論語と算盤 / 人格と修養・平生の心掛が大切
若し余の意志が薄弱であつて、夫等幾多の変化や誘惑に遭遇した場合に浮々と一歩を蹈み誤つたならば、今日或は取返しのつかぬ結果に到着して居たかも知れぬ、例へば、過去四十年間に起つた小変動の中、其の東すべきを西するやうな事があつたならば、事件の大小は別として、初一念は此所に挫折する事になる、仮りに一つでも挫折されて方向が錯綜することになれば、最早自己の決心は傷けられた事になるので、それから先は五十歩百歩、もう何をしても構ふものかと云ふ気になるのが人情だから、止め度がなくなつて仕舞ふ、彼の大堤も蟻穴より崩る〻の喩の如く、左様なつては右に行くものも中途から引返して左へ行くやうなことになり、遂には一生を破壊了はねばならぬ、しかるに余は幸にも左様な場合に処する毎に熟慮考察し、危く心が動きかけたことがあつても、中途から取返して本心に立ち戻つたので、四十余年間先づ無事に過して来ることを得た、これに由つてこれを観るに、意志の鍛錬の六ケ敷きことは今更驚嘆の外はないが、併し夫等の経験から修得した教訓の価値も、また決して少いものでは無いと思ふ、
書き下し
もし余の意志が薄弱であって、それら幾多の変化や誘惑に遭遇した場合にうかうかと一歩を踏み誤ったならば、今日あるいは取り返しのつかぬ結果に到着していたかも知れぬ。例えば、過去四十年間に起こった小変動の中、その東すべきを西するような事があったならば、事件の大小は別として、初一念はここに挫折する事になる。仮に一つでも挫折されて方向が錯綜することになれば、もはや自己の決心は傷つけられた事になるので、それから先は五十歩百歩、もう何をしても構うものかという気になるのが人情だから、止め度がなくなってしまう。かの大堤も蟻穴より崩るるの喩えのごとく、さようなっては右に行くものも中途から引き返して左へ行くようなことになり、ついには一生を破壊し終わらねばならぬ。しかるに余は幸いにもさような場合に処するごとに熟慮考察し、危うく心が動きかけたことがあっても、中途から取り返して本心に立ち戻ったので、四十余年間まず無事に過ごして来ることを得た。これによってこれを観るに、意志の鍛錬の難しきことは今更驚嘆の外はないが、しかしそれらの経験から修得した教訓の価値も、また決して少ないものでは無いと思う。
現代語訳
もし私の意志が弱く、そうした数々の変化や誘惑に出会ったときに、うかうかと一歩を踏み誤っていたなら、今日あるいは取り返しのつかない結果に行き着いていたかもしれない。たとえば、この四十年の間に起こった小さな変動の中で、東へ行くべきところを西へ行くようなことがあったなら、事の大小は別として、最初の決心はそこで挫折することになる。仮に一つでも挫折して方向が入り乱れることになれば、もう自分の決心は傷つけられたことになるので、それから先は五十歩百歩、もう何をしても構うものかという気になるのが人情だから、歯止めがきかなくなってしまう。あの「大きな堤も蟻の穴から崩れる」というたとえの通り、そうなっては右へ行くはずの者も途中から引き返して左へ行くようなことになり、ついには一生を台無しにしてしまわなければならない。ところが私は幸いにも、そういう場面に出会うたびに熟慮し考察して、危うく心が動きかけたことがあっても、途中から取り返して本心に立ち戻ったので、四十余年の間、まずは無事に過ごしてくることができた。このことから見れば、意志の鍛錬の難しさには今さらながら驚嘆するほかないが、しかしそれらの経験から身につけた教訓の価値も、また決して小さなものではないと思う。
解説
関連する章句
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『論語と算盤』人格と修養・平生の心掛が大切そして得た所の教訓を約言すれば、大略次のごときものがある。すなわち一些事の微に至るまでもこれを閑却するはよろしくない。自己の意志に反することなら事の細大を問うまでもなく、断然これを跳ね付けてしまわねばいけない。最初は些細の事と侮ってやった事が、ついにはそれが原因となって総崩れとなるような結果を生み出すものであるから、何事に対してもよく考えてやらねばならぬ。
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『論語と算盤』人格と修養・平生の心掛が大切しかるに最初の決心がそれほど雄々しいものであったにもかかわらず、さて実地に進行して見るとなかなか思惑通りには行かないもので、爾来四十余年間、しばしば初一念を動かされようとしては危うく踏み止まり、ようやくにして今日あるを得た訳である。今から回顧すれば最初の決心当時に想像したよりも、この間の苦心と変化とははるかに多かったと思われる。
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『論語と算盤』人格と修養・平生の心掛が大切しかるにとかく人心は変態を生じがちのもので、常時は『かくあるべし』『かくすべし』と堅く決心していた者も、急転して知らず知らずに自ら自己の本心を誘惑し、平素の心事と全く別所にこれを誘うような結果をもたらすがごときは、常時における精神修養に欠くる所があり、意志の鍛錬が足らぬより生ずることである。かくのごときは随分修養も積み鍛錬を経た者でも惑わされることのないとは言われぬものだから、いわんや社会的経験の少ない青年時代などには、いやが上に注意を怠ってはならぬ。もし平生自己の主義主張としていたことが、事に当たって変化せねばならぬようなことがあるならば、よろしく再三再四熟慮するがよい。事を急激に決せず、慎重の態度をもってよく思い深く考えるならば、自ずと心眼の開くものもありて、ついに自己本心の住家に立ち帰ることが出来る。この自省熟考を怠るのは、意志の鍛錬にとって最も大敵であることを忘れてはならぬ。
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『論語と算盤』人格と修養・平生の心掛が大切総じて世の中のことは心のままにならぬが多い。独り形の上に表れている事物ばかりでなく、心に属することも間々そういうことがある。例えば、一度こうと心の中に堅く決心したことでも、何かふとしたことからにわかに変ずる。人から勧められてついにその気になると言ったような事もあるが、それが必ずしも悪意の誘惑でないまでも、心の遷転から起こることで、かくのごときは意志の弱いのであると言わねばなるまい。自ら決心して動かぬと覚悟していながら、人の言葉によりて変ずるがごときは、もとより意志の鍛錬の出来ているものではない。とかく平生の心掛けが大切である。平素その意中に『こうせよ』とか『こうせねばならぬ』とか、事物に対する心掛けが的確に決まっているならば、いかに他人が巧妙に言葉を操っても、うかとそれに乗せられるようなことはない訳だ。ゆえに何人も問題の起こらぬ時においてその心掛けを錬っておき、そして事に会し物に触れた時、それを順序よく進めるが肝要である。
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『論語と算盤』常識と習慣・正に就き邪に遠ざかるの道例えば、道理を楯にして言葉巧みに勧められでもすると、思わず知らず、平生自己の主義主張とする所よりも反対の方向に踏み入らざるを得ないようになって行くものである。かくのごときは無意識のうちに自己の本心を滅却されてしまうこととなるのであるが、そのような場合に際会しても、頭脳を冷静にしてどこまでも自己を忘れぬように注意することが、意志の鍛錬の要務である。もしそういう場合に遭遇したなら、先方の言葉に対し、常識に訴えて自問自答して見るがよい。その結果、先方の言葉に従えば一時は利益に向かい得られるが、後日に不利益が起こって来るとか、あるいはこの事柄に対してこう処断すれば、目前は不利でも将来のためになるとか、明瞭に意識されるものである。もし目前の出来事に対し、かくのごとき自省が出来たならば、自己の本心に立ち帰るはすこぶる容易なことで、従って正に就き邪に遠ざかることが出来る。
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『論語と算盤』処世と信条・得意時代と失意時代小事の方になると、悪くすると熟慮せずに決定してしまうことがある。それが甚だよろしくない。小事というくらいであるから、目前に現れたところだけでは極めて些細なことに見えるので、誰もこれを馬鹿にして念を入れることを忘れるものであるが、この馬鹿にして掛かる小事も、積んでは大事となることを忘れてはならぬ。また小事にもその場限りで済むものもあるが、時としては小事が大事の端緒となり、一些事と思ったことが後日大問題を惹起するに至ることがある。あるいは些細なことから次第に悪事に進みて、ついには悪人となるようなこともある。それと反対に小事から進んで次第に善に向かいつつ行くこともある。始めは些細な事業であると思ったことが、一歩一歩に進んで大弊害を醸すに至ることもあれば、これがため一身一家の幸福となるに至ることもある。これらはすべて小が積んで大となるのである。
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