導師導古典を学びたいすべての人に

論語と算盤 / 人格と修養・楽翁公の幼時

これで見ると楽翁公は性来非常に多能で、少年の時分から余程優れた御人のやうである、自教鑑といふは公の蔵書中に出て居るが、自分の身を修めるといふことを自ら戒めた書で、余り長篇ではないやうに記憶して居る、私も昔これを読んだことを覚えて居る、楽翁公は又甚だやさしい性質の御方であつたが、併し老中田沼玄蕃頭の政治をひどく憂へて、迚も是では徳川家は立行くことは出来ぬといふ位に憤慨して、是非この悪政を除くには田沼を殺す外はないから、身を捨て〻田沼を刺さうといふことを覚悟したと云ふことが、此書の中にも書いてある、元来至つて温和な思慮深い御人であつたが、或点には余程精神の鋭い所のあつた方のやうである、尚ほ続いて読んで行くと、癇癖の強い所があつて、それを侍臣が厳しく諫めたことが書いてある。『明和八年予は十余り四ツになれり〔中畧〕

新字:これで見ると楽翁公は性来非常に多能で、少年の時分から余程優れた御人のやうである、自教鑑といふは公の蔵書中に出て居るが、自分の身を修めるといふことを自ら戒めた書で、余り長篇ではないやうに記憶して居る、私も昔これを読んだことを覚えて居る、楽翁公は又甚だやさしい性質の御方であつたが、併し老中田沼玄蕃頭の政治をひどく憂へて、迚も是では徳川家は立行くことは出来ぬといふ位に憤慨して、是非この悪政を除くには田沼を殺す外はないから、身を捨て〻田沼を刺さうといふことを覚悟したと云ふことが、此書の中にも書いてある、元来至つて温和な思慮深い御人であつたが、或点には余程精神の鋭い所のあつた方のやうである、尚ほ続いて読んで行くと、癇癖の強い所があつて、それを侍臣が厳しく諫めたことが書いてある。『明和八年予は十余り四ツになれり〔中略〕

書き下し

これで見ると楽翁公は性来非常に多能で、少年の時分からよほど優れた御人のようである。自教鑑というは公の蔵書中に出ているが、自分の身を修めるということを自ら戒めた書で、あまり長篇ではないように記憶している。私も昔これを読んだことを覚えている。楽翁公はまた甚だやさしい性質の御方であったが、しかし老中田沼玄蕃頭の政治をひどく憂えて、とてもこれでは徳川家は立ち行くことは出来ぬという位に憤慨して、是非この悪政を除くには田沼を殺す外はないから、身を捨てて田沼を刺そうということを覚悟したということが、この書の中にも書いてある。元来至って温和な思慮深い御人であったが、ある点にはよほど精神の鋭い所のあった方のようである。なお続いて読んで行くと、癇癖の強い所があって、それを侍臣が厳しく諫めたことが書いてある。『明和八年予は十余り四つになれり〔中略〕

現代語訳

これで見ると、楽翁公は生まれつき非常に多才で、少年の頃からよほど優れたお方であったようだ。『自教鑑』というのは公の蔵書の中に出てくるが、自分の身を修めることを自ら戒めた書で、あまり長いものではなかったと記憶している。私も昔これを読んだことを覚えている。楽翁公はまた、たいへん優しい性質のお方であったが、老中田沼玄蕃頭の政治をひどく憂えて、とてもこれでは徳川家は立ち行かないというほどに憤慨し、この悪政を除くにはどうしても田沼を殺すほかはないから、身を捨てて田沼を刺そうと覚悟したということが、この書の中にも書いてある。もともとは至って温和で思慮深いお方であったが、ある点ではよほど精神の鋭いところのあった方のようである。さらに続けて読んでいくと、癇癪の強いところがあって、それを側近の家臣が厳しく諫めたことが書いてある。「明和八年、私は十四歳になった〔中略〕

解説

引用を受けて渋沢は定信の人柄をまとめる。多才で、少年の頃から優れ、『自教鑑』は渋沢自身も昔読んだという。そのうえで意外な一面を紹介する。温和で思慮深い人が、老中田沼の政治を憂え、この悪政を除くには刺すほかないと身を捨てる覚悟までした、と自伝に書いているのである。田沼意次の時代は商業重視の一方で賄賂政治と批判され、定信はのちに田沼失脚後の老中首座として寛政の改革を行った。渋沢は、優しさと鋭さが一人の中に同居していたことを認め、さらに癇癖が強く、それを侍臣が厳しく諫めたと続ける。この段は、既存の一段、すなわち怒りを抑えられず太公望の絵に向かっても堪えかね、十八歳でようやく改まったのは左右の直言のおかげだったという告白への前置きになっている。偉人を完成品として描かず、欠点とその克服の過程として描くのが渋沢の人物論の特徴である。

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る