論語と算盤 / 人格と修養・楽翁公の幼時
是に依りて見ると、此御方は天才を有つて居られて、而して或点には余程感情の強い性質を有つて居られたが、これと同時に大層精神修養に力を尽され、而して遂に楽翁公の楽翁公たる人格を築き上げられたものと見えるのである。
書き下し
これによりて見ると、この御方は天才を持っておられて、そしてある点にはよほど感情の強い性質を持っておられたが、これと同時に大層精神修養に力を尽くされ、そしてついに楽翁公の楽翁公たる人格を築き上げられたものと見えるのである。
現代語訳
これによって見ると、このお方は天賦の才を持っておられ、そしてある点ではよほど感情の強い性質を持っておられたが、それと同時にたいへん精神修養に力を尽くされ、そうしてついに、楽翁公を楽翁公たらしめる人格を築き上げられたものと見えるのである。
解説
章の結びとして、渋沢は定信の人格の成り立ちを一文でまとめる。天才があった。感情の強さもあった。そのうえで精神修養に力を尽くし、ついに「楽翁公の楽翁公たる人格」を築いた、と。ここでは三つの要素が並べられているが、渋沢の力点は最後の修養にある。才は生まれつきのもので、激しい気性も生まれつきのものだが、人格は築き上げるものだという見方である。この章全体で渋沢は、自伝の中から、褒め言葉を諂いと見抜いたこと、確かでない書を作らなかったこと、添削の手を明記したこと、癇癪を侍臣の直言で改めたことを拾い出してきた。どれも生来の才ではなく、自分を省みる習慣の積み重ねである。「人格と修養」の部の冒頭にこの章が置かれたのは、人格は修養によって作られるという部全体の主題を、一人の人物の成長で示すためと読める。
関連する章句
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『論語と算盤』人格と修養・誤解されたる修養説を駁す修養とは身を修め徳を養うということにて、練習も研究も克己も忍耐もすべて意味するもので、人が次第に聖人や君子の境涯に近づくように努めるということで、そのために人性の自然を矯めるということは無いのである。つまり人は十分に修養したならば、一日一日と過ちを去り善に遷りて聖人に近づくのである。もしも修養したために、天真爛漫を傷つけると言うならば、聖人君子は完全に発達した者でないということになる。
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『論語と算盤』人格と修養・楽翁公の幼時楽翁公の伝はすでに広く世間に知れ渡っていることであるから、今改めて述ぶるまでもないのであるが、ここに述べんとするは楽翁公の御自筆で、松平家の秘書となっている『撥雲秘録』というものによりて、いささか公の御幼時における一端を窺うと同時に、その御人格御精神等の非凡なる所以を紹介しようと思うのである。すなわち『六つの年に大病に罹りたり、生くべきほど心許なかりけれど、高島朔庵法眼等多くの医師打ち集いて医しぬ、九月の頃平癒す、七つの頃にやありけん、孝経を読み習い仮名なんど習いたり、八つ九つの頃、人々皆記憶もよく才もありとて褒めののしりければ、我が心ながらさもあることよと思いしぞはかなかれ。』これは御利口だ御利口だと皆がお世辞を言うから、自分自身は利口なつもりでいたのが恥ずかしいという、懐旧の情を述べられたので、甚だゆかしき述懐である。
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『論語と算盤』人格と修養・楽翁公の幼時『その後大学など読み習いたる頃、幾かえり教えられ侍りても得覚え侍らずして、さては人々の褒めののしりけるは諂らい阿ねるにこそ、実はいと不才にして不記憶なりけりと、九つの頃ふと覚りぬ、これを思えば幼き時褒めののしるはいと悪しきことなるべし、十余りの頃より名を代々に高くし、日本唐土へも名声を鳴らさんと図りけるも、大志のようなれどもいと愚かなることにぞ侍りける。』これによって見ると、十歳位の時から海外にまで聞こえるほどの人物になりたいと思われた。実に非凡なことである。しかし御自身では、それは大志のようではあったけれども、烏滸の次第であったと謙遜しておられるのである。『その頃より大字など多く写して人の需めに応じたりけり、皆々請い需めしも諂いの種に生い出でしことなれば、その需めに応じて書きける心いと浅かりけり。』私共も時々字などを書かせられるが、あるいは楽翁公がここに言われたようなことがあるかも知れない。
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『論語と算盤』人格と修養・誤解されたる修養説を駁すまた修養のために偽君子となり、卑屈に陥るならば、その修養は誤れる修養であって、我々の常に言う修養ではないと思う。人は天真爛漫が善いということは私も最も賛成する所であるが、人の七情すなわち喜怒哀楽愛悪欲の発動が、いついかなる場合にも差し支えないとは言われぬ。聖人君子も発して節に中るのである。ゆえに修養は人の心を卑屈にし天真を害するものと見るは大なる誤りであると断言するのである。
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『論語と算盤』人格と修養・楽翁公の幼時これで見ると楽翁公は性来非常に多能で、少年の時分からよほど優れた御人のようである。自教鑑というは公の蔵書中に出ているが、自分の身を修めるということを自ら戒めた書で、あまり長篇ではないように記憶している。私も昔これを読んだことを覚えている。楽翁公はまた甚だやさしい性質の御方であったが、しかし老中田沼玄蕃頭の政治をひどく憂えて、とてもこれでは徳川家は立ち行くことは出来ぬという位に憤慨して、是非この悪政を除くには田沼を殺す外はないから、身を捨てて田沼を刺そうということを覚悟したということが、この書の中にも書いてある。元来至って温和な思慮深い御人であったが、ある点にはよほど精神の鋭い所のあった方のようである。なお続いて読んで行くと、癇癖の強い所があって、それを侍臣が厳しく諫めたことが書いてある。『明和八年予は十余り四つになれり〔中略〕
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『論語と算盤』人格と修養・誤解されたる修養説を駁す修養ということについて、私はある者より攻撃を受けたことがある。その説は大体二つの意味に分かれていたのである。その一つは、修養は人の性の天真爛漫を傷つけるから良くないと言うので、他の一つは、修養は人を卑屈にすると言うのであった。よってこれらの異見に対して答えておいたことを左に述べてみようと思うのである。まず修養は、人の本然の性の発達を阻害するから良くないというのは、修養と修飾とを取り違えて考えているものと思う。
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