功者として尊敬し羨望し、青年後進の徒もまたこれを目標として、何とかしてその塁を摩せんとするに腐心する所より、悪風滔々として底止するところを知らざる勢いとなっている。かく言えば、我が商業者のすべては皆不信背徳の醜漢のようであるが、孟子も「人の性は善なり」と言えるごとく、善悪の心は人皆これあれば、中には君子的人物であって、深く商業道徳の頽廃を慨し、これが救済に努力している者も尠くないが、何にせよ既往数百年来の弊習を遺伝し、功利の学説によりて悪しき方面の智巧を加えたる者を、一朝有道の君子たらしむるは容易に望み得らるべきでは無い。さりとてそれをこのままに放任するは、根なき枝に葉を繁らし、幹なき樹に花を開かしめんとするものにて、国本培養も商権拡張も、到底得て望むべきにあらざれば、
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『論語と算盤』実業と士道・武士道は即ち実業道なりおよそ人としてその処世の本旨を忘れ、非道を行うても私利私欲を充たそうとすることがあったり、あるいは権勢に媚び諂うてもその身の栄達を計らんと欲するは、これ実に人間行為の標準を無視したもので、かくのごときは決してその身、その地位を永遠に維持する所以の道ではないのである。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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