論語と算盤 / 理想と迷信・日新なるを要す
商売は己を利することを眼目とする為に、自分さへ利すれば其れで可い、他人の迷惑は知らぬ存ぜぬといふ考を持つて居る人がある、それ故に利殖と道徳とは一致せぬといふ人もあるが、これは間違ひで、そんな古い考は今の世に通用させてはならぬ、維新頃までは、社会の上流、士大夫ともいふべき人は利殖に関係しないで、人格の低いものが之に当るといふのであつた、その後此の風習は改まつたが、まだ余喘を保つて居る。孟子は、利殖と仁義道徳とは一致するものであると曰つた、其後の学者が此の両者を引き離して了つた、仁義をなせば富貴に遠く、富貴なれば仁義に遠かるものとして了つた、町人は素町人と呼びて賤められ、士の倶に齢ひすべきものでないとせられ、商人も卑屈に流れ、儲け主義一天張りとなつた、是が為に経済界の進歩は幾十年幾百年遅れたか分らぬ、今日は漸次消滅しつ〻あるが、まだ不足である、利殖と仁義の道とは一致するものであることを知らせたい、私は論語と十露盤とを以て指導して居る積りである。
書き下し
商売は己を利することを眼目とするために、自分さえ利すればそれでよい、他人の迷惑は知らぬ存ぜぬという考えを持っている人がある。それゆえに利殖と道徳とは一致せぬという人もあるが、これは間違いで、そんな古い考えは今の世に通用させてはならぬ。維新頃までは、社会の上流、士大夫とも言うべき人は利殖に関係しないで、人格の低いものがこれに当たるというのであった。その後この風習は改まったが、まだ余喘を保っている。孟子は、利殖と仁義道徳とは一致するものであると言った。その後の学者がこの両者を引き離してしまった。仁義をなせば富貴に遠く、富貴なれば仁義に遠ざかるものとしてしまった。町人は素町人と呼びて賤められ、士のともに齢いすべきものでないとせられ、商人も卑屈に流れ、儲け主義一点張りとなった。これがために経済界の進歩は幾十年幾百年遅れたか分からぬ。今日は漸次消滅しつつあるが、まだ不足である。利殖と仁義の道とは一致するものであることを知らせたい。私は論語と十露盤とをもって指導しているつもりである。
現代語訳
商売は自分を利することを眼目とするので、自分さえ利益を得ればそれでよい、他人の迷惑など知らぬ存ぜぬ、という考えを持っている人がいる。それゆえに利殖と道徳とは一致しないと言う人もいるが、これは間違いであって、そんな古い考えを今の世に通用させてはならない。維新のころまでは、社会の上流、士大夫とも言うべき人は利殖に関わらず、人格の低い者がそれに当たるというものであった。その後この風習は改まったが、まだ名残をとどめている。孟子は、利殖と仁義道徳とは一致するものだと言った。ところがその後の学者がこの両者を引き離してしまった。仁義を行えば富貴から遠ざかり、富貴であれば仁義から遠ざかるものとしてしまった。町人は「素町人」と呼ばれて賤しめられ、武士と肩を並べるべき者ではないとされ、商人も卑屈に流れ、儲け主義一点張りになった。このために経済界の進歩が何十年、何百年遅れたかわからない。今日はしだいに消えつつあるが、まだ足りない。利殖と仁義の道とは一致するものであることを知らせたい。私は論語と算盤とをもって指導しているつもりである。
解説
関連する章句
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『論語と算盤』理想と迷信・廓清の急務なる所以旧に復って、治める方の人のみが道義を重んじ、生産殖利に従事する人はなるたけ制限して、ごく小さい範囲に棲息せしむるようにして行ったならば、その弊害を減ずることが出来るか知れないが、それでは国の富の進歩は止まってしまう。そこであくまで富を進め、富を擁護しつつ、その間に罪悪の伴わぬ神聖な富を作ろうとするには、どうしても一の守るべき主義を持たなければならぬ。それはすなわち私が常に言っている所の仁義道徳である。仁義道徳と生産殖利とは決して矛盾しない。だからその根本の理を明らかにして、かくすればこの位置を失わぬということを、我れ人共に十分に考究して、安んじてその道を行うことが出来たならば、あえて相率いて腐敗堕落に陥るということなく、国家的にも個人的にも、正しく富を増進することが出来ると信ずる。その方法として日常の事につき、かかる商売にはかくかく、かかる事業にはかくかくとここに詳述は出来ないが、
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『論語と算盤』処世と信条・論語と算盤は甚だ遠くして甚だ近いもの今の道徳によって最も重なるものとも言うべきものは、孔子のことについて門人たちの書いた論語という書物がある。これは誰でも大抵読むということは知っているが、この論語というものと、算盤というものがある。これは甚だ不釣合で、大変に懸隔したものであるけれども、私は不断にこの算盤は論語によって出来ている、論語はまた算盤によって本当の富が活動されるものである。ゆえに論語と算盤は、甚だ遠くして甚だ近いものであると始終論じているのである。
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『論語と算盤』仁義と富貴・真正の利殖法さりながらその利殖を図るものも、もしことごとく己れさえ利すれば、他はどうでもよかろうということをもって利殖を図って行ったならば、その事物はいかに相成るか。むずかしいことを言うようであるけれども、もし果たして前に述べたごとき有様であったならば、かの孟子の言う「何ぞ必ずしも利を曰わん、また仁義あるのみ」云々、「上下こもごも利を征りて国危うし」云々、「いやしくも義を後にして利を先にすることをせば、奪わずんば饜かず」となるのである。それゆえに真正の利殖は仁義道徳に基づかなければ、決して永続するものでないと私は考える。
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『論語と算盤』仁義と富貴・罪は金銭にあらず余は平生の経験から、自己の説として論語と算盤とは一致すべきものであると言っている。孔子が切実に道徳を教示せられたのも、その間経済にも相当の注意を払ってあると思う。これは論語にも散見するが、特に大学には生財の大道を述べてある。もちろん世に立って、政を行うには、政務の要費はもちろん、一般人民の衣食住の必要から、金銭上の関係を生ずることは言うまでもないから、結局、国を治め民を済うためには道徳が必要であるから、経済と道徳とを調和せねばならぬ事となるのである。ゆえに余は一個の実業家としても、経済と道徳との一致を勉むるために、常に論語と算盤との調和が肝要であると手軽く説明して、一般の人々が平易にその注意を怠らぬように導きつつあるのである。
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『論語と算盤』仁義と富貴・義利合一の信念を確立せよしかるにこの場合に際し、もし実業家が我勝ちに私利私慾を計るに汲々として、世間はいかようになろうと、自分さえ利益すれば構わぬと言っていれば、社会はますます不健全となり、嫌悪すべき危険思想は徐々に蔓延するようになるに相違ない。果たしてしからば危険思想醸成の罪は、ひとえに実業家の双肩に負わねばならなくなる。ゆえに一般社会のためにこれを匡正せんとするならば、この際我々の職分として、極力仁義道徳によって利用厚生の道を進めて行くという方針を取り、義利合一の信念を確立するように勉めなくてはならぬ。富みながらかつ仁義を行い得る例はたくさんにある。義利合一に対する疑念は今日ただちに根本から一掃せねばならぬ。
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『論語と算盤』仁義と富貴・義利合一の信念を確立せよ余が平素の持論としてしばしば言う所のことであるが、従来利用厚生と仁義道徳の結合が甚だ不十分であったために、「仁をなせばすなわち富まず、富めばすなわち仁ならず」、利に就けば仁に遠ざかり、義によれば利を失うというように、仁と富とをまったく別物に解釈してしまったのは、甚だ不都合の次第である。この解釈の極端なる結果は利用厚生に身を投じた者は、仁義道徳を顧みる責任はないというような所に立ち至らしめた。余はこの点について多年痛嘆措くあたわざるものであったが、要するにこれ後世の学者のなせる罪で、既に数次述べたるごとく、孔孟の訓えが「義利合一」であることは、四書を一読する者のただちに発見する所である。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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