論語と算盤 / 理想と迷信・修験者の失敗
しかるに父の出た後、母はとう〳〵宗助の母親に説き伏せられ、父の留守中に家にあるといふ崇を払ふため、遠加美講といふものを招いで御祈禱することになつた、余も父と同じく少年時代より迷信をひどく嫌つたので、其の時極力反対したけれども、未だ十五歳の子供の悲しさ、一言の下に伯母なぞに𠮟りつけられて、余が説は通らない。
新字:しかるに父の出た後、母はとう〳〵宗助の母親に説き伏せられ、父の留守中に家にあるといふ崇を払ふため、遠加美講といふものを招いで御祈祷することになつた、余も父と同じく少年時代より迷信をひどく嫌つたので、其の時極力反対したけれども、未だ十五歳の子供の悲しさ、一言の下に伯母なぞに𠮟りつけられて、余が説は通らない。
書き下し
しかるに父の出た後、母はとうとう宗助の母親に説き伏せられ、父の留守中に家にあるという祟りを払うため、遠加美講というものを招いてご祈禱することになった。余も父と同じく少年時代より迷信をひどく嫌ったので、その時極力反対したけれども、いまだ十五歳の子供の悲しさ、一言の下に伯母なぞに叱りつけられて、余が説は通らない。
現代語訳
ところが父が出かけたあと、母はとうとう宗助の母親に説き伏せられ、父の留守中に、家にあるという祟りを払うため、遠加美講というものを招いて祈禱することになった。私も父と同じく少年時代から迷信がひどく嫌いだったので、そのとき極力反対したけれども、まだ十五歳の子供の悲しさで、伯母などに一言のもとに叱りつけられ、私の言い分は通らなかった。
解説
父が留守にしたすきに、母は親戚に説き伏せられて祈禱を頼むことになる。遠加美講は、「とほかみえみため」という神道系の唱え言を唱える講で、修験者が中心となって加持祈禱を行った。少年の渋沢は父と同じく迷信を嫌い、極力反対したが、十五歳の子供の言うことは一言で退けられた。ここで描かれているのは、正しい意見でも立場が弱ければ通らないという、どこにでもある場面である。母を責める調子はない。娘の病に心を痛める母が、親戚の強い勧めに抗しきれなかったのは無理もない。家の中で権威のある年長者が決め、子供は黙らされる。それでも渋沢は、反対が通らなかったからといって黙って引き下がりはしなかった。この後の段で、彼は儀式の場にとどまり、疑わしい点がないかを始終注視し続ける。意見が通らなかったとき、あきらめるのではなく、観察を続けて機会を待つ。若手が組織の中で正論を通すときにも通じる構えである。
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『論語と算盤』理想と迷信・修験者の失敗と詰問の矢を放った。宗助の母親は横合いから「そのようなことを言うと神罰が当たる」という一言をもって自分の言葉を遮ったが、これは明白の道理で、誰にもよく解った話だから、自然と満座の人々も興を冷まして修験者の顔を見詰めた。修験者も間が悪くなったと見えて、「これは何でも野狐が来たのであろう」と言い抜けた。野狐ということなら、なおさら祠を建てるの、祀りをするのということは不用だというので、つまり何事もせずに止めることになった。それゆえ修験者は自分の顔を見て、「さてさて、悪い少年だ」と言わぬばかりの顔付きで睨まえた。私は勝ち誇りたる会心の笑みを禁ずることが出来なかった。それぎり宗助の母親はぷっつり加持祈禱ということを止めてしまった。村内の人々はこの事を伝え聞いて、以来修験者の類を村には入れまい、迷信は打破すべきものぞという覚悟を持つようになった。
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『論語と算盤』理想と迷信・修験者の失敗ところが、天保三年は今より二十三年前の事であるから、そこで余は修験者に向かい、「ただ今お聞きの通り、無縁仏の有無が明らかに知れるくらいの神様が、年号を知らぬという訳はない筈のことだ。かような間違いがあるようでは、まるで信仰も何も出来るものじゃない。果たして霊妙に通ずる神様なら、年号ぐらいは立派にお解りにならねばならぬ。しかるにこの見易き年号すらも誤るほどでは、所詮取るに足らぬものであろう」
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『論語と算盤』理想と迷信・修験者の失敗さて両三人の修験者が来てその用意に掛かったが、中座という者が必要なので、その役には近い頃家に雇い入れた飯炊き女を立てることになった。そして室内には注連を張り、御幣などを立てて厳かに飾りつけをし、中座の女は目を隠し、御幣を持って端坐している。その前で修験者は色々の呪文を唱え、列座の講中信者などは、大勢して異口同調に遠加美という経文体のものを高声に唱えると、中座の女、初めのほどは眠っているようであったが、いつかは知らず持っている御幣を振り立てた。この有様を見た修験者は、ただちに中座の目隠しを取ってその前に平身低頭し「いずれの神様がご臨降であるか、お告げを蒙りたい」などと言い、それから「当家の病人について何らの祟りがありますか、なにとぞお知らせください」と願った。すると中座の飯炊き女めがいかにも真面目くさって、「この家には金神と井戸の神が祟る。またこの家には無縁仏があって、それが祟りをするのだ」と、さも横柄に言い放った。
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『論語と算盤』理想と迷信・修験者の失敗余が十五歳の時であった。自分には一人の姉が脳を患って発狂し、二十歳という娘盛りでありながら、婦人にあるまじき暴言暴行をあえてし、狂態が甚だ強かったので、両親も余もこれを非常に心配した。とにかく女のことであるから、他の男にその世話はさせられぬ。余は心狂える姉の後ろに付随して歩き、様々に悪口されながらも、心よりの心配に駆られてよく世話をしてやったので、その頃近所の人々の褒め者であった。しかるにこの心配はひとり一家内の上ばかりでなく、親戚の人々も等しく憂慮してくれたが、中にも父の実家なる宗助の母親は大の迷信家であったので、この病気は家に祟りのあるためであるかも知れぬから、祈禱するがよいとしきりに勧誘したけれども、父は迷信が大嫌いで、容易に聞き入れなかったが、そのうちに姉を連れて転地保養かたがた上野の室田という所へ行かれた。この室田という所は有名の大滝がある所で、病人をその滝に打たすればよいとのことであった。
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『論語と算盤』理想と迷信・修験者の失敗全体余は最初からこの事には反対であったので、いよいよ祈禱するについては、何か疑わしき所でもあったらばと思って始終注目していたが、今無縁仏と言ったについて、「その無縁仏の出た時はおよそ何年ほど前の事でありましょうか、祠を建てるにも碑を建てるにも、その時代が知れなければ困ります」と言ったら、修験者は重ねて中座に伺った。すると中座は「およそ五六十年以前である」と言うたので、また押し返して「五六十年以前なら何という年号の頃でありますか」と尋ねたら、中座は「天保三年の頃である」と言った。
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『論語と算盤』理想と迷信・修験者の失敗それを聞いた人々の中でも、別して初めに祈禱を勧誘した宗助の母親は得たり顔になって、「それご覧、神様のお告げは確かなものだ。なるほど老人の話に、いつの頃か、この家から伊勢参宮に出立してそれ限り帰宅せぬ人がある。定めし途中で病死したのであろうということを聞いていたが、今お告げの無縁仏の祟りというのは、果たしてこの話の人に相違あるまい。どうも神様は明らかなものだ。実にありがたい」と言って喜び、そしてこの祟りを清めるにはどうしたらよかろうという所から、また中座に伺ってみると、「それは祠を建立して祀りをするがよい」と言った。
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