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論語と算盤 / 人格と修養・楽翁公の幼時

『其後大学など読みならひたる頃、幾かへり教へられ侍りても得覚え侍らずして、さては人々の褒めの〻しりけるは諂らひ阿ねるにこそ、実はいと不才にして不記憶なりけりと、九つの頃ふと覚りぬ、之を思へば幼き時褒めの〻しるはいと悪しきことなるべし、十余りの頃より名を代々に高くし、日本唐土へも名声を鳴らさんと図りけるも、大志のやうなれども最と愚かなることにぞ侍りける。』是に依つて見ると、十歳位の時から海外にまで聞える程の人物になりたいと思はれた、実に非凡なことである、併し御自身では、それは大志のやうではあつたけれども、烏滸の次第であつたと謙遜して居られるのである。『其頃より大字など多く写して人の需めに応じたりけり、皆々請需めしも諂ひの種に生ひ出でしことなれば、其需めに応じて書きける心いと浅かりけり。』私共も時々字などを書かせられるが、或は楽翁公が玆に言はれたやうなことがあるかも知れない。

書き下し

『その後大学など読み習いたる頃、幾かえり教えられ侍りても得覚え侍らずして、さては人々の褒めののしりけるは諂らい阿ねるにこそ、実はいと不才にして不記憶なりけりと、九つの頃ふと覚りぬ、これを思えば幼き時褒めののしるはいと悪しきことなるべし、十余りの頃より名を代々に高くし、日本唐土へも名声を鳴らさんと図りけるも、大志のようなれどもいと愚かなることにぞ侍りける。』これによって見ると、十歳位の時から海外にまで聞こえるほどの人物になりたいと思われた。実に非凡なことである。しかし御自身では、それは大志のようではあったけれども、烏滸の次第であったと謙遜しておられるのである。『その頃より大字など多く写して人の需めに応じたりけり、皆々請い需めしも諂いの種に生い出でしことなれば、その需めに応じて書きける心いと浅かりけり。』私共も時々字などを書かせられるが、あるいは楽翁公がここに言われたようなことがあるかも知れない。

現代語訳

「その後、『大学』などを読み習った頃、何度教えられても覚えることができず、さては人々が褒めそやしていたのはへつらいであって、実は自分はひどく才がなく記憶も悪いのだと、九歳の頃にふと悟った。これを思えば、幼い子を褒めそやすのはたいへん悪いことであろう。十歳を過ぎた頃から、名を代々にわたって高め、日本や中国にまで名声を響かせようと考えたのも、大志のようではあるが、実にばかげたことであった」。これによって見ると、十歳ぐらいの時から海外にまで聞こえるほどの人物になりたいと思われたわけで、実に非凡なことである。しかしご自身では、それは大志のようではあったが、おこがましいことであったと謙遜しておられるのである。「その頃から大きな字などを多く書いて人の求めに応じた。皆が頼んできたのも、へつらいの種から生じたことだったから、その求めに応じて書いた心はまことに浅はかであった」。私なども時々字などを書かされるが、あるいは楽翁公がここで言われたようなことがあるかもしれない。

解説

定信の述懐は続く。『大学』を何度教わっても覚えられず、九歳のとき、皆の褒め言葉は諂いだったと悟る。そこから「幼き時褒めののしるはいと悪しきこと」と、幼児を褒めそやす害を自ら戒めている。十歳を過ぎて日本と中国に名を轟かせようと志したことも、大志に見えて愚かだったと書く。さらに、頼まれて大字を書いたのも諂いから出た依頼に応じた浅い心だった、と。渋沢はこれを受けて、自分も時々揮毫を頼まれるが、同じことがあるかもしれないと自らに引き寄せている。渋沢は実業界の長老として膨大な揮毫を求められた人であり、この一言は軽い冗談ではなく自戒でもある。地位が上がるほど周囲の賛辞は増え、その多くは地位に向けられたものになる。それを見分ける目を、渋沢は十歳の定信の文章に見ている。

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