論語と算盤 / 理想と迷信・廓清の急務なる所以
然らば如何にして其の廓清を計るべきであらう、一般に正当なる利益を進める方法を忘れ、徒らに利慾の餓鬼となる結果、此の如き道徳を滅却するやうな状態に陥るといふことは、前に言つた、併し其の行動を悪むの余り、生産利殖の根本をも塞ぐといふまでに立ち至るのは、甚だ取らない、例へば男女の品行の甚だ猥褻に流れるのを嫌うて、自然の人情まで絶つといふことは、甚だ不条理なことでもあるし、また行はれ難いことでもある、遂には生々の理を失つて了ふことになるのである、実業界の腐敗堕落に対しても、唯これに対して攻撃戒飭を加へるといふ方にのみ力を尽すのが、適当なる廓清であるか否かは余程注意すべき問題であつて、或は反つて為に国家の元気を喪ひ、国家の真実の富を毀損するやうな事にならぬとも言はれぬ、廓清といふことは中々六ケ敷い、
書き下し
しからばいかにしてその廓清を計るべきであろう。一般に正当なる利益を進める方法を忘れ、いたずらに利欲の餓鬼となる結果、かくのごとき道徳を滅却するような状態に陥るということは、前に言った。しかしその行動を憎むの余り、生産利殖の根本をも塞ぐというまでに立ち至るのは、甚だ取らない。例えば男女の品行の甚だ猥褻に流れるのを嫌うて、自然の人情まで絶つということは、甚だ不条理なことでもあるし、また行われ難いことでもある。ついには生々の理を失ってしまうことになるのである。実業界の腐敗堕落に対しても、ただこれに対して攻撃戒飭を加えるという方にのみ力を尽すのが、適当なる廓清であるか否かはよほど注意すべき問題であって、あるいはかえってために国家の元気を喪い、国家の真実の富を毀損するような事にならぬとも言われぬ。廓清ということはなかなか難しい。
現代語訳
では、どのようにしてその廓清を図るべきだろうか。世間一般が正当な利益を進める方法を忘れ、むやみに利欲の餓鬼となった結果、このように道徳を消し去るような状態に陥るということは、前に述べた。しかし、その行いを憎むあまり、生産や利殖の根本までふさいでしまうところまで行くのは、まったく賛成できない。たとえば、男女の品行がひどく乱れるのを嫌って、自然の人情まで断ち切るというのは、たいへん不条理なことでもあり、また実行しがたいことでもある。ついには生きて栄えていく道理そのものを失ってしまうことになる。実業界の腐敗堕落に対しても、ただ攻撃し、戒めることにばかり力を尽くすのが適当な廓清であるかどうかは、よほど注意すべき問題である。あるいはかえって、そのために国家の元気を失い、国家の本当の富を損なうようなことにならないとも限らない。廓清というのは、なかなか難しいものなのである。
解説
関連する章句
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『論語と算盤』理想と迷信・廓清の急務なる所以かくしてますます富を殖す方にのみ相挙って進む。そこで富む人はいよいよ富む。貧しい者も富を狙おうとする。仁義道徳は旧世紀の遺物として顧みない。むしろほとんどその何物たるかを知らぬ。ただ智識だけをもって自家の富を増すに汲々乎たる有様である。腐敗に傾き、溷濁に陥り、堕落混乱を来す。もとより怪しむに足らない。勢い廓清を叫ばなければならぬ事にもなるのである。
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『論語と算盤』理想と迷信・廓清の急務なる所以第一の根本たる道理なるものは必ず生産と一致するものである。そして富をなす方法手段は、第一に公益を旨とし、人を虐げるとか、人に害を与えるとか、人を欺くとか、あるいは偽りなどということのないようにしなければならぬ。かくて各々その職に従って尽すべきを尽し、道理を誤らず富を増して行くことであれば、いかに発展して行っても、他と相侵すとか相害することは起こらぬと思う。神聖なる富はかくて初めて得られ続けられるのである。
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『論語と算盤』理想と迷信・廓清の急務なる所以旧に復って、治める方の人のみが道義を重んじ、生産殖利に従事する人はなるたけ制限して、ごく小さい範囲に棲息せしむるようにして行ったならば、その弊害を減ずることが出来るか知れないが、それでは国の富の進歩は止まってしまう。そこであくまで富を進め、富を擁護しつつ、その間に罪悪の伴わぬ神聖な富を作ろうとするには、どうしても一の守るべき主義を持たなければならぬ。それはすなわち私が常に言っている所の仁義道徳である。仁義道徳と生産殖利とは決して矛盾しない。だからその根本の理を明らかにして、かくすればこの位置を失わぬということを、我れ人共に十分に考究して、安んじてその道を行うことが出来たならば、あえて相率いて腐敗堕落に陥るということなく、国家的にも個人的にも、正しく富を増進することが出来ると信ずる。その方法として日常の事につき、かかる商売にはかくかく、かかる事業にはかくかくとここに詳述は出来ないが、
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『論語と算盤』理想と迷信・廓清の急務なる所以各人各業がこの域に達すれば、そこで廓清は遂げられたのである。
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『論語と算盤』仁義と富貴・義利合一の信念を確立せよしかるにこの場合に際し、もし実業家が我勝ちに私利私慾を計るに汲々として、世間はいかようになろうと、自分さえ利益すれば構わぬと言っていれば、社会はますます不健全となり、嫌悪すべき危険思想は徐々に蔓延するようになるに相違ない。果たしてしからば危険思想醸成の罪は、ひとえに実業家の双肩に負わねばならなくなる。ゆえに一般社会のためにこれを匡正せんとするならば、この際我々の職分として、極力仁義道徳によって利用厚生の道を進めて行くという方針を取り、義利合一の信念を確立するように勉めなくてはならぬ。富みながらかつ仁義を行い得る例はたくさんにある。義利合一に対する疑念は今日ただちに根本から一掃せねばならぬ。
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『論語と算盤』理想と迷信・これは果して絶望か自分の説に対して平和協会のボール氏とか、井上博士、塩沢博士、中島力造博士、菊池大麓男などは、全然帰一とまでは行かないにしても、必ずある程度までは帰一し得らるべきものである。世の中の物事が、時としては横道に外れるようなこともあるが、それはその事物が悪いので、そのために真理は少しもくらまされるものではない。昔はこうであったとか、こういう理論もあるとか言われて、仁義道徳と生産殖利とは必ず一致すべきもの、また一致せなければ真正の富を造り成し、これを永久に捕捉することの出来ないものであるということは、たいていの議論が帰着しようと思うと言っておられる。もし果たしてこういう論旨が十分に徹底して、世の中に鼓吹せられ、生産殖利は必ず仁義道徳によらねばならぬ、という観念が打成されたならば、仁義道徳に欠ける行為はおのずから止むに至るであろう。例えば、御用物品の買い上げに従う職司の人も、賄賂は仁義道徳に背くと心付けば、とても賄賂を収め得るものでない。御用商人の側から言うても、仁義道徳に背戻すると思えば、賄賂を行うことは出来まい。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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