言志四録 / 言志晩録 第百六十九条 我が言語は吾が耳自ら聴く
我言語。吾耳可自聽。我擧動。吾目可自視。視聽既不愧於心。則人亦必服。
新字:我言語。吾耳可自聴。我挙動。吾目可自視。視聴既不愧於心。則人亦必服。
書き下し
我が言語は、吾が耳自ら聴くべし。我が挙動は、吾が目自ら視るべし。視聴既に心に愧ぢずんば、則ち人も亦必ず服せん。
現代語訳
自分の言葉は、自分の耳で聞くことができる。自分の振る舞いは、自分の目で見ることができる。自分で見聞きして心に恥じるところがなければ、人もまた必ず心服するであろう。
解説
自分の言葉や振る舞いを、他人より先に自分自身が見聞きしているという当たり前の事実に着目した条です。話している声はまず自分の耳に届き、動作はまず自分の目に映ります。ならば、その場で自分が聞き手となり見る者となって、心に恥じないかを確かめればよい。一斎は、他人の目を気にするより前に、いちばん近くにいる観察者である自分を満足させよと説きます。自分の心が納得しない言動は、どれほど取り繕っても人に見抜かれるものです。逆に、自らに恥じない言動は説明を加えなくても人を服させます。会議での発言や部下への指示を、自分が受け手だったらどう聞こえるか。そう振り返る習慣の出発点になる一条です。
この章句が説くこと
自省言行慎独信頼心服
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