論語と算盤 / 算盤と権利・合理的の経営
然らば此の禍根は、重役に適任者を得さへすれば自ら絶滅するものであるが、適材を適所に使ふといふことは、中々容易のものでなく、現在にても重役としての技倆に欠けた人で其職に在るものが少くない、例へば、会社の取締役若くは監査役などの名を買はんが為に、消閑の手段として名を連ねて居る、謂ゆる虚栄的重役なるものがある、彼等の浅薄なる考は厭ふべきものだけれども、其の希望の小さいだけに、差したる罪悪を逞うするといふやうな心配はない、それからまた好人物だけれども、その代り事業経営の手腕の無いものがある、さういふ人が重役となつて居れば、部下に居る人物の善悪を識別するの能力もなく、帳簿を査閲する眼識もない、為に知らず識らずの間に部下の者に愆まられ、自分から作つた罪でなくとも、竟に救ふべからざる窮地に陥らねばならぬことがある、是は前者に比すると稍罪は重いが、併し孰れも重役として故意に悪事をなした者でないことは明かである、
書き下し
しからばこの禍根は、重役に適任者を得さえすれば自ずから絶滅するものであるが、適材を適所に使うということは、なかなか容易のものでなく、現在にても重役としての技倆に欠けた人でその職にあるものが少なくない。例えば、会社の取締役もしくは監査役などの名を買わんがために、消閑の手段として名を連ねている、いわゆる虚栄的重役なるものがある。彼らの浅薄なる考えは厭うべきものだけれども、その希望の小さいだけに、さしたる罪悪を逞しゅうするというような心配はない。それからまた好人物だけれども、その代わり事業経営の手腕の無いものがある。そういう人が重役となっておれば、部下にいる人物の善悪を識別するの能力もなく、帳簿を査閲する眼識もない。ために知らず識らずの間に部下の者に愆まられ、自分から作った罪でなくとも、ついに救うべからざる窮地に陥らねばならぬことがある。これは前者に比するとやや罪は重いが、しかしいずれも重役として故意に悪事をなした者でないことは明らかである。
現代語訳
それならば、この禍の根は、重役に適任者を得さえすればおのずから絶えるものであるが、適材を適所に使うということはなかなか容易なことではなく、現在でも、重役としての力量に欠けた人でその職にある者が少なくない。たとえば、会社の取締役や監査役などの肩書を得たいがために、暇つぶしの手段として名を連ねている、いわゆる虚栄的重役という者がある。彼らの浅はかな考えは嫌うべきものだけれども、その望みが小さいだけに、大した罪悪をはたらくような心配はない。それからまた、好人物ではあるけれども、その代わりに事業経営の手腕のない者がある。そういう人が重役になっていると、部下にいる人物の善悪を見分ける能力もなく、帳簿を調べる眼力もない。そのために、知らず知らずのうちに部下の者に誤らされ、自分から作った罪でなくても、ついには救いようのない窮地に陥らなければならないことがある。これは前者に比べるとやや罪は重いが、しかし、いずれも重役として故意に悪事をなした者でないことは明らかである。
解説
関連する章句
-
『論語と算盤』算盤と権利・合理的の経営しかるに社会の実際に徴すれば、会社において無くてもよいはずの秘密があったり、有るべからざる所に私事の行われるのはいかなる理由であろうか。余はこれを重役にその人を得ざるの結果と断定するに躊躇せぬのである。
-
『論語と算盤』算盤と権利・合理的の経営しかるにそれら二人の者よりさらに一歩進んで、その会社を利用して自己の栄達を計る踏み台にしようとか、利欲を図る機関にしようとかいう考えをもって重役となる者がある。かくのごときは実に許すべからざる罪悪であるが、それらの者の手段としては、株式の相場を釣り上げておかぬと都合が悪いと言うて、実際は有りもせぬ利益を有るように見せかけ、虚偽の配当を行うたり、また事実払い込まない株金を払い込んだように装うて、株主の眼を瞞着しようとする者なぞもあるが、これらのやり方は明らかに詐欺の行為である。そして彼らの悪手段はいまだそれ位にては尽きない。その極端なる者に至っては、会社の金を流用して投機をやったり、自己の事業に投じたりする者もある。これではもはや窃盗と択ぶ所がない。畢竟するにこの種の悪事も、結局その局に当たる者が道徳の修養を欠けるよりして起こる弊害で、もしもその重役が誠心誠意事業に忠実であるならば、そんな間違いは作りたくも造れるものでない。
-
『論語と算盤』処世と信条・人は平等なるべし材能の適不適を察し、適材を適所に置くということは、多少なりとも人を使う者の、常に口にこれを言うところであって、そしてまた常に心にこれを難ずるところである。さらにまた思うに、適材を適所に置くということの蔭には、往々にして権謀の加味されている場合がある。自己の権勢を張ろうとするには、何よりも適材を適所に配備し、一歩は一歩より、一段は一段より、漸次に自己の勢力を扶植し、漸次に自己の立脚地を踏み固めて行かなければならぬ。かように工夫するものは、ついによく一派の権勢を築き上げて、政治界に処しても、事業界に処しても、ないし何らの社会に処しても、儼然として覇者の威を振るうことが出来るのである。しかしさような行き方は、断じて私の学ぶところではない。
-
『論語と算盤』算盤と権利・合理的の経営現代における事業界の傾向を見るに、まま悪徳重役なる者が出でて、多数株主より依託された資産を、あたかも自己専有のもののごとく心得、これを自儘に運用して私利を営まんとする者がある。それがため会社の内部は一の伏魔殿と化し去り、公私の区別もなく秘密的行動が盛んに行われるようになって行く。真に事業界のために痛嘆すべき現象ではあるまいか。
-
『論語と算盤』算盤と権利・合理的の経営自分は常に事業の経営に任じては、その仕事が国家に必要であって、また道理に合するようにして行きたいと心掛けて来た。たといその事業が微々たるものであろうとも、自分の利益は少額であるとしても、国家必要の事業を合理的に経営すれば、心は常に楽しんで事に任じられる。ゆえに余は論語をもって商売上のバイブルとなし、孔子の道以外には一歩も出まいと努めて来た。
-
『論語と算盤』処世と信条・人は平等なるべし私は適材を適所に配備する工夫において家康の故智にあやかりたいものと、絶えず苦心しているのであるが、その目的においては全く家康に倣うところがない。渋沢はどこまでも渋沢の心をもって、我と相ともにする人物に対するのである。これを道具に使って自家の勢力を築こうの、どうのという私心は毛頭も蓄えておらぬ。ただ私の素志は適所に適材を得ることに存するのである。適材の適所に処して、そして何らかの成績を挙げることは、これその人の国家社会に貢献する本来の道であって、やがてまたそれが渋沢の国家社会に貢献する道となるのである。私はこの信念の下に人物を待つのである。権謀的色彩をもってその人を汚辱し、自家薬籠の丸子として、その人を封じ込めてしまうような、罪な業は決して致さぬ。活動の天地は自由なものでなければならぬ。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る