墨子 / 耕柱
巫馬子謂子墨子曰:「子兼愛天下,未云利也;我不愛天下,未云賊也。功皆未至,子何獨自是而非我哉?」子墨子曰:「今有燎者於此,一人奉水将灌之,一人摻火将益之,功皆未至,子何貴於二人?」巫馬子曰:「我是彼奉水者之意,而非夫摻火者之意。」子曰:「吾亦是吾意,而非子之意也。」
新字:巫馬子謂子墨子曰:「子兼愛天下,未云利也;我不愛天下,未云賊也。功皆未至,子何独自是而非我哉?」子墨子曰:「今有燎者於此,一人奉水将灌之,一人摻火将益之,功皆未至,子何貴於二人?」巫馬子曰:「我是彼奉水者之意,而非夫摻火者之意。」子曰:「吾亦是吾意,而非子之意也。」
書き下し
巫馬子、子墨子に謂いて曰く、「子は天下を兼愛するも、未だ利ありと云わず。我れは天下を愛せざるも、未だ賊すと云わず。功、皆な未だ至らざるに、子、何ぞ獨り自ら是として我を非とするや」と。子墨子曰く、「今、此に燎ゆる者有り。一人は水を奉じて将に之に灌がんとし、一人は火を摻りて将に之を益さんとす。功、皆な未だ至らざるも、子、何れをか二人に貴ばん」と。巫馬子曰く、「我れは彼の水を奉ずる者の意を是とし、夫の火を摻る者の意を非とす」と。子曰く、「吾れも亦た吾が意を是とし、子の意を非とするなり」と。
現代語訳
巫馬子が墨子に言った。「あなたは天下をあまねく愛すると言うが、まだ利を生んでいない。私は天下を愛さないが、まだ害してもいない。成果はどちらも出ていないのに、どうしてあなただけが自分を正しいとし、私を間違いとするのか」。墨子が言った。「いまここに火事がある。一人は水を運んで注ごうとし、一人は火を持って足そうとしている。成果はどちらもまだ出ていないが、あなたはこの二人のどちらを貴ぶか」。巫馬子が言った。「水を運ぶ者の心を是とし、火を足す者の心を非とします」。墨子が言った。「私もまた、自分の心を是とし、あなたの心を非とするのだ」。
解説
成果が出ていないのだから優劣はつかない、という論法への反論です。火事の場に水を運ぶ者と火を足す者を置いて、成果が同じでも向きが違うと示す。相手自身に判定させてから、そのまま自分の主張に重ねる運びが鮮やかです。まだ結果の出ていない取り組みを評価するとき、向きを見るという基準は今も有効です。
この章句が説くこと
動機向き評価成果比較
関連する章句
-
『墨子』非命上是の故に古の聖王、憲を發し令を出だし、設けて以て賞罰と為して以て賢を勸む。是を以て入りては則ち親戚に孝慈、出でては則ち鄉里に弟長、坐處に度有り、出入に節有り、男女に辯有り。是の故に官府を治めしむれば則ち盜竊せず、城を守れば則ち崩叛せず、君に難有れば則ち死し、出亡すれば則ち送る。此れ上の賞する所にして、百姓の譽むる所なり。有命を執る者の言に曰く、「上の賞する所は、命、固より且に賞せんとす、賢なるが故に賞するに非ざるなり。上の罰する所は、命、固より且に罰せんとす、暴なるが故に罰するに非ざるなり」と。
-
孫子・始計篇故に之を校ぶるに七計を以てして其の情を索む。曰く、主孰れか道有る、将孰れか能有る、天地孰れか得たる、法令孰れか行わる、兵衆孰れか強き、士卒孰れか練れたる、賞罰孰れか明らかなる、と。吾此を以て勝負を知る。
-
『墨子』非攻下則ち夫の攻伐を好むの君、又た其の説を飾りて曰く、我れ金玉子女壤地を以て足らずと為すに非ざるなり。我れ義の名を以て天下に立て、徳を以て諸侯を來さんと欲するなり、と。子墨子曰く、今、若し能く義の名を以て天下に立て、徳を以て諸侯を來す者有らば、天下の服すること立ちどころに待つ可きなり。夫れ天下、攻伐に處ること久し。譬うるに猶お傅子の馬を為るが然り。
-
司馬法・嚴位凡そ人は、愛に死し、怒りに死し、威に死し、義に死し、利に死す。
-
『墨子』兼愛下且つ惟だ泰誓のみ然りと為すにあらず、禹誓と雖も即ち亦た猶お是のごときなり。禹曰く、「濟濟たる有衆、咸な朕が言を聴け。惟だ小子のみ敢えて亂を稱するを行うに非ず。蠢たる茲の有苗、天の罰を用う。若し予れ既に爾の羣を率い、羣諸に對して以て有苗を征せん」と。禹の有苗を征するや、富貴を重ね、福禄を干め、耳目を樂しましむるを求むるに非ざるなり。以て天下の利を興し、天下の害を除かんことを求むるなり。即ち此れ禹の兼なり。子墨子の謂う所の兼なる者と雖も、禹に於て求めたり。
-
論語・憲問篇微生畝、孔子に謂いて曰く、「丘、何為れぞ是れ栖栖たる者ぞ。乃ち佞を為すこと無からんや。」孔子曰く、「敢えて佞を為すに非ざるなり、固を疾むなり。」