論語と算盤 / 人格と修養・楽翁公の幼時
予此頃より短気にして、僅かのことにも怒りふづくみ、或は人を𠮟怒し、又は肩はり筋いだして理をいひなんどしたり、みな〳〵なげかしとのみいひたり、大塚孝綽ことによくいさめたり、水野為長常にいさめて日々のよしあしをいひたり、聞けばいと感じけれど、ふづくみの情に堪がたきに至る、床に索道のかきし太公望の釣する画をかけて、怒の情おこれば独りそれに打向ひて、其情をしづめけれども堪かねたり、ひと日全く怒の情なくくらしたく思ひしかど、終に其頃はなかりき、此くても十八歳の頃より洗ひそ〻ぎしやうになりたるこそ稀有なれ、全く左右の直言ありし故なるべし。
書き下し
予この頃より短気にして、わずかのことにも怒りふづくみ、あるいは人を叱怒し、または肩はり筋いだして理を言いなんどしたり。皆々嘆かわしとのみ言いたり。大塚孝綽ことによく諫めたり。水野為長常に諫めて日々のよしあしを言いたり。聞けばいと感じけれど、ふづくみの情に堪えがたきに至る。床に索道の描きし太公望の釣する画をかけて、怒りの情おこれば独りそれに打ち向かいて、その情を鎮めけれども堪えかねたり。ひと日まったく怒りの情なく暮らしたく思いしかど、ついにその頃はなかりき。かくても十八歳の頃より洗いそそぎしようになりたるこそ稀有なれ。まったく左右の直言ありし故なるべし。
現代語訳
私はこの頃から短気で、わずかなことにも腹を立てて膨れ、人を叱りつけ、あるいは肩を張り筋を立てて理屈を言ったりした。周りは皆、嘆かわしいとばかり言っていた。大塚孝綽はとりわけよく諫めてくれた。水野為長は常に諫めて、日々の善し悪しを言ってくれた。聞けば深く感じ入るのだが、腹立ちの情には耐えがたくなる。床の間に索道の描いた太公望が釣りをする絵を掛けて、怒りが起これば一人でそれに向かい、心を鎮めようとしたが、それでも耐えられなかった。一日まるまる怒らずに暮らしたいと思ったが、その頃はついにできなかった。それでも十八歳の頃から洗い清めたようになったのは稀有なことだ。まったく側近の直言があったからだろう。
解説
松平定信——楽翁公が自ら書き残した『撥雲秘録』からの一段である。同じ書には、幼い頃みなが利口だと褒めそやすので自分でもそう思っていたが、大学を読んで何度教わっても覚えられず、九つの頃、あれは諂いだったと悟った、という述懐もある。渋沢はそこに「幼き時褒めの〻しるはいと悪しきこと」を読む。そしてこの怒りの記録だ。絵に向かって独りで鎮めようとしても耐えられなかった、と正直に書く。変わったのは十八歳の頃で、本人はその理由を自分の努力ではなく「左右の直言ありし故」に帰している。上に立つ者の癇癪を止めたのは、諫めをやめなかった二人の家臣だった。
この章句が説くこと
楽翁公松平定信左右の直言怒りの情