論語と算盤 / 理想と迷信・修験者の失敗
余が十五歳の時であつた、自分には一人の姉が脳を患つて発狂し、二十歳といふ娘盛りでありながら、婦人にあるまじき暴言暴行を敢てし、狂態が甚だ強かつたので、両親も余も之を非常に心配した、兎に角女のことであるから、他の男に其の世話はさせられぬ、余は心狂へる姉の後ろに附随して歩き、様々に悪口されながらも、心よりの心配に駆られて能く世話をしてやつたので、その頃近所の人々の褒め者であつた、然るに此の心配は独り一家内の上ばかりでなく、親戚の人々も等しく憂慮して呉れたが、中にも父の実家なる宗助の母親は大の迷信家であつたので、此の病気は家に崇のある為であるかも知れぬから、祈禱するが宜いと頻りに勧誘したけれども、父は迷信が大嫌ひで、容易に聞入れなかつたが、その中に姉を伴れて転地保養かた〴〵上野の室田といふ所へ行かれた、此の室田といふ所は有名の大滝がある所で、病人を其の滝に打たすれば宜いとのことであつた、
新字:余が十五歳の時であつた、自分には一人の姉が脳を患つて発狂し、二十歳といふ娘盛りでありながら、婦人にあるまじき暴言暴行を敢てし、狂態が甚だ強かつたので、両親も余も之を非常に心配した、兎に角女のことであるから、他の男に其の世話はさせられぬ、余は心狂へる姉の後ろに附随して歩き、様々に悪口されながらも、心よりの心配に駆られて能く世話をしてやつたので、その頃近所の人々の褒め者であつた、然るに此の心配は独り一家内の上ばかりでなく、親戚の人々も等しく憂慮して呉れたが、中にも父の実家なる宗助の母親は大の迷信家であつたので、此の病気は家に崇のある為であるかも知れぬから、祈祷するが宜いと頻りに勧誘したけれども、父は迷信が大嫌ひで、容易に聞入れなかつたが、その中に姉を伴れて転地保養かた〴〵上野の室田といふ所へ行かれた、此の室田といふ所は有名の大滝がある所で、病人を其の滝に打たすれば宜いとのことであつた、
書き下し
余が十五歳の時であった。自分には一人の姉が脳を患って発狂し、二十歳という娘盛りでありながら、婦人にあるまじき暴言暴行をあえてし、狂態が甚だ強かったので、両親も余もこれを非常に心配した。とにかく女のことであるから、他の男にその世話はさせられぬ。余は心狂える姉の後ろに付随して歩き、様々に悪口されながらも、心よりの心配に駆られてよく世話をしてやったので、その頃近所の人々の褒め者であった。しかるにこの心配はひとり一家内の上ばかりでなく、親戚の人々も等しく憂慮してくれたが、中にも父の実家なる宗助の母親は大の迷信家であったので、この病気は家に祟りのあるためであるかも知れぬから、祈禱するがよいとしきりに勧誘したけれども、父は迷信が大嫌いで、容易に聞き入れなかったが、そのうちに姉を連れて転地保養かたがた上野の室田という所へ行かれた。この室田という所は有名の大滝がある所で、病人をその滝に打たすればよいとのことであった。
現代語訳
私が十五歳のときのことである。私には姉が一人いたが、脳を患って正気を失い、二十歳という娘盛りでありながら、女性にあるまじき暴言や暴行をはたらき、狂った様子がはなはだ激しかったので、両親も私もこれを非常に心配した。ともかく女のことであるから、ほかの男に世話はさせられない。私は心の乱れた姉の後についてまわり、さまざまに悪口を言われながらも、心からの心配に駆られてよく世話をしてやったので、そのころ近所の人々から褒められていた。この心配は一家の内だけのことではなく、親戚の人々も同じように憂えてくれたが、中でも父の実家である宗助の母親は大の迷信家だったので、この病気は家に祟りがあるためかもしれないから祈禱するのがよいと、しきりに勧めた。けれども父は迷信が大嫌いで、容易には聞き入れなかった。そのうちに父は、転地保養をかねて姉を連れ、上野国(群馬県)の室田という所へ出かけられた。この室田という所は有名な大滝のある所で、病人をその滝に打たせるとよいということであった。
解説
関連する章句
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『論語と算盤』理想と迷信・修験者の失敗ところが、天保三年は今より二十三年前の事であるから、そこで余は修験者に向かい、「ただ今お聞きの通り、無縁仏の有無が明らかに知れるくらいの神様が、年号を知らぬという訳はない筈のことだ。かような間違いがあるようでは、まるで信仰も何も出来るものじゃない。果たして霊妙に通ずる神様なら、年号ぐらいは立派にお解りにならねばならぬ。しかるにこの見易き年号すらも誤るほどでは、所詮取るに足らぬものであろう」
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『論語と算盤』理想と迷信・修験者の失敗しかるに父の出た後、母はとうとう宗助の母親に説き伏せられ、父の留守中に家にあるという祟りを払うため、遠加美講というものを招いてご祈禱することになった。余も父と同じく少年時代より迷信をひどく嫌ったので、その時極力反対したけれども、いまだ十五歳の子供の悲しさ、一言の下に伯母なぞに叱りつけられて、余が説は通らない。
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『論語と算盤』理想と迷信・修験者の失敗と詰問の矢を放った。宗助の母親は横合いから「そのようなことを言うと神罰が当たる」という一言をもって自分の言葉を遮ったが、これは明白の道理で、誰にもよく解った話だから、自然と満座の人々も興を冷まして修験者の顔を見詰めた。修験者も間が悪くなったと見えて、「これは何でも野狐が来たのであろう」と言い抜けた。野狐ということなら、なおさら祠を建てるの、祀りをするのということは不用だというので、つまり何事もせずに止めることになった。それゆえ修験者は自分の顔を見て、「さてさて、悪い少年だ」と言わぬばかりの顔付きで睨まえた。私は勝ち誇りたる会心の笑みを禁ずることが出来なかった。それぎり宗助の母親はぷっつり加持祈禱ということを止めてしまった。村内の人々はこの事を伝え聞いて、以来修験者の類を村には入れまい、迷信は打破すべきものぞという覚悟を持つようになった。
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『論語と算盤』理想と迷信・修験者の失敗さて両三人の修験者が来てその用意に掛かったが、中座という者が必要なので、その役には近い頃家に雇い入れた飯炊き女を立てることになった。そして室内には注連を張り、御幣などを立てて厳かに飾りつけをし、中座の女は目を隠し、御幣を持って端坐している。その前で修験者は色々の呪文を唱え、列座の講中信者などは、大勢して異口同調に遠加美という経文体のものを高声に唱えると、中座の女、初めのほどは眠っているようであったが、いつかは知らず持っている御幣を振り立てた。この有様を見た修験者は、ただちに中座の目隠しを取ってその前に平身低頭し「いずれの神様がご臨降であるか、お告げを蒙りたい」などと言い、それから「当家の病人について何らの祟りがありますか、なにとぞお知らせください」と願った。すると中座の飯炊き女めがいかにも真面目くさって、「この家には金神と井戸の神が祟る。またこの家には無縁仏があって、それが祟りをするのだ」と、さも横柄に言い放った。
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『論語と算盤』理想と迷信・修験者の失敗それを聞いた人々の中でも、別して初めに祈禱を勧誘した宗助の母親は得たり顔になって、「それご覧、神様のお告げは確かなものだ。なるほど老人の話に、いつの頃か、この家から伊勢参宮に出立してそれ限り帰宅せぬ人がある。定めし途中で病死したのであろうということを聞いていたが、今お告げの無縁仏の祟りというのは、果たしてこの話の人に相違あるまい。どうも神様は明らかなものだ。実にありがたい」と言って喜び、そしてこの祟りを清めるにはどうしたらよかろうという所から、また中座に伺ってみると、「それは祠を建立して祀りをするがよい」と言った。
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『論語と算盤』教育と情誼・孝は強ふべきものに非ずかかることを述べると、いかにも私の自慢話のようになって恐縮であるが、実際の事ゆえ、憚らずお話しする。確か私の二十三歳の時であったろうと思うが、父は私に向かい「そこもとの十八歳頃からの様子を観ていると、どうもそこもとは私と違った所がある。読書をさしてもよく読み、また何事にも悧発である。私の思う所から言えば、永遠までもそこもとを手許に留め置いて、私の通りにしたいのであるが、それではかえってそこもとを不孝の子にしてしまうから、私は今後そこもとを私の思う通りのものにせず、そこもとの思うままにさせることにした」と申されたことがある。いかにも父の申されたごとく、その頃私は文字の力の上から言えば、不肖ながらあるいはすでに父より上であったかも知れぬ。また父とは多くの点において、不肖ながら優った所もあったろう。しかるに父が無理に私を父の思う通りのものにしようとし、かくするが孝の道であると、私に孝を強いるがごときことがあったとしたら、私はあるいはかえって父に反抗したりなぞして、不孝の子になってしまったかも知れぬ。
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