導師導古典を学びたいすべての人に

論語と算盤 / 人格と修養・楽翁公の幼時

『十余り二つの頃、著述を好みて通俗の書など集め、大学の条下にある事々を書集めて人の教戒の便りにせまほしく思立ちて書きけれども、古きことも覚え侍らぬ上、通俗の書は偽り多しと聞きければ止めたり。』もう十一二歳の頃から著述をして人の教にならうと思ふことを書き始められたのであるが、併し古いことは知らず、また通俗の書を参考にする、事実を失うて居ることがあるから、読者を誤らしめてはならぬと思返して止められたのである。『今思へば真西山の大学術義の旨趣に類したる大旨なれば、蒐め侍らざりしぞ幸ひとも云ふべきにぞ、此頃より歌も詠みたれど、皆腰折の類にて覚えもし侍らず、又頼よる人もなければ、自からよみて反古にのみしたり、鈴鹿山の花の頃、旅人の行きかふ様画きたるを見て、鈴鹿山旅路の宿は遠けれど振捨てがたき花の木の下と詠みたるも、十余り一つの頃にありけん。』十一歳の時に既に斯ういふ歌を詠まれたのは、文芸上に於ても天才であつたやうに思はれます。

書き下し

『十余り二つの頃、著述を好みて通俗の書など集め、大学の条下にある事々を書き集めて人の教戒の便りにせまほしく思い立ちて書きけれども、古きことも覚え侍らぬ上、通俗の書は偽り多しと聞きければ止めたり。』もう十一二歳の頃から著述をして人の教えになろうと思うことを書き始められたのであるが、しかし古いことは知らず、また通俗の書を参考にする、事実を失うていることがあるから、読者を誤らしめてはならぬと思い返して止められたのである。『今思えば真西山の大学術義の旨趣に類したる大旨なれば、蒐め侍らざりしぞ幸いとも言うべきにぞ、この頃より歌も詠みたれど、皆腰折の類にて覚えもし侍らず、また頼りよる人もなければ、自ら詠みて反古にのみしたり、鈴鹿山の花の頃、旅人の行き交う様描きたるを見て、鈴鹿山旅路の宿は遠けれど振り捨てがたき花の木の下と詠みたるも、十余り一つの頃にありけん。』十一歳の時にすでにこういう歌を詠まれたのは、文芸上においても天才であったように思われます。

現代語訳

「十二歳の頃、著述を好んで通俗の書物などを集め、『大学』の各条の下にあることを書き集めて、人の教えや戒めの助けにしたいと思い立って書いたが、古いことも知らないうえ、通俗の書物には偽りが多いと聞いたので止めた」。もう十一、二歳の頃から、著述をして人の教えになろうと思うことを書き始められたのだが、古いことは知らず、また通俗の書物を参考にすれば事実を誤っていることがあるから、読者を誤らせてはならないと思い直して止められたのである。「今思えば、真西山の『大学衍義』の趣旨に似た大筋だったので、集めなかったのはむしろ幸いだったと言うべきだろう。この頃から歌も詠んだが、みな下手なものばかりで覚えてもいないし、また頼りにする人もいなかったので、自分で詠んでは反故にするばかりだった。鈴鹿山の花の頃、旅人が行き交う様子を描いた絵を見て、『鈴鹿山旅路の宿は遠けれど振り捨てがたき花の木の下』と詠んだのも、十一歳の頃だったろうか」。十一歳ですでにこういう歌を詠まれたのは、文芸のうえでも天才であったように思われる。

解説

十二歳の定信は、『大学』の条目ごとに教訓を集めた書を作ろうとして、古事に通じず、通俗書には偽りが多いと聞いて筆を止めた。渋沢はそこに、読者を誤らせてはならないという慎重さを読む。のちに定信自身、それが南宋の真徳秀(号は西山)の『大学衍義』と同じ趣旨だったと気づき、集めなかったのは幸いだったと書いている。『大学衍義』は『大学』の条目に沿って歴代の政治の事例を配した帝王学の書で、先行する大著と重なる仕事を子供が手がけかけていたわけである。同じ頃の歌も、自分では腰折れと卑下しながら、鈴鹿山の一首を残している。渋沢はここで定信の早熟な才を認めつつ、才よりも、確かでないものを書かない自制と自己評価の厳しさに光を当てている。発信の容易な今、根拠の怪しい情報で人を誤らせない慎みは、いっそう問われる。

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る