論語と算盤 / 人格と修養・平生の心掛が大切
而して得た所の教訓を約言すれば、大略次の如きものがある、即ち一些事の微に至るまでもこれを閑却するは宜しくない、自己の意志に反することなら事の細大を問ふまでもなく、断然之を跳付けて了はねば可かない、最初は些細の事と侮つてやつた事が、遂には其れが原因となつて総崩れとなるやうな結果を生み出すものであるから、何事に対しても能く考へて行らねばならぬ。
書き下し
そして得た所の教訓を約言すれば、大略次のごときものがある。すなわち一些事の微に至るまでもこれを閑却するはよろしくない。自己の意志に反することなら事の細大を問うまでもなく、断然これを跳ね付けてしまわねばいけない。最初は些細の事と侮ってやった事が、ついにはそれが原因となって総崩れとなるような結果を生み出すものであるから、何事に対してもよく考えてやらねばならぬ。
現代語訳
そうして得た教訓をまとめれば、おおよそ次のようなものである。ごく些細なことに至るまで、これをおろそかにしてはいけない。自分の意志に反することなら、事の大小を問うまでもなく、断固としてはねつけてしまわなければならない。最初は些細なことだと侮ってやったことが、ついにはそれが原因となって総崩れになる結果を生むのだから、何事に対してもよく考えてやらねばならないのである。
解説
渋沢は明治六年に官を辞して以来、二度と政治には携わらないと決めた。その決心を四十余年守り通したが、章では「屢〻初一念を動されようとしては危く踏み止り」と正直に書いている。決めた通りにいったのではなく、何度も揺らいで、そのつど引き返した記録である。恐れているのは一度の踏み外しそのものではない。一つでも挫折すれば決心が傷つき、五十歩百歩、もう何をしても構うものかという気になる——大堤も蟻穴より崩れる、という人情の連鎖のほうだ。だから教訓は、些事を閑却しないことに落ちる。意志に反することは、小さくても断固としてはねつける。そこだけが崩れの入口だからである。
この章句が説くこと
平生の心掛初一念大堤も蟻穴より崩る意志の鍛錬