論語 / 子張篇
子張曰:「士見危致命,見得思義,祭思敬,喪思哀,其可已矣。」
書き下し
子張曰く、士は危うきを見ては命を致し、得るを見ては義を思い、祭には敬を思い、喪には哀を思う。其れ可なるのみ。
現代語訳
子張が言った。「士は、危険を前にしては命を投げ出し、利益を前にしては義を思い、祭りには敬いを思い、喪には哀しみを思う。それでよいのだ。」
解説
四つの場面と、それぞれの構えが対応している。危、得、祭、喪。人生で構えを試される場面を四つ挙げ、それぞれに一語を割り当てた。憲問篇の成人の条件と重なる部分もあるが、こちらのほうが簡潔である。注目したいのは、四つとも受動的な場面だということだ。危険が来る、利益が来る、祭りが来る、喪が来る。自分から起こすことではない。つまり、この四つは平時に準備しておくしかない。危険が来てから覚悟を作ることはできず、利益を前にしてから基準を考えるのでは遅い。あらかじめ決めておくべきものを列挙した一覧として読める。其可已矣、それでよいのだという結びも味わい深い。四つ守れれば十分だ、と範囲を限定している。
この章句が説くこと
危機士四場面覚悟倫理観準備
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