論語と算盤 / 人格と修養・商業に国境なし
私は其の企図の至極機宜に適するものと思つて、我々も充分に助力するから、在米諸君も大に力めるやうにしたら宜からうと言つて、渡辺金蔵氏に私が明治三十五年に金門公園に於て感ぜしことを話して、会長たる牛島氏を初め、其他の会員にも能く注意して呉れといふことを伝言した、それが明治四十一年であつたと思ふ。
書き下し
私はその企図の至極機宜に適するものと思って、我々も充分に助力するから、在米諸君も大いに努めるようにしたらよかろうと言って、渡辺金蔵氏に私が明治三十五年に金門公園において感ぜしことを話して、会長たる牛島氏を初め、そのほかの会員にもよく注意してくれということを伝言した。それが明治四十一年であったと思う。
現代語訳
私はその企てがまことに時宜にかなったものだと思い、我々も十分に助力するから、在米の諸君も大いに努めるようにしたらよいだろうと言った。そして渡辺金蔵氏に、私が明治三十五年に金門公園で感じたことを話し、会長である牛島氏をはじめ、その他の会員にもよく注意してほしいと伝言した。それが明治四十一年(一九〇八年)であったと思う。
解説
短いが、渋沢の対応の仕方がよく表れた段である。彼は在米日本人会の企てに賛同し助力を約束する一方で、六年前に金門公園で見た「日本人泳ぐべからず」の札の一件を伝え、会員自身の振る舞いに注意するよう求めた。あの札は、日本の移民青年が水中で婦人の足を引く悪戯をしたために掲げられたものだった。相手の偏見を改めさせようとする運動に、まず自分たちの側の行いを正すことを添える。これは後に来訪した米国の実業家たちへの演説でも繰り返される順序であり、「欠点は相共に矯正して」という言葉につながっていく。差別を受ける側に落ち度を求める議論は危うさも含むが、渋沢の力点は非難の応酬を避け、信頼を積み直す実際の手順にある。
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『論語と算盤』算盤と権利・金門公園の掛札私はこの時に、自分は銀行家であって美術家ではない、また軍人でないから軍事も知らない、しかるに閣下は私に向かって軍事と美術だけをお褒め下すったが、次回に私が閣下にお目に掛かる時には、日本の商工業に対して御賞讃のお言葉のあるように、不肖ながら私は国民を率いて努めるつもりであると答えた。
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人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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