論語と算盤 / 実業と士道・文明人の貪戻
全欧の事変に就て初め私の予想は全く外れた、既に其の観察を誤つた私は、将来も亦見込違ひをするであらうと恐懼して居る、併しながら私の観察の誤つた所以は、私の予想以上に暴虐の人があつたからである、謂ゆる『一人貪戻なれば、一国乱を作す』といふ古訓が、事実として全欧洲に現はれて来たからである、文明の世には有り得べからざるものとの想像が過誤の観察となつたのである、果して然らば、私の智の到らざりしが為でもあらうが、私は却つて文明人の貪戻なる結果ではなからうかと、冷笑せざるを得ないのである。
書き下し
全欧の事変について初め私の予想は全く外れた。すでにその観察を誤った私は、将来もまた見込み違いをするであろうと恐懼している。しかしながら私の観察の誤った所以は、私の予想以上に暴虐の人があったからである。いわゆる「一人貪戻なれば、一国乱をなす」という古訓が、事実として全欧州に現われて来たからである。文明の世にはあり得べからざるものとの想像が過誤の観察となったのである。はたして然らば、私の智の到らざりしがためでもあろうが、私はかえって文明人の貪戻なる結果ではなかろうかと、冷笑せざるを得ないのである。
現代語訳
ヨーロッパ全体を巻き込んだ今回の事変(第一次世界大戦)について、初め私の予想はまったく外れた。すでにその観察を誤った私は、この先もまた見込み違いをするのではないかと恐れ慎んでいる。しかし私の観察が誤った理由は、私の予想以上に暴虐な人間がいたからである。いわゆる「一人が貪欲で道理にもとれば、一国が乱れる」という古い教えが、事実としてヨーロッパ全土に現れてきたからである。文明の世にはあり得ないことだという思い込みが、誤った観察となったのである。そうであるなら、私の知恵が足りなかったせいでもあろうが、私はむしろこれは文明人の貪欲と横暴の結果ではないかと、冷ややかに笑わざるを得ないのである。
解説
関連する章句
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『論語と算盤』実業と士道・文明人の貪戻総じて学術技芸には能う限りの保護と便利とを与え、商工業は常に政治兵備と相聯絡し、中央銀行のごときも力を尽して商工業の便宜、資金の融通を計るというように、いかに彼ら上下一致して富国に従事しているかが窺知し得られる。またその学問においても化学、発明、技術、精妙、実に行き届くことは一通りではない。それは今回の戦乱のために、遠き我が国のごときをして、薬品染料等の欠乏に窮せしめたる事実に見るも、彼の国の力が世界の隅々まで及んでいることが分かる。ゆえに自国の拡大のみを企図する貪戻心は実に厭うべきであるが、官民一致その国の富強を勉むるの努力は感服の外はないのである。
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『論語と算盤』理想と迷信・斯の如き矛盾を根絶すべししかるに今日ヨーロッパの戦争の有様は、細かに承知はしないが、実に惨澹たる有様である。ことにドイツの行動のごときは、いわゆる文明なるものはいずれにあるか分からぬというような次第である。けだしその根源は、道徳というものが国際間に遍く通ずることが出来ないで、ついにここに至ったものと思う。果たしてしからばおよそ国たるものはかかる考えをもってのみ、その国家を捍衛して行かねばならぬものであるが、何とか国際の道徳を帰一せしめて、いわゆる弱肉強食ということは、国際間に通ずべからざるものとなさしむる工夫が無いものであろうか。畢竟政治を執る人、および国民一般の観念が、相共に自己の勝手我がままを増長するという慾心が無かったならば、かくのごとき惨虐を生ぜしむることは無かろうけれども、一方が退歩すると他方が遠慮なく進歩して来るようでは、こちらも進まなければならぬから、勢い相争うようになり、結局戦争せねばならぬことになる。
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『論語と算盤』理想と迷信・道理ある希望を持て戦争して負けては困るが、ただ国力を挙げて戦争にのみ奔るということは王道に適するものではない。今日の時局に対して我々はそのような事まで心配せぬでもよい訳であるが、これから先の商工業はいかにしたらよかろうか、平和が克復したらその後の実業界はいかになるかというような事については、意想外なる変化を生じて、中には悪いと思ったことが善くなり、善いと思うたことが悪くもなろうから、今日から臆断は出来ない。しかし人は未来の事に向かってぜひとも理想は持つべきものであるから、たとい違却するとも一定の主義によって行うというようなことが無ければならぬ。つまりよく思いつまびらかに考えて事に当たれば、必ず過ちは少ないものである。戦争のごとき事変の勃発には、かつて想像したものに違却を生ずることはあるが。
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『論語と算盤』理想と迷信・斯の如き矛盾を根絶すべし我々はあくまでも己れの欲せざる所は人にも施さずして、東洋流の道徳を進め、いや増しに平和を継続して、各国の幸福を進めて行きたいと思う。少なくとも他国に甚だしく迷惑を与えない程度において、自国の隆興を計るという道がないものであるか。もし国民全体の希望によって、自我のみ主張する事を止め、単に国内の道徳のみならず、国際間において真の王道を行うという事を思うたならば、今日の惨害を免れしめることが出来ようと信ずる。
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『論語と算盤』理想と迷信・斯の如き矛盾を根絶すべし一体文明とはいかなる意義のものであるか、要するに今日の世界はまだ文明の足らないのであると思う。かく考えると、私は今日の世界に介在して将来我が国家をいかなる風に進行すべきか、また我々はいかに覚悟してよいか、やむ事を得ずばその渦中に入って弱肉強食を主張するよりほかの道はないか、ぜひこれに処する一定の主義を考定して、一般の国民と共にこれによって行くようにしたいと思う。
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『論語と算盤』理想と迷信・斯の如き矛盾を根絶すべしそれほどに戦争の惨虐なものであるという事が唱えらるるくらいだから、今度のごとき全欧州の大戦乱なぞは、決して起こるべきものでないように思われておったが、ちょうど昨年(大正三年)の七月末に日々各新聞紙の報道を見た頃、私は両三日旅行して、いかになるかという人の問いに答えて、新聞紙で一見すれば戦争が起こると信ぜられるが、先年アメリカのジョルダン博士が「モロッコ」問題の生じた時に、米国に有名なる財政家ゼー、ビー、モルガン氏の忠言のために戦争が止んだということを、電報で言って来たと言うて、―博士はもとより平和論者であるから、平和に重きを措いたのであろうが―特に手紙をよこしたことがある。私もその説を深く信じた訳ではなかったけれども、世の進歩の度が増すにしたがって人々がよく考慮するから、戦乱は自然と減ずるという道理が起こって来る訳で、それは自然の勢いと思われると申したことであった。
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