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論語と算盤 / 理想と迷信・真正なる文明

故に真正の文明といふことは総ての制度文物の具備と、其れから一般国民の人格と智能とによりて始めて言ひ得るだらうと思ふ、斯く観察すれば、最早貧富といふことは論ぜぬでも、文明といふ中には自ら富の力が加はつて居ると見て宜しいけれども、形式と実力とは必ずしも一致するものに非ずして、形式が文明であつても実力は貧弱、是は甚だ不権衡の言ではあるけれども、必ず無いとは言はれない、故に曰く、真正の文明は強力と富実とを兼ね備ふるものでなければならぬ。

書き下し

ゆえに真正の文明ということは、すべての制度文物の具備と、それから一般国民の人格と智能とによりて始めて言い得るだろうと思う。かく観察すれば、もはや貧富ということは論ぜぬでも、文明という中には自ずと富の力が加わっていると見てよろしいけれども、形式と実力とは必ずしも一致するものにあらずして、形式が文明であっても実力は貧弱、これは甚だ不権衡の言ではあるけれども、必ず無いとは言われない。ゆえに曰く、真正の文明は強力と富実とを兼ね備えるものでなければならぬ。

現代語訳

だから本当の文明とは、あらゆる制度や文物が備わっていること、そのうえで国民一般の人格と知能があること——この両方によって初めて言えるものだと思う。こう見れば、貧富をあらためて論じなくても、文明という語のうちに富の力は含まれていると考えてよい。けれども形式と実力は必ずしも一致しない。形式は文明であっても実力は貧弱、というのは釣り合わない言い方だが、絶対にないとは言えない。だから言うのだ、本当の文明とは、強い力と実のある富とを兼ね備えたものでなければならない、と。

解説

制度が整い、法律も教育も行き届いていれば文明国か。渋沢はそれだけでは足りないと言う。それを運用する人の人格と知能が伴わなければ、外形だけの文明になる——「優孟の衣冠」、立派な着物が人柄に似合わない状態だ、と。そのうえで日本の当時の姿を診断する。国体も制度も維新以来整えられたが、それを支える富の力が追いついていない。しかも文明の体裁を整えるために富を削っている。文明が貧弱に陥れば、諸制度はみな虚形となり、やがて文明は野蛮に戻る、と警告する。形と実の釣り合いという見方は、組織にもそのまま当たる。制度を先に整えても、支える実力が伴わなければ、その制度は空文になる。

この章句が説くこと

真正の文明形式と実力優孟の衣冠強力と富実

この一句を、あなたの毎日に。

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