論語と算盤 / 仁義と富貴・罪は金銭にあらず
余は平生の経験から、自己の説として論語と算盤とは一致すべきものであると言つて居る、孔子が切実に道徳を教示せられたのも、その間経済にも相当の注意を払つてあると思ふ、是は論語にも散見するが、特に大学には生財の大道を述べてある、勿論世に立つて、政を行ふには、政務の要費は勿論、一般人民の衣食住の必要から、金銭上の関係を生ずることは言ふまでもないから、結局、国を治め民を済ふためには道徳が必要であるから、経済と道徳とを調和せねばならぬ事となるのである、故に余は一個の実業家としても、経済と道徳との一致を勉むる為に、常に論語と算盤との調和が肝要であると手軽く説明して、一般の人々が平易に其の注意を怠らぬやうに導きつ〻あるのである。
書き下し
余は平生の経験から、自己の説として論語と算盤とは一致すべきものであると言っている。孔子が切実に道徳を教示せられたのも、その間経済にも相当の注意を払ってあると思う。これは論語にも散見するが、特に大学には生財の大道を述べてある。もちろん世に立って、政を行うには、政務の要費はもちろん、一般人民の衣食住の必要から、金銭上の関係を生ずることは言うまでもないから、結局、国を治め民を済うためには道徳が必要であるから、経済と道徳とを調和せねばならぬ事となるのである。ゆえに余は一個の実業家としても、経済と道徳との一致を勉むるために、常に論語と算盤との調和が肝要であると手軽く説明して、一般の人々が平易にその注意を怠らぬように導きつつあるのである。
現代語訳
私は日ごろの経験から、自分の説として、論語と算盤とは一致すべきものだと言っている。孔子が切実に道徳を教えられたのも、その間に経済にも相当の注意を払っておられたと思う。これは論語にもところどころに見えるが、特に『大学』には財を生む大道が述べられている。もちろん世に立って政治を行うには、政務に要る費用はもとより、一般の人民の衣食住の必要から、金銭上の関係が生じることは言うまでもない。そして結局、国を治め民を救うためには道徳が必要であるから、経済と道徳とを調和させなければならないことになるのである。だから私は一人の実業家としても、経済と道徳の一致に努めるために、いつも論語と算盤との調和が肝要であると手短に説明して、一般の人々がたやすくその注意を怠らないように導いているのである。
解説
関連する章句
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『論語と算盤』処世と信条・論語と算盤は甚だ遠くして甚だ近いもの今の道徳によって最も重なるものとも言うべきものは、孔子のことについて門人たちの書いた論語という書物がある。これは誰でも大抵読むということは知っているが、この論語というものと、算盤というものがある。これは甚だ不釣合で、大変に懸隔したものであるけれども、私は不断にこの算盤は論語によって出来ている、論語はまた算盤によって本当の富が活動されるものである。ゆえに論語と算盤は、甚だ遠くして甚だ近いものであると始終論じているのである。
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『論語と算盤』処世と信条・論語と算盤は甚だ遠くして甚だ近いものこれはすなわち物を増殖する務めである。これが完全でなければ国の富はなさぬ。その富をなす根源は何かといえば、仁義道徳、正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することが出来ぬ。ここにおいて論語と算盤という懸け離れたものを一致せしめる事が、今日の緊要の務めと自分は考えているのである。
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『論語と算盤』理想と迷信・日新なるを要す商売は己を利することを眼目とするために、自分さえ利すればそれでよい、他人の迷惑は知らぬ存ぜぬという考えを持っている人がある。それゆえに利殖と道徳とは一致せぬという人もあるが、これは間違いで、そんな古い考えは今の世に通用させてはならぬ。維新頃までは、社会の上流、士大夫とも言うべき人は利殖に関係しないで、人格の低いものがこれに当たるというのであった。その後この風習は改まったが、まだ余喘を保っている。孟子は、利殖と仁義道徳とは一致するものであると言った。その後の学者がこの両者を引き離してしまった。仁義をなせば富貴に遠く、富貴なれば仁義に遠ざかるものとしてしまった。町人は素町人と呼びて賤められ、士のともに齢いすべきものでないとせられ、商人も卑屈に流れ、儲け主義一点張りとなった。これがために経済界の進歩は幾十年幾百年遅れたか分からぬ。今日は漸次消滅しつつあるが、まだ不足である。利殖と仁義の道とは一致するものであることを知らせたい。私は論語と十露盤とをもって指導しているつもりである。
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『論語と算盤』仁義と富貴・義利合一の信念を確立せよ余が平素の持論としてしばしば言う所のことであるが、従来利用厚生と仁義道徳の結合が甚だ不十分であったために、「仁をなせばすなわち富まず、富めばすなわち仁ならず」、利に就けば仁に遠ざかり、義によれば利を失うというように、仁と富とをまったく別物に解釈してしまったのは、甚だ不都合の次第である。この解釈の極端なる結果は利用厚生に身を投じた者は、仁義道徳を顧みる責任はないというような所に立ち至らしめた。余はこの点について多年痛嘆措くあたわざるものであったが、要するにこれ後世の学者のなせる罪で、既に数次述べたるごとく、孔孟の訓えが「義利合一」であることは、四書を一読する者のただちに発見する所である。
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『論語と算盤』理想と迷信・廓清の急務なる所以旧に復って、治める方の人のみが道義を重んじ、生産殖利に従事する人はなるたけ制限して、ごく小さい範囲に棲息せしむるようにして行ったならば、その弊害を減ずることが出来るか知れないが、それでは国の富の進歩は止まってしまう。そこであくまで富を進め、富を擁護しつつ、その間に罪悪の伴わぬ神聖な富を作ろうとするには、どうしても一の守るべき主義を持たなければならぬ。それはすなわち私が常に言っている所の仁義道徳である。仁義道徳と生産殖利とは決して矛盾しない。だからその根本の理を明らかにして、かくすればこの位置を失わぬということを、我れ人共に十分に考究して、安んじてその道を行うことが出来たならば、あえて相率いて腐敗堕落に陥るということなく、国家的にも個人的にも、正しく富を増進することが出来ると信ずる。その方法として日常の事につき、かかる商売にはかくかく、かかる事業にはかくかくとここに詳述は出来ないが、
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『論語と算盤』仁義と富貴・孔夫子の貨殖富貴観例を挙ぐれば、論語の中に「富と貴とはこれ人の欲する所なり、その道をもってせずしてこれを得れば処らざるなり、貧と賤とはこれ人の悪む所なり、その道をもってせずしてこれを得れば去らざるなり」という句がある。
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