論語と算盤 / 算盤と権利・金門公園の掛札
当時桑港に居つた日本の領事上野季三郎といふ人に、何故か〻る掛札があるかと問ふたら、それは亜米利加に来て居る移住民の青年等が、公園の水泳場に行つて、亜米利加の婦人が泳いで居るのを、潜行して足を引張る、さういふ悪戯が多い為に、右の掛札を掛けられたのである、と説明した、其時に私は大に驚いて、其れは日本の青年の不作法が原因をなして居る、併しながら此く些細なことでも、兎に角差別的の待遇を受けるといふことは、日本として心苦しい話だ、斯ういふ事が段々増長して行くと、終には両国の間に如何なる憂ふべき事が生ずるかも知れぬ、さなきだに東西洋の人種間には、種族の関係、宗教の関係といふものは、斯の如く親んで居るとも、未だ全く融和したとは言へないやうに思ふのに、さういふ事が現はれたのは真に憂ふべきことである、領事に職を奉ずる人は、充分御注意をして欲しいものだと言つて別れたが、之が三十五年の六月の初めであつた、尋で市俄古、紐育、「ボストン」、費府を経て華盛頓に往つた、
書き下し
当時桑港におった日本の領事上野季三郎という人に、何故かかる掛札があるかと問うたら、それはアメリカに来ている移住民の青年等が、公園の水泳場に行って、アメリカの婦人が泳いでいるのを、潜行して足を引っ張る、そういう悪戯が多いために、右の掛札を掛けられたのである、と説明した。その時に私は大いに驚いて、それは日本の青年の不作法が原因をなしている、しかしながらかく些細なことでも、とにかく差別的の待遇を受けるということは、日本として心苦しい話だ、こういう事が段々増長して行くと、ついには両国の間にいかなる憂うべき事が生ずるかも知れぬ。さなきだに東西洋の人種間には、種族の関係、宗教の関係というものは、かくのごとく親しんでいるとも、いまだ全く融和したとは言えないように思うのに、そういう事が現れたのは真に憂うべきことである。領事に職を奉ずる人は、充分御注意をして欲しいものだと言って別れたが、これが三十五年の六月の初めであった。ついでシカゴ、ニューヨーク、ボストン、フィラデルフィアを経てワシントンに行った。
現代語訳
当時サンフランシスコにいた日本の領事の上野季三郎という人に、なぜこのような掛札があるのかと尋ねたところ、アメリカに来ている移民の青年たちが公園の水泳場へ行き、アメリカの婦人が泳いでいるところへ水にもぐって近づき、足を引っ張る、そういういたずらが多いため、この掛札が掛けられたのだ、と説明した。そのとき私は大いに驚いて、こう言った。それは日本の青年の不作法が原因である。しかしながら、このように些細なことでも、とにかく差別的な待遇を受けるということは、日本として心苦しい話だ。こういうことがだんだんひどくなっていくと、ついには両国のあいだにどんな憂うべきことが起こるかもしれない。そうでなくても東洋と西洋の人種のあいだには、民族の関係、宗教の関係というものがあって、これほど親しんでいるといっても、まだまったく融和したとは言えないように思うのに、そういうことが現れたのは本当に憂うべきことである。領事の職にある人は、十分に注意をしてほしいものだ——そう言って別れたが、これが明治三十五年の六月の初めであった。それからシカゴ、ニューヨーク、ボストン、フィラデルフィアを経てワシントンへ行った。
解説
関連する章句
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『論語と算盤』算盤と権利・金門公園の掛札私が初めてヨーロッパへ旅行したのは旧幕府時代であった。慶応三年にフランスに行って、約一年もおり、そのほかの国々も巡回して、一と当たりの事情は知るを得たけれども、不幸にしてその時にはアメリカに旅行をしなかったが、明治三十五年(西暦一千九百二年)に初めてアメリカへ行った。かつてその土地は踏まぬでも、十四五歳の時からアメリカなるものを知り、その外交の関係について特に注目し、かつ従来の国交が甚だ適順に進んでいたので、アメリカという音は、常に自分の耳を楽しましめるものであった。そしてその土地を初めて見たのであるから、事々物々実に私の心を喜ばして、ほとんど我が故郷へでも帰ったような感じを持った。最初に桑港へ上陸して様々なる事物に接触して、深く興味を持っておった。ところが、ただ一つ大いに私の心を刺激したのは、金門公園の水泳場へ行った時に、その水泳場の掛札に「日本人泳ぐべからず」ということが書いてあった。これは私のごときアメリカに対して愉快なる感じを持っている身には、特に奇異の思いをなさしめた。
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『論語と算盤』人格と修養・商業に国境なし私はその企図の至極機宜に適するものと思って、我々も充分に助力するから、在米諸君も大いに努めるようにしたらよかろうと言って、渡辺金蔵氏に私が明治三十五年に金門公園において感ぜしことを話して、会長たる牛島氏を初め、そのほかの会員にもよく注意してくれということを伝言した。それが明治四十一年であったと思う。
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『論語と算盤』算盤と権利・金門公園の掛札私はこの時に、自分は銀行家であって美術家ではない、また軍人でないから軍事も知らない、しかるに閣下は私に向かって軍事と美術だけをお褒め下すったが、次回に私が閣下にお目に掛かる時には、日本の商工業に対して御賞讃のお言葉のあるように、不肖ながら私は国民を率いて努めるつもりであると答えた。
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『論語と算盤』人格と修養・商業に国境なし明治三十六年桑港において学童問題というものが突発した。それから後も次第に日米間の国交が薄くなるような傾向を生じたというのは、日本人が薄くするのではなくして、アメリカのある方面の人が、段々に日本を嫌うという有様を生じた。さてそういう有様を生ずると、あたかも明治三十五年に桑港の金門公園において見た所の「日本人泳ぐべからず」の事柄が段々盛んに進んで来るようになった。アメリカに対して特殊の印象を持ってる私、ことに実業界の一人として、また日本全体の実業界に対して深く心神を労している身であるから、国交上に大なる憂いを抱いた。その後桑港にいる日本人間に在米日本人会なるものを組織した。その会長の牛島謹爾氏が、特に渡辺金蔵という人を日本に送られて、私に請求せらるるには、カリフォルニア州においてアメリカ人がとかく日本人を嫌うという感情を改善せしむるために、在米日本人会を企てたのである。ついては本国(日本)においてもその意味を理解して、大いに賛同してくれるようにということであった。
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『論語と算盤』人格と修養・商業に国境なしまた一方には日本から米国に移住している人々については、欧米の習慣に慣れぬために公徳が修まらぬとか、あるいは風采が鄙劣だとか、あるいは同化しないとかいうような欠点があれば、その欠点は相ともに矯正して、努めて直させるようにして、米国人に嫌われぬ所の人間たらしむることを心掛けるのが肝要である。今日の場合、人種とか宗教とかの相違から、日本人を嫌うというようなことは、文明なる米国人としてよもあるまいと思う。もしこれありとすれば、それは米国人の誤謬である。
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『論語と算盤』理想と迷信・発展の一大要素海外に向かって発展するには、いかなる方面を択ぶべきかと言えば、やはり一番利益のある所に赴くということは、自然の趨勢であると思う。気候もよし、地味も良くて、その土地がよく人を容れ、農業に商業に、すべての事のやりよい所を択ぶのが人情である。ここにおいて私共の切に憂うるのは、北米合衆国と我が邦との関係である。今日のように紛議を醸しているのは、お互い実に遺憾に堪えない。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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