論語と算盤 / 仁義と富貴・義利合一の信念を確立せよ
然るに此の場合に際し、若し実業家が我勝ちに私利私慾を計るに汲々として、世間は如何ならうと、自分さへ利益すれば構はぬと言つて居れば、社会は益々不健全と成り、嫌悪すべき危険思想は徐々に蔓延するやうになるに相違ない、果して然らば危険思想醸成の罪は、一に実業家の双肩に負はねばならなくなる、故に一般社会の為に之を匡正せんとするならば、此際我々の職分として、極力仁義道徳に由つて利用厚生の道を進めて行くといふ方針を取り、義利合一の信念を確立するやうに勉めなくてはならぬ、富みながら且つ仁義を行ひ得る例は沢山にある、義利合一に対する疑念は今日直ちに根本から一掃せねばならぬ。
書き下し
しかるにこの場合に際し、もし実業家が我勝ちに私利私慾を計るに汲々として、世間はいかようになろうと、自分さえ利益すれば構わぬと言っていれば、社会はますます不健全となり、嫌悪すべき危険思想は徐々に蔓延するようになるに相違ない。果たしてしからば危険思想醸成の罪は、ひとえに実業家の双肩に負わねばならなくなる。ゆえに一般社会のためにこれを匡正せんとするならば、この際我々の職分として、極力仁義道徳によって利用厚生の道を進めて行くという方針を取り、義利合一の信念を確立するように勉めなくてはならぬ。富みながらかつ仁義を行い得る例はたくさんにある。義利合一に対する疑念は今日ただちに根本から一掃せねばならぬ。
現代語訳
ところがこの場合に、もし実業家が我先にと私利私欲を追うことに汲々として、世間がどうなろうと自分さえ儲かればよいと言っていれば、社会はますます不健全になり、忌むべき危険思想が徐々に広がっていくに違いない。そうであれば、危険思想を醸成した罪は、ひとえに実業家が双肩に負わねばならなくなる。だから社会全体のためにこれを正そうとするなら、いまこそ我々の職分として、あくまで仁義道徳によって利用厚生の道を進めるという方針を取り、義利合一の信念を確立するよう努めねばならない。富みながら、なお仁義を行った例はいくらでもある。義と利は両立しないという疑念は、今日ただちに根こそぎ払わねばならない。
解説
渋沢は社会不安の原因を、思想の側ではなく実業家の側に置いた。危険思想が広がるのは、実業家が自分さえ儲かればよいと振る舞うからだ、その罪は実業家の双肩にある、と。診断の根は「仁を為せば則ち富まず、富めば則ち仁ならず」という通念で、彼はこれを孔孟の説ではなく後世の学者の作り出した妄説だと断ずる。朱子が孟子の序で功利を貶したことまで名指しし、それはアリストテレスの「総ての商業は罪悪なり」と同じ結論に行き着くと言う。義と利は別物だという教えが、実業家に道徳を顧みる責任はないという居直りを許した——だから義利合一の信念を確立せよ、というのがこの章の主張である。
この章句が説くこと
義利合一利用厚生と仁義道徳危険思想富みながら仁義を行う