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論語と算盤 / 理想と迷信・真正なる文明

斯の如く百揆皆整うて居るからと云うて、未だ文明国とは言へない、其の設備の整うて居る上に、一国を十分に維持し活動すべき実力がなくてはならぬ、此の実力といふことに就ては兵力にも論及せねばならぬが、警察の制度も、地方自治の団体も、皆その力の一部分である、斯の如きものが十分に具備して居る上に、彼此おの〳〵克く其の権衡を得て相調和し相聯絡して、一方に重きを措き過ぎるとか、若くは統一を欠くとかいふことの無いのが即ち文明と言ひ得るだらう、換言すれば、一国の設備が如何に能く整うて居ても、之を処理する人の智識能力が其れに伴はなければ、真正なる文明国とは謂はれない、但し前に述べたる如き、完全なる設備の整うて居る国で、之を運用する人は不完全であるといふことは、先づ少い道理であるが、或る場合には表面の体裁は完全に見ゆるが、根本が堅実でない場合もあり得ることで、謂ゆる優孟の衣冠で、立派な着物も其の人柄に似合はぬといふやうな事がないとは言はれぬ、

書き下し

かくのごとく百揆皆整うているからと言うて、いまだ文明国とは言えない。その設備の整うている上に、一国を十分に維持し活動すべき実力がなくてはならぬ。この実力ということについては兵力にも論及せねばならぬが、警察の制度も、地方自治の団体も、皆その力の一部分である。かくのごときものが十分に具備している上に、彼此おのおのよくその権衡を得て相調和し相連絡して、一方に重きを置き過ぎるとか、もしくは統一を欠くとかいうことの無いのがすなわち文明と言い得るだろう。換言すれば、一国の設備がいかによく整うていても、これを処理する人の智識能力がそれに伴わなければ、真正なる文明国とは言われない。ただし前に述べたるごとき、完全なる設備の整うている国で、これを運用する人は不完全であるということは、まず少ない道理であるが、ある場合には表面の体裁は完全に見ゆるが、根本が堅実でない場合もあり得ることで、いわゆる優孟の衣冠で、立派な着物もその人柄に似合わぬというような事がないとは言われぬ。

現代語訳

このようにあらゆる政務がすべて整っているからといって、それだけではまだ文明国とは言えない。その設備が整っているうえに、一国を十分に維持し、活動させるだけの実力がなければならない。この実力については兵力にまで話を広げなければならないが、警察の制度も、地方自治の団体も、みなその力の一部である。こうしたものが十分に備わったうえで、それぞれがよく釣り合いを保って互いに調和し、連絡し合い、一方に重きを置きすぎるとか、統一を欠くとかいうことがない状態、それを文明と言うことができるだろう。言い換えれば、一国の設備がどれほどよく整っていても、それを処理する人の知識と能力が伴わなければ、本当の文明国とは言えない。もっとも、先に述べたような完全な設備の整った国で、それを運用する人だけが不完全だということは、道理としてまず少ない。しかし場合によっては、表面の体裁は完全に見えても、根本が堅実でないこともありうる。いわゆる「優孟の衣冠」で、立派な着物がその人柄に似合わない、ということがないとは言えないのである。

解説

前段で並べた制度や設備は、文明の必要条件にすぎないと渋沢は言う。そのうえに一国を維持し動かす実力が要り、しかもその諸力が互いに釣り合い、連絡し合っていなければならない。兵力、警察、地方自治と例を挙げながら、どれか一つに偏らないことを文明の条件に数えているのが特徴である。さらに一歩進めて、設備を処理する人の知識と能力が伴わなければ真の文明国ではないと述べる。「優孟の衣冠」は『史記』滑稽列伝の故事で、楚の俳優優孟が亡き宰相孫叔敖の衣冠をまとってそっくりに振る舞ったことから、外見だけ似せて中身が伴わないことをいう。制度を器とすれば、器にふさわしい人がいるかが問われているのである。仕組みを輸入し形を整えた明治日本への、内側からの点検と読める。

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