幽夢影 / 巻下・以て難しと爲すべきも法と爲すべからず
九世同居誠爲盛事,然止當與割股廬墓者作一例看。可以爲難矣,不可以爲法也。
新字:九世同居誠為盛事,然止当与割股廬墓者作一例看。可以為難矣,不可以為法也。
書き下し
九世同居は誠に盛事爲り、然れども止だ當に割股・廬墓の者と一例と作して看るべし。以て難しと爲すべきも、以て法と爲すべからざるなり。
現代語訳
九代にわたって一族が同居するのは、まことに盛んなことです。けれども、それは親のために自分の股の肉を割いて食べさせたり、親の墓のそばに小屋を建てて喪に服し続けたりする人と、同じ類のものとして見るべきです。難しいこととして称えることはできますが、手本とすべきことではありません。
解説
前の則を受けて、大家族の同居という美徳を冷静に位置づけ直した一則です。割股は病の親のために自分の股の肉を割いて食べさせること、廬墓は親の墓のそばに小屋を建てて長く喪に服することで、どちらも極端な孝行として表彰されることがありました。張潮は、九世同居もそうした例外的な行いと同じで、称賛には値しても、誰もがまねるべき規範にはならないと言います。「以て難しと為すべし」は『論語』で孔子が使った言い回しを踏まえています。友人の洪去蕪は「古人にはもともと父子は住まいを別にするという説がある」と応じています。美談を真似る前に、それが無理を伴っていないかを見る目が大切です。
この章句が説くこと
家族孝行中庸家訓美談
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