導師導古典を学びたいすべての人に

論語と算盤 / 理想と迷信・廓清の急務なる所以

斯くして益々富を殖す方にのみ相挙つて進む、そこで富む人は愈々富む、貧い者も富を狙はうとする、仁義道徳は旧世紀の遺物として顧みない、寧ろ殆んど其の何物たるかを知らぬ、唯智識だけを以て自家の富を増すに汲々乎たる有様である、腐敗に傾き、溷濁に陥り、堕落混乱を来す、固より怪むに足らない、勢ひ廓清を叫ばなければならぬ事にもなるのである。

書き下し

かくしてますます富を殖す方にのみ相挙って進む。そこで富む人はいよいよ富む。貧しい者も富を狙おうとする。仁義道徳は旧世紀の遺物として顧みない。むしろほとんどその何物たるかを知らぬ。ただ智識だけをもって自家の富を増すに汲々乎たる有様である。腐敗に傾き、溷濁に陥り、堕落混乱を来す。もとより怪しむに足らない。勢い廓清を叫ばなければならぬ事にもなるのである。

現代語訳

こうして、ますます富を殖やすほうにばかり皆がこぞって進んでいく。そこで富む者はいよいよ富み、貧しい者も富を狙おうとする。仁義道徳は前の時代の遺物として顧みられない。むしろ、それが何であるかをほとんど知らない。ただ知識だけで自分の家の富を増やすことにあくせくしている有様である。腐敗に傾き、濁りに陥り、堕落と混乱をもたらす。それはもとより怪しむに足りない。当然の勢いとして、廓清、つまり悪弊の一掃を叫ばなければならないことにもなるのである。

解説

前段で示した原因から、渋沢は当然の帰結を短く描く。皆が富を殖やす方にばかり進み、富む者はますます富み、貧しい者も富を狙う。仁義道徳は旧時代の遺物として顧みられず、その中身すら知られない。知識だけで自家の富を増すことに汲々とする社会が、腐敗し堕落するのは「固より怪むに足らない」と言い切る。明治末から大正にかけては、日糖事件(明治四十二年の大日本製糖の贈収賄事件)のような企業不祥事が相次ぎ、実業界の廓清が世論となっていた。渋沢はその風潮を受けつつ、腐敗を個人の悪ではなく、道徳を切り離した富の追求という構造から説明している。「仁義道徳と生産殖利は矛盾しない」という道徳経済合一説の出発点がここにある。利益だけを指標にした組織で不正が起きたとき、個人を責めるだけで済むのか、と問いかける段である。

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る