論語と算盤 / 理想と迷信・廓清の急務なる所以
旧に復つて、治める方の人のみが道義を重んじ、生産殖利に従事する人は成るたけ制限して、極く小さい範囲に棲息せしむるやうにして行つたならば、其の弊害を減ずることが出来るか知れないが、それでは国の富の進歩は止まつて了ふ、そこで飽くまで富を進め、富を擁護しつ〻、其間に罪悪の伴はぬ神聖な富を作らうとするには、どうしても一の守るべき主義を持たなければならぬ、それは即ち私が常に言つて居る所の仁義道徳である、仁義道徳と生産殖利とは決して矛盾しない、だから其の根本の理を明かにして、斯くすれば此の位置を失はぬといふことを、我れ人共に十分に考究して、安んじて其の道を行ふことが出来たならば、敢て相率ゐて腐敗堕落に陥るといふことなく、国家的にも個人的にも、正しく富を増進することが出来ると信ずる。其方法として日常の事に就き、斯る商売には斯く〳〵、斯る事業には斯く〳〵と爰に詳述は出来ないが、
書き下し
旧に復って、治める方の人のみが道義を重んじ、生産殖利に従事する人はなるたけ制限して、ごく小さい範囲に棲息せしむるようにして行ったならば、その弊害を減ずることが出来るか知れないが、それでは国の富の進歩は止まってしまう。そこであくまで富を進め、富を擁護しつつ、その間に罪悪の伴わぬ神聖な富を作ろうとするには、どうしても一の守るべき主義を持たなければならぬ。それはすなわち私が常に言っている所の仁義道徳である。仁義道徳と生産殖利とは決して矛盾しない。だからその根本の理を明らかにして、かくすればこの位置を失わぬということを、我れ人共に十分に考究して、安んじてその道を行うことが出来たならば、あえて相率いて腐敗堕落に陥るということなく、国家的にも個人的にも、正しく富を増進することが出来ると信ずる。その方法として日常の事につき、かかる商売にはかくかく、かかる事業にはかくかくとここに詳述は出来ないが、
現代語訳
昔に戻って、治める側の人だけが道義を重んじ、生産や利殖に従事する人はできるだけ制限して、ごく小さな範囲に押し込めておくようにすれば、その弊害を減らすことはできるかもしれない。しかしそれでは、国の富の進歩は止まってしまう。そこで、あくまで富を進め、富を守りながら、そのうえで罪悪の伴わない神聖な富を作ろうとするなら、どうしても一つ守るべき主義を持たなければならない。それこそ、私が常に言っている仁義道徳である。仁義道徳と生産殖利とは、決して矛盾しない。だから、その根本の道理を明らかにし、こうすればこの立場を失わないということを、自分も他人もともに十分に考え究め、安心してその道を行うことができたなら、皆がそろって腐敗堕落に陥るようなことはなく、国家としても個人としても、正しく富を増していくことができると信じる。その方法として、日常のことについて、こういう商売ならこう、こういう事業ならこう、とここで詳しく述べることはできないが、
解説
関連する章句
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『論語と算盤』理想と迷信・廓清の急務なる所以第一の根本たる道理なるものは必ず生産と一致するものである。そして富をなす方法手段は、第一に公益を旨とし、人を虐げるとか、人に害を与えるとか、人を欺くとか、あるいは偽りなどということのないようにしなければならぬ。かくて各々その職に従って尽すべきを尽し、道理を誤らず富を増して行くことであれば、いかに発展して行っても、他と相侵すとか相害することは起こらぬと思う。神聖なる富はかくて初めて得られ続けられるのである。
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『論語と算盤』仁義と富貴・義利合一の信念を確立せよ余が平素の持論としてしばしば言う所のことであるが、従来利用厚生と仁義道徳の結合が甚だ不十分であったために、「仁をなせばすなわち富まず、富めばすなわち仁ならず」、利に就けば仁に遠ざかり、義によれば利を失うというように、仁と富とをまったく別物に解釈してしまったのは、甚だ不都合の次第である。この解釈の極端なる結果は利用厚生に身を投じた者は、仁義道徳を顧みる責任はないというような所に立ち至らしめた。余はこの点について多年痛嘆措くあたわざるものであったが、要するにこれ後世の学者のなせる罪で、既に数次述べたるごとく、孔孟の訓えが「義利合一」であることは、四書を一読する者のただちに発見する所である。
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『論語と算盤』仁義と富貴・義利合一の信念を確立せよしかるにこの場合に際し、もし実業家が我勝ちに私利私慾を計るに汲々として、世間はいかようになろうと、自分さえ利益すれば構わぬと言っていれば、社会はますます不健全となり、嫌悪すべき危険思想は徐々に蔓延するようになるに相違ない。果たしてしからば危険思想醸成の罪は、ひとえに実業家の双肩に負わねばならなくなる。ゆえに一般社会のためにこれを匡正せんとするならば、この際我々の職分として、極力仁義道徳によって利用厚生の道を進めて行くという方針を取り、義利合一の信念を確立するように勉めなくてはならぬ。富みながらかつ仁義を行い得る例はたくさんにある。義利合一に対する疑念は今日ただちに根本から一掃せねばならぬ。
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『論語と算盤』仁義と富貴・真正の利殖法さりながらその利殖を図るものも、もしことごとく己れさえ利すれば、他はどうでもよかろうということをもって利殖を図って行ったならば、その事物はいかに相成るか。むずかしいことを言うようであるけれども、もし果たして前に述べたごとき有様であったならば、かの孟子の言う「何ぞ必ずしも利を曰わん、また仁義あるのみ」云々、「上下こもごも利を征りて国危うし」云々、「いやしくも義を後にして利を先にすることをせば、奪わずんば饜かず」となるのである。それゆえに真正の利殖は仁義道徳に基づかなければ、決して永続するものでないと私は考える。
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『論語と算盤』処世と信条・論語と算盤は甚だ遠くして甚だ近いものこれはすなわち物を増殖する務めである。これが完全でなければ国の富はなさぬ。その富をなす根源は何かといえば、仁義道徳、正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することが出来ぬ。ここにおいて論語と算盤という懸け離れたものを一致せしめる事が、今日の緊要の務めと自分は考えているのである。
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『論語と算盤』理想と迷信・日新なるを要す商売は己を利することを眼目とするために、自分さえ利すればそれでよい、他人の迷惑は知らぬ存ぜぬという考えを持っている人がある。それゆえに利殖と道徳とは一致せぬという人もあるが、これは間違いで、そんな古い考えは今の世に通用させてはならぬ。維新頃までは、社会の上流、士大夫とも言うべき人は利殖に関係しないで、人格の低いものがこれに当たるというのであった。その後この風習は改まったが、まだ余喘を保っている。孟子は、利殖と仁義道徳とは一致するものであると言った。その後の学者がこの両者を引き離してしまった。仁義をなせば富貴に遠く、富貴なれば仁義に遠ざかるものとしてしまった。町人は素町人と呼びて賤められ、士のともに齢いすべきものでないとせられ、商人も卑屈に流れ、儲け主義一点張りとなった。これがために経済界の進歩は幾十年幾百年遅れたか分からぬ。今日は漸次消滅しつつあるが、まだ不足である。利殖と仁義の道とは一致するものであることを知らせたい。私は論語と十露盤とをもって指導しているつもりである。
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