論語と算盤 / 実業と士道・文明人の貪戻
此の事変の終局は如何になるであらうか、私の如き近眼者流には予言することは出来ないけれども、結局は列強並び相疲る〻か、或は一方の威力が衰へて、其極或る条件の下に終局を見るであらうか、歴史家は、百年を経ると地図の色が変ると言うて居るが、我々は又之に由つて、商工業の勢力の移りゆく様を見ねばならぬ、将来の商工業は如何に変化するであらうか、其の変化に就て、我々は如何なる覚悟を以て之に応ずべきであらうか、我々の考慮すべき所、用意すべき点は詰り此所に在るのだ、私は政治上若くは軍事上に就て述ぶることを好まぬ、また其の知識をも持たぬのである、故に今私の言はんと欲する所は、単に商工業に関する方面に限らる〻のであるが、今後地図の変化に伴ふ商工業勢力範囲の変化に就て、適切なる準備と実行の責任とは、未来の当事者に在るのである、而して此の未来の当事者なるものは、現時の青年を除いて外にない、青年たる者は今日よりして審思熟慮、之に対する策を講ずべきである。
書き下し
この事変の終局はいかになるであろうか。私のごとき近眼者流には予言することはできないけれども、結局は列強並び相疲るるか、あるいは一方の威力が衰えて、その極ある条件の下に終局を見るであろうか。歴史家は、百年を経ると地図の色が変わると言うているが、我々はまたこれによって、商工業の勢力の移りゆく様を見ねばならぬ。将来の商工業はいかに変化するであろうか。その変化について、我々はいかなる覚悟をもってこれに応ずべきであろうか。我々の考慮すべき所、用意すべき点はつまりここにあるのだ。私は政治上もしくは軍事上について述ぶることを好まぬ。またその知識をも持たぬのである。ゆえに今私の言わんと欲する所は、単に商工業に関する方面に限らるるのであるが、今後地図の変化に伴う商工業勢力範囲の変化について、適切なる準備と実行の責任とは、未来の当事者にあるのである。そしてこの未来の当事者なるものは、現時の青年を除いて外にない。青年たる者は今日よりして審思熟慮、これに対する策を講ずべきである。
現代語訳
この事変の結末はどうなるだろうか。私のような目先しか見えない者には予言できないが、結局は列強がそろって疲れ果てるか、あるいは一方の勢いが衰えて、最後にはある条件のもとで終わりを迎えるのだろうか。歴史家は、百年たつと地図の色が変わると言っているが、我々はまたこれによって、商工業の勢力が移っていく様子を見なければならない。将来の商工業はどう変わるだろうか。その変化に対して、我々はどんな覚悟で応じるべきだろうか。我々が考えるべきこと、用意すべき点は、つまりここにあるのだ。私は政治や軍事について述べることを好まないし、その知識も持っていない。だから今私が言いたいことは、ただ商工業に関する方面に限られるのだが、今後、地図の変化に伴って商工業の勢力範囲が変わることについて、適切な準備をし実行する責任は、未来の当事者にある。そしてこの未来の当事者とは、今の青年をおいてほかにない。青年たる者は今日から深く考え抜いて、これに対する策を講じるべきである。
解説
関連する章句
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『論語と算盤』理想と迷信・道理ある希望を持て戦争して負けては困るが、ただ国力を挙げて戦争にのみ奔るということは王道に適するものではない。今日の時局に対して我々はそのような事まで心配せぬでもよい訳であるが、これから先の商工業はいかにしたらよかろうか、平和が克復したらその後の実業界はいかになるかというような事については、意想外なる変化を生じて、中には悪いと思ったことが善くなり、善いと思うたことが悪くもなろうから、今日から臆断は出来ない。しかし人は未来の事に向かってぜひとも理想は持つべきものであるから、たとい違却するとも一定の主義によって行うというようなことが無ければならぬ。つまりよく思いつまびらかに考えて事に当たれば、必ず過ちは少ないものである。戦争のごとき事変の勃発には、かつて想像したものに違却を生ずることはあるが。
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『論語と算盤』実業と士道・文明人の貪戻翻って我が国の商工業を見るに、多くは不統一にして振るわず、ことに戦乱の影響を受け、生糸の値は下落し、綿糸綿布の販路は渋滞し、総じて取引は萎靡し、有価証券の価は下落し、新たなる事業は起こらざるの状態にある。しかし早晩これらは恢復することも予想に難くないのであるから、この際一時の困難は堪え難くとも、当業者は大いに勇気を起こさねばならぬ所である。また一方にはこの事変は大いに乗ぜざるべからざる好時機と思う。今日我が実業家は目前の不景気に畏縮するようであるけれども、それははなはだ無気力の行為である。ただその着目を誤らぬようにして戦中十分なる研究を積み、漸次実物の効果のあるように努めて行きたいのである。ことに支那に対する商工業のごときは、境は接近している。人情風俗ともに欧米人に比すれば縁故最も深いのである。しかるにその関係においては、往々にして他列強に比して大いに遜色あるは実に心細い極みである。
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『論語と算盤』理想と迷信・道理ある希望を持ていわんやかかる大戦に際しては、将来どう変化するだろうかという予想は、最も慎思熟慮を要することと思う。その経営せらるる事業に応じて宜しきを制して行くということは必要だろうと思うが、これを処するについてぜひ一つ守らなければならぬことは、前にも述べた商業道徳である。約すれば信の一字である。これがご同様実業者に健全に行われて行ったならば、私は日本の実業界の富はさらに増大して、同時に人格も大いに進むであろうと思う。単に時局についてのみ希望する訳ではないが、かかる時機は別して変化が多いことを予想すると、お互いに負担している職分から考えたら、宜しきを制することが出来るであろうと思うのである。
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『論語と算盤』理想と迷信・道理ある希望を持て約言すれば、時局の平和となった暁には、別して我々実業に従事する者の責任が重くなるのであろうと思う。ひとり責任が重いのみならず、諸君が経営せらるる事業についても、これがいかになるかという事を予想して、その予想から十分なる道理を考定して、これによって活動せらるるようにありたいと考える。「道理ある希望を持って活発に働く国民」という評語は概括的な言葉であるが、先頃あるアメリカ人が我が同胞を評して、日本人の全体を観察すると、各人皆希望をもって活発に勉強する国民であると言われて、私は大いに悦びました。私もかく老衰してはいるが、向後ますます国家の進運を希望としている。また多数の人々の幸福を増すことを希望としている。実業家諸君もまた同様であろうと思う。時局の有無にかかわらず、いやしくも実業に従事するものはかくありたい、将来はこうしなければならぬという希望は誰もあるに相違ない。
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『論語と算盤』実業と士道・文明人の貪戻総じて学術技芸には能う限りの保護と便利とを与え、商工業は常に政治兵備と相聯絡し、中央銀行のごときも力を尽して商工業の便宜、資金の融通を計るというように、いかに彼ら上下一致して富国に従事しているかが窺知し得られる。またその学問においても化学、発明、技術、精妙、実に行き届くことは一通りではない。それは今回の戦乱のために、遠き我が国のごときをして、薬品染料等の欠乏に窮せしめたる事実に見るも、彼の国の力が世界の隅々まで及んでいることが分かる。ゆえに自国の拡大のみを企図する貪戻心は実に厭うべきであるが、官民一致その国の富強を勉むるの努力は感服の外はないのである。
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『論語と算盤』立志と学問・精神老衰の予防法これについて考えて見ても、お互いに平素あくまで刻苦励精して、今日までに進んだ国運をして、どうぞいや増しに拡張させたいと思うが、それについて一言したいことは、近頃は青年青年と言って、青年説が大変に多い。青年が大事だ、青年に注意しなければならぬと言うは、私も同意するが、私は自分の位置から言うと、青年も大事であるけれども、老年もまた大切であると思う。青年とばかり言うて、老人はどうでもよいと言うのは考え違いではないか。かつて他の会合の時にも言ったが、自分は文明の老人たることを希望する。果たして自分が文明の老人か野蛮の老人か、世評はどうであるか知らぬが、自分では文明の老人のつもりであるが、諸君が見たらあるいは野蛮の老人かも知れぬ。しかしよくよく考察すると、私の青年の時分に比較して見ると、青年の事務に就く年齢がすこぶる遅いと思う。例えば朝の日の出方がよほど遅くなっている。そうして早く老衰して引っ込むと、その活動の時間が大層少なくなってしまう。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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