論語と算盤 / 人格と修養・権威ある人格養成法
国民の帰依すべき道徳律が確立して居り、人はこれに信仰を持つて社会に立つといふ有様であるならば、人格は自ら養成されるから、社会は滔々として我利のみ是れ図るといふやうなことはない訳である、故に余は青年に向つて只管人格を修養せんことを勧める、青年たるものは真摯にして率直、しかも精気内に溢れ活力外に揚る底のもので、謂ゆる威武も屈する能はざる程の人格を養成し、他日自己を富裕にすると共に、国家の富強をも謀ることを努めねばならぬ、信仰の一定せられざる社会に処する青年は、危険が甚だしいだけに自己もそれだけに自重してやらねばならぬのである。
書き下し
国民の帰依すべき道徳律が確立しており、人はこれに信仰を持って社会に立つという有様であるならば、人格は自ずから養成されるから、社会は滔々として我利のみこれ図るというようなことはない訳である。ゆえに余は青年に向かってひたすら人格を修養せんことを勧める。青年たるものは真摯にして率直、しかも精気内に溢れ活力外に揚がる底のもので、いわゆる威武も屈する能わざるほどの人格を養成し、他日自己を富裕にすると共に、国家の富強をも謀ることを努めねばならぬ。信仰の一定せられざる社会に処する青年は、危険が甚だしいだけに自己もそれだけに自重してやらねばならぬのである。
現代語訳
国民が拠りどころとすべき道徳律が確立していて、人々がそれに信仰を持って社会に立つというありさまであれば、人格はおのずから養われるから、社会がこぞって自分の利益ばかりを図るということはないはずである。だから私は青年に向かって、ひたすら人格を修養することを勧める。青年たる者は真剣で率直であり、しかも精気が内に満ち、活力が外にあふれるようなものであって、いわゆる「威武も屈する能わず」(権威や武力にも屈しない)というほどの人格を養い、いつの日か自分を豊かにするとともに、国家の富強をも図るよう努めなければならない。信仰が一つに定まっていない社会に生きる青年は、危険が大きいだけに、自分もそれだけ自重してやっていかなければならないのである。
解説
関連する章句
-
『論語と算盤』人格と修養・権威ある人格養成法現代青年に取って最も切実に必要を感じつつあるものは人格の修養である。維新以前までは、社会に道徳的の教育が比較的盛んな状態であったが、西洋文化の輸入するにつれて思想界に少なからざる変革を来し、今日の有様ではほとんど道徳は混沌時代となった。すなわち儒教は古いとして退けられたから、現時の青年にはこれが十分咀嚼されておらず、というて耶蘇教が一般の道徳律になっている訳ではなおさらなし、明治時代の新道徳が別に成立したのでもないから、思想界は全くの動揺期で、国民はいずれに帰嚮してよいか、ほとんど判断にさえ苦しんでいる位である。したがって一般青年の間に人格の修養ということはほとんど閑却されているかの感なきを得ないが、これは実に憂うべき趨向である。
-
『論語と算盤』人格と修養・権威ある人格養成法人生終局の目的たる成功に対しても、近時多種多様にこれを論ずる人があって、目的を達するにおいては手段を択ばずなぞと、成功という意義を誤解し、何をしても富を積み地位を得られさえすれば、それが成功であると心得ている者もあるが、余はそのような説に左袒することが出来ない。高尚なる人格をもって正義正道を行い、然る後に得た所の富、地位でなければ、完全な成功とは言われないのである。
-
『論語と算盤』人格と修養・権威ある人格養成法世界列強国がいずれも宗教を有して道徳律の樹立されているのに比し、独り我が国のみがこの有様では、大国民としてはなはだ恥ずかしい次第ではないか。試みに社会の現象を見よ。人は往々にして利己主義の極端に馳せ、利のためには何事も忍んで為すの傾きがあり、今では国家を富強にせんとするよりも、むしろ自己を富裕にせんとする方が主となっている。富むこともとより大切なことで、何も好んで簞食瓢飲陋巷にあってその楽しみを改めぬということを最上策とするには及ばない。孔子が「賢なるかな回や」と、顔淵の清貧に安んじているのを褒められた言葉は、要するに「不義にして富みかつ貴きは、我において浮雲のごとし」という言葉の裏面を言われたまでで、富は必ずしも悪いと貶めたものではない。しかしながらただ一身さえ富めば足るとして、さらに国家社会を眼中に置かぬというは慨すべき極みである。説は富の講釈に入ったが、何にせよ社会人心の帰向がそういう風になったのは、概して社会一般人士の間に人格の修養が欠けているからである。
-
『論語と算盤』人格と修養・権威ある人格養成法さて、人格の修養をする方法工夫は種々あろう。あるいは仏教に信仰を求めるもよろしかろう、あるいはクリスト教に信念を得るも一方法であろうが、余は青年時代から儒道に志し、そして孔孟の教えは余が一生を貫いての指導者であっただけに、やはり忠信孝悌の道を重んずることをもって大なる権威ある人格養成法だと信じている。これを要するに忠信孝悌の道を重んずるということは全く仁を為すの基で、処世上一日も欠くべからざる要件である。既に忠信孝悌の道に根本的修養を心掛けた以上は、さらに進んで智能啓発の工夫をしなければならぬ。智能の啓発が不十分であると、とかく世に処して用を成すに当たり完全なることは期し難い。したがって忠信孝悌の道を円満に成就するということも出来なくなって来る。いかんとなれば、智能が完全なる発達を遂げていればこそ、物に応じ事に接して是非の判別が出来、利用厚生の道も立つので、ここに始めて根本的の道義観念と一致し、処世上何らの誤謬も仕損じもなく、よく成功の人として終局を全うすることを得るからである。
-
『論語と算盤』人格と修養・誤解されたる修養説を駁すけだし修養ということは広い意味であって、精神も知識も身体も行状も向上するように練磨することで、青年も老人も等しく修めねばならぬ。かくて息むことなければ、ついには聖人の域にも達することが出来るのである。以上は私が二つの反対説すなわち修養無用論者に対して反駁したる大要であるが、青年諸氏もまたこの考えで大いに修養せられんことを切望するのである。
-
『論語と算盤』立志と学問・勇猛心の養成法勇気の修養には肉体上の修養とともに、内省的の修養に注意せねばならぬ。読書の上において、古来勇者の言行に私淑して感化を受くるもよし、また長上の感化を受け、説話を聴いて、深く身に体し行う習慣を養成し、一歩一歩剛健なる精神を向上せしめ、正義に関する趣味と自信とを養って、喜び望んで義に進むまでに到れば、勇気は自ずと生じて来るであろう。ただ注意すべきことは、くれぐれも青年時代の血気にはやり、前後の分別を誤って血気を悪用し、勇気を誤り用いて暴慢なる行動を執るようなことがあってはならぬ。品性の劣等なるものは勇気にあらずして、自然野卑狂暴となり、かえって社会に害毒を流し、ついには一身を滅亡するに到るものであるから、この点はよくよく注意し、平生の修養を怠ってはならぬ。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る