論語と算盤 / 人格と修養・平生の心掛が大切
然るに兎角人心は変態を生じ勝ちのもので、常時は『斯くあるべし』『斯くすべし』と堅く決心して居た者も、急転して知らず〳〵に自ら自己の本心を誘惑し、平素の心事と全く別処にこれを誘ふやうな結果を齎らすが如きは、常時に於ける精神修養に欠くる所があり、意志の鍛錬が足らぬより生ずることである、斯の如きは随分修養も積み鍛錬を経た者でも惑はされることのないとは言はれぬものだから、況んや社会的経験の少い青年時代などには、いやが上に注意を怠つてはならぬ、若し平生自己の主義主張として居たことが、事に当つて変化せねばならぬやうなことがあるならば、宜しく再三再四熟慮するが宜い、事を急激に決せず、慎重の態度を以て能く思ひ深く考へるならば、自ら心眼の開くものもありて、遂に自己本心の住家に立ち帰ることが出来る、此の自省熟考を怠るのは、意志の鍛錬に取つて最も大敵であることを忘れてはならぬ。
書き下し
しかるにとかく人心は変態を生じがちのもので、常時は『かくあるべし』『かくすべし』と堅く決心していた者も、急転して知らず知らずに自ら自己の本心を誘惑し、平素の心事と全く別所にこれを誘うような結果をもたらすがごときは、常時における精神修養に欠くる所があり、意志の鍛錬が足らぬより生ずることである。かくのごときは随分修養も積み鍛錬を経た者でも惑わされることのないとは言われぬものだから、いわんや社会的経験の少ない青年時代などには、いやが上に注意を怠ってはならぬ。もし平生自己の主義主張としていたことが、事に当たって変化せねばならぬようなことがあるならば、よろしく再三再四熟慮するがよい。事を急激に決せず、慎重の態度をもってよく思い深く考えるならば、自ずと心眼の開くものもありて、ついに自己本心の住家に立ち帰ることが出来る。この自省熟考を怠るのは、意志の鍛錬にとって最も大敵であることを忘れてはならぬ。
現代語訳
ところが、とかく人の心は常ならぬ変わり方をしがちなもので、ふだんは「こうあるべきだ」「こうすべきだ」と固く決心していた者も、急に一転して、知らず知らずのうちに自分で自分の本心を誘惑し、ふだんの心とはまったく別のところへ導いてしまうような結果をもたらす。このようなことは、日頃の精神修養に欠けるところがあり、意志の鍛錬が足りないことから生じるのである。こうしたことには、かなり修養を積み鍛錬を経た者でも惑わされないとは言い切れないのだから、まして社会経験の少ない青年時代などには、なおいっそう注意を怠ってはならない。もし、ふだん自分の主義主張としてきたことを、事にあたって変えなければならないようなことがあるなら、再三再四よく熟慮するのがよい。事を急に決めず、慎重な態度でよく思い深く考えるなら、おのずと心の眼が開けることもあり、ついには自分の本心という住み家に立ち帰ることができる。この自省と熟考を怠ることが、意志の鍛錬にとってもっとも大きな敵であることを忘れてはならない。
解説
関連する章句
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『論語と算盤』常識と習慣・正に就き邪に遠ざかるの道例えば、道理を楯にして言葉巧みに勧められでもすると、思わず知らず、平生自己の主義主張とする所よりも反対の方向に踏み入らざるを得ないようになって行くものである。かくのごときは無意識のうちに自己の本心を滅却されてしまうこととなるのであるが、そのような場合に際会しても、頭脳を冷静にしてどこまでも自己を忘れぬように注意することが、意志の鍛錬の要務である。もしそういう場合に遭遇したなら、先方の言葉に対し、常識に訴えて自問自答して見るがよい。その結果、先方の言葉に従えば一時は利益に向かい得られるが、後日に不利益が起こって来るとか、あるいはこの事柄に対してこう処断すれば、目前は不利でも将来のためになるとか、明瞭に意識されるものである。もし目前の出来事に対し、かくのごとき自省が出来たならば、自己の本心に立ち帰るはすこぶる容易なことで、従って正に就き邪に遠ざかることが出来る。
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『論語と算盤』人格と修養・平生の心掛が大切総じて世の中のことは心のままにならぬが多い。独り形の上に表れている事物ばかりでなく、心に属することも間々そういうことがある。例えば、一度こうと心の中に堅く決心したことでも、何かふとしたことからにわかに変ずる。人から勧められてついにその気になると言ったような事もあるが、それが必ずしも悪意の誘惑でないまでも、心の遷転から起こることで、かくのごときは意志の弱いのであると言わねばなるまい。自ら決心して動かぬと覚悟していながら、人の言葉によりて変ずるがごときは、もとより意志の鍛錬の出来ているものではない。とかく平生の心掛けが大切である。平素その意中に『こうせよ』とか『こうせねばならぬ』とか、事物に対する心掛けが的確に決まっているならば、いかに他人が巧妙に言葉を操っても、うかとそれに乗せられるようなことはない訳だ。ゆえに何人も問題の起こらぬ時においてその心掛けを錬っておき、そして事に会し物に触れた時、それを順序よく進めるが肝要である。
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『論語と算盤』人格と修養・平生の心掛が大切そして得た所の教訓を約言すれば、大略次のごときものがある。すなわち一些事の微に至るまでもこれを閑却するはよろしくない。自己の意志に反することなら事の細大を問うまでもなく、断然これを跳ね付けてしまわねばいけない。最初は些細の事と侮ってやった事が、ついにはそれが原因となって総崩れとなるような結果を生み出すものであるから、何事に対してもよく考えてやらねばならぬ。
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『論語と算盤』人格と修養・平生の心掛が大切もし余の意志が薄弱であって、それら幾多の変化や誘惑に遭遇した場合にうかうかと一歩を踏み誤ったならば、今日あるいは取り返しのつかぬ結果に到着していたかも知れぬ。例えば、過去四十年間に起こった小変動の中、その東すべきを西するような事があったならば、事件の大小は別として、初一念はここに挫折する事になる。仮に一つでも挫折されて方向が錯綜することになれば、もはや自己の決心は傷つけられた事になるので、それから先は五十歩百歩、もう何をしても構うものかという気になるのが人情だから、止め度がなくなってしまう。かの大堤も蟻穴より崩るるの喩えのごとく、さようなっては右に行くものも中途から引き返して左へ行くようなことになり、ついには一生を破壊し終わらねばならぬ。しかるに余は幸いにもさような場合に処するごとに熟慮考察し、危うく心が動きかけたことがあっても、中途から取り返して本心に立ち戻ったので、四十余年間まず無事に過ごして来ることを得た。これによってこれを観るに、意志の鍛錬の難しきことは今更驚嘆の外はないが、しかしそれらの経験から修得した教訓の価値も、また決して少ないものでは無いと思う。
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『論語と算盤』人格と修養・平生の心掛が大切しかるに最初の決心がそれほど雄々しいものであったにもかかわらず、さて実地に進行して見るとなかなか思惑通りには行かないもので、爾来四十余年間、しばしば初一念を動かされようとしては危うく踏み止まり、ようやくにして今日あるを得た訳である。今から回顧すれば最初の決心当時に想像したよりも、この間の苦心と変化とははるかに多かったと思われる。
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『論語と算盤』常識と習慣・正に就き邪に遠ざかるの道かく論じ来れば、意志の鍛錬には常識が必要であるという事になって来るが、常識の養成については別に詳説してあるからここには省くとしても、やはりその根本は孝悌忠信の思想によらなければならぬ。忠と孝とこの二者より組み立てたる意志をもって、何事も順序よく進ませるようにし、また何事によらず、沈思黙考して決断するならば、意志の鍛錬において間然する所はないと信ずる。しかしながら事件は沈思黙考の余地ある場合にのみ起こるものでない。唐突に湧き起こったり、さなくとも人と接した場合なぞに、その場で何とか応答の辞を吐かねばならぬことがいくらもある。そういう機会にはあまり熟慮している時間がないから、即座に機宜を得た答えをしなければならぬが、平素鍛錬を怠った者には、その場に適当な決定をすることがちょっと出来がたい。従って勢い本心に反したような結末を見なければならぬ。ゆえに何事も平素においてよく鍛錬を重ねるならば、ついにはそれがその人の習慣性となりて、何事に対しても動ずる色なきを得るに至るであろう。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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