武士道 / 第十章 武士の教育・文学は消閑の娯楽として修む
英國詩人の云へるが如く、武士は『人○を救ふは信條に非らずして、信條を全うするは唯だ人に在り』と信ぜり。哲理と文學との二は、武士の智育の眼目を成せりと雖、此等を修むるに於ても、亦た武士の志す所は、客觀の眞理に非ず――文學は要するに消閑の娛樂として之を修め、哲理は軍旅若くは政治の問題を解明するが爲に之を講ずる乎、然らざれば品性を作るの實用に資するものなりき。斯るが故に、武士教育の課程は主として、擊劍、射術、柔術、騎術、槍術、兵法、書道、倫理、文學及び歷史の類なりしことは、又た異しむを須ひず。此中、柔術及び書道を必須とする要旨は、多少之れが說明を加へざれば、或は領し難きものあるべし。能書良筆を尊びたる所以のものは、盖し、漢字の形象に成れるが故に、繪畫の性質を帶びて、美術的價値を有すると、又た筆蹟は人の性格を表示するものなりと認むるに由る。
新字:英国詩人の云へるが如く、武士は『人○を救ふは信条に非らずして、信条を全うするは唯だ人に在り』と信ぜり。哲理と文学との二は、武士の智育の眼目を成せりと雖、此等を修むるに於ても、亦た武士の志す所は、客観の真理に非ず――文学は要するに消閑の娯楽として之を修め、哲理は軍旅若くは政治の問題を解明するが為に之を講ずる乎、然らざれば品性を作るの実用に資するものなりき。斯るが故に、武士教育の課程は主として、撃剣、射術、柔術、騎術、槍術、兵法、書道、倫理、文学及び歴史の類なりしことは、又た異しむを須ひず。此中、柔術及び書道を必須とする要旨は、多少之れが説明を加へざれば、或は領し難きものあるべし。能書良筆を尊びたる所以のものは、盖し、漢字の形象に成れるが故に、絵画の性質を帯びて、美術的価値を有すると、又た筆跡は人の性格を表示するものなりと認むるに由る。
書き下し
英国詩人の云へるが如く、武士は『人を救ふは信条に非らずして、信条を全うするは、ただ人に在り』と信ぜり。哲理と文学との二は、武士の智育の眼目を成せりと雖、此等を修むるに於ても、亦た武士の志す所は客観の真理に非ず。文学は要するに消閑の娯楽として之を修め、哲理は軍旅もしくは政治の問題を解明するが為に之を講ずるか、然らざれば品性を作るの実用に資するものなりき。しかるが故に、武士教育の課程は主として、撃剣、射術、柔術、騎術、槍術、兵法、書道、倫理、文学及び歴史の類なりしことは、又た異しむを須ひず。此中、柔術及び書道を必須とする要旨は、多少之れが説明を加へざれば、或は領し難きものあるべし。能書良筆を尊びたる所以のものは、けだし漢字の形象に成れるが故に、絵画の性質を帯びて美術的価値を有すると、又た筆蹟は人の性格を表示するものなりと認むるに由る。
現代語訳
イギリスの詩人が言ったように、武士は、人を救うのは信条ではなく、信条を全うするのはただ人である、と信じました。哲学と文学の二つは武士の知育の中心を成しましたが、これらを学ぶにあたっても、武士の目指すところは客観的な真理ではありません。文学は要するに暇つぶしの娯楽として学び、哲学は軍事や政治の問題を解くために講じるか、そうでなければ人格を作る実用に役立てるものでした。ですから武士教育の課程が主に、剣術、弓術、柔術、馬術、槍術、兵法、書道、倫理、文学、歴史の類であったことも不思議ではありません。この中で柔術と書道を必須とする理由は、多少の説明を加えなければ理解しにくいでしょう。よい書と筆を尊んだ理由は、漢字が形から成っているために絵画の性質を帯びて美術的な価値があることと、また筆跡が人の性格を表すものだと認めたことによります。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
『論語と算盤』仁義と富貴・罪は金銭にあらず今日の社会状態は、昔よりは智識の発達が著しく進んで、思想感情の高尚な人が多くなった。さらに言い換えれば、一般の人格が高まって来ているのである。ゆえに金銭に対する念慮もよほど進んで来て、立派な手段を用いて収入を図り、善良なる方法をもって使用する人が多くなったので、金銭に対する公平なる見解をなすようになった。
-
『論語と算盤』人格と修養・権威ある人格養成法現代青年に取って最も切実に必要を感じつつあるものは人格の修養である。維新以前までは、社会に道徳的の教育が比較的盛んな状態であったが、西洋文化の輸入するにつれて思想界に少なからざる変革を来し、今日の有様ではほとんど道徳は混沌時代となった。すなわち儒教は古いとして退けられたから、現時の青年にはこれが十分咀嚼されておらず、というて耶蘇教が一般の道徳律になっている訳ではなおさらなし、明治時代の新道徳が別に成立したのでもないから、思想界は全くの動揺期で、国民はいずれに帰嚮してよいか、ほとんど判断にさえ苦しんでいる位である。したがって一般青年の間に人格の修養ということはほとんど閑却されているかの感なきを得ないが、これは実に憂うべき趨向である。
-
自警録・第二章 一人前の人と一人前の仕事・要は人は業なり(1)かくいったからとて僕は専門に集中することをやめて、人間一人並みになるには、あれも少し、これも少しと音楽も商売も政治も踊も大弓もやれというにはあらぬ。仕事するにはよろしく専門的であるべしと僕は確信している。堂に昇らばよろしく室にも入るを要する。しかして甲がその専門についてある点まで上達すれば、乙がまた他の専門についてある点に達するに比べて専門がいかに違っても、各自の造詣は深さ高さによりて測り、たしかに某は何の道においては人並み以上なりということが出来る。もしかくのごとき人にしてたとい非倫のことを為したとしても、その人はやはり専門については一人前の分をなしたものといわねばならぬ。しかるにこの人は果たして人として一人並みであるや否やにいたっては疑問であるといわねばならぬ。 しからば一人前の人となるのと、一人前の仕事をするのとはまったく別であろうか。人としては不具者であるも、仕事をして衆に優れたならば、それで甘んじて死すべきか。この問題になるとおそらく人々の考えに大分の相違があるであろう。今日のごとく功利的思想のさかんなる時代においては、人となりは一人前ならなくとも、仕事の効果さえ挙ぐるを得ば人として生まれ来た甲斐ありと信じ、仕事に重きを置いて人となりを顧みぬであろうが、しかし真に偉大なる効果を挙ぐる仕事師は、その人格においても人並み以上たらねばならぬことがだんだんに分かって来はせぬか。 「文は人なり」 というが、人格を示すもの豈に独り文のみならんやで、政治も人なり、実業も人なり、学問も人なり、人を措いては事もなく業もない。一人前の仕事を為し遂げんと欲する者はあらかじめ一人前の人となることを心がくべきものと思う。一人前の仕事さえ出来れば、一人前の人なりとは断定し難きものでなかろうかとは、僕の常に疑うところである。 これを譬えていえば、ここに数多の器があるとする。これらの器――仮りに徳利とすればその仕事は水を入れるにある。そしていずれもその容積は異なっている。大きいものは一石も容るれば小さきものは一勺も容れ得ぬ。しかしいかに小なるも玩具にあらざる限りは、皆ひとかどの徳利と称する。ただ何の実用にもならぬほど小さければ徳利一本といわずに玩具一つと呼び做す。してみれば徳利の徳利たる所以はある最小限以上の容積すなわち分量すなわち仕事にあると思わるれども、分量の多寡には大差がある。人も同じく多数の者が同種類の仕事に従事していても、仕事の能率の上に非常なる差があっても、白痴でなければ、みな一人前と算えらるるであろう。
-
『論語と算盤』常識と習慣・習慣の感染性と伝播力由来習慣とは人の平生における所作が重なりて一つの固有性となるものであるから、それが自ずから心にも働きにも影響を及ぼし、悪いことの習慣を多く持つものは悪人となり、良いことの習慣を多くつけている人は善人となると言ったように、ついにはその人の人格にも関係して来るものである。ゆえに何人も平素心して良習慣を養うことは、人として世に処する上に大切なことであろう。
-
自警録・第一章 男一匹・神と獣類の間に立つ人外国語では人という名詞をただちに男に代用するが、わが国において人というのは西洋のいわゆるペルソン(人格)を指し、ただちに性の区別をいいあらわさない。しかしてこの人なる語はあるいは高尚な意味に用いることもあれば、またすこぶる野卑なる意味を含ませることもある。たとえば、 「人と生まれてかかる事をするのは恥である」 という場合に用いられた人は、万物の霊長であり、したがって廉恥心も自然に備わっているものなれば、よろしく自ら重んずべきものなりとの意味をいいあらわし、動物に対して人の尊重すべきを示したものである。しかるにこれに反し、 「どうせ人間だもの、このくらいのことをするのは当然だ」 という口調を放つときは、神ならぬわれわれは肉も血もあり、多くの弱点を備うるものなれば、時にこれしきの罪業をするのは免れぬと、半獣性の欠点に富めることをいいあらわすに用いられる。かくのごとく人間といえば上は神、下は獣類のあいだに介在するものであるから、両者の性質を兼備し、自分の勝手で都合よきほうに較べ、ある時はみずから尊者の敬称を甘んじて受け、またある時はみずから野卑と称するほど謙遜る。信玄の歌に、 人多き人の中にぞ人ぞなき、人となれ人、人となせ人 とあるは、ある人の歌に、 人はたゞ人とならねば人ならず、人となれ人、人となせ人 とあると同じく「人」なる観念を二つにしていることが明らかである。すなわち「人」なる字が善悪の二様に用いられている。
-
『呻吟語』内篇・修身・大官を做すと好人を做す大官を做す底は是れ一樣の家數なり、好人を做す底は是れ一樣の家數なり。