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論語と算盤 / 人格と修養・平生の心掛が大切

以上は自己が意志の鍛錬に関する理論でもあり、又しかく感じた所であるが、序を以て余が実験談を此所に附加して置きたい、余は明治六年思ふ所ありて官を辞して以来、商工業といふものが自己の天職である、若し如何やうの変転が起つて来ても、政治界には断じて再び携はらぬと決心した、元来政治と実業とは互に交渉錯綜せるものであるから、達識非凡の人であつたら、此の二途に立つて其の中間を巧妙に歩めば頗る面白いのであるが、余の如き凡人が左様の仕方に出るときは、或はその歩を誤つて失敗に終ることがないとも限らない、故に余は初めから自己の力量の及ばぬ所として政治界を断念し専ら実業界に身を投じようと覚悟した訳であつた、而して当時余が此の決心を断行するに方つても、自己の考案に待つ所の多かつたことは勿論のことで、時には知己朋友よりの助言勧告も或る程度まではこれを斥け、断々乎として一意実業界に向つて猛進を企てた、

書き下し

以上は自己が意志の鍛錬に関する理論でもあり、またしかく感じた所であるが、ついでをもって余が実験談をここに附加しておきたい。余は明治六年思う所ありて官を辞して以来、商工業というものが自己の天職である、もしいかようの変転が起こって来ても、政治界には断じて再び携わらぬと決心した。元来政治と実業とは互いに交渉錯綜せるものであるから、達識非凡の人であったら、この二途に立ってその中間を巧妙に歩めばすこぶる面白いのであるが、余のごとき凡人がさようの仕方に出るときは、あるいはその歩を誤って失敗に終わることがないとも限らない。ゆえに余は初めから自己の力量の及ばぬ所として政治界を断念し専ら実業界に身を投じようと覚悟した訳であった。そして当時余がこの決心を断行するに当たっても、自己の考案に待つ所の多かったことはもちろんのことで、時には知己朋友よりの助言勧告もある程度まではこれを斥け、断々乎として一意実業界に向かって猛進を企てた。

現代語訳

以上は、意志の鍛錬に関する理論でもあり、また私がそのように感じてきたことでもあるが、ついでに私自身の体験談をここに付け加えておきたい。私は明治六年、思うところがあって官職を辞して以来、商工業こそが自分の天職である、たとえどのような変転が起こっても、政治の世界には断じて二度と携わらない、と決心した。もともと政治と実業とは互いに関わり合い、入り組んでいるものだから、見識の高い非凡な人であれば、この二つの道に立ってその間を巧みに歩めば、たいへん面白いのだろう。しかし私のような凡人がそういうやり方をすれば、あるいは足取りを誤って失敗に終わることがないとも限らない。だから私ははじめから、自分の力量の及ばないところとして政界を断念し、もっぱら実業界に身を投じようと覚悟したのであった。そして当時、私がこの決心を断行するにあたっても、自分自身の考えに頼るところが多かったのはもちろんのことで、時には知人や友人からの助言や勧告も、ある程度まではこれを退け、断固として一心に実業界へ向かって突き進もうとしたのである。

解説

理論を述べ終えた渋沢は、自らの体験談に移る。明治六年、井上馨とともに大蔵省を辞してから、商工業を天職とし、二度と政治に携わらないと決心した。政治と実業は入り組んでいるから、非凡な人ならその間を巧みに歩めるだろうが、自分のような凡人がやれば踏み外す。だから初めから政界を断念した、という。渋沢は第一国立銀行の総監役に就き、以後、実業の側から国を支える道を選んだ。のちに大蔵大臣や東京市長への就任を打診されても断ったことはよく知られている。ここで大事なのは、決心の理由を「自己の力量の及ばぬ所」と、自分の限界の見極めに置いている点だ。できることとできないことを見定め、友人の助言さえある程度退けて一つの道に絞る。自分を凡人と言うのは謙遜だけでなく、二兎を追わないための戦略でもある。

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